
父親の気持ちを想像する
●今日は父親について
一昨日から「両親との関係シリーズ」で書いています。
今日は父親との記憶についてです。
●父親の気持ちを想像する
一昨日のnoteで書いたとおり、うちの両親は今別居していて、原因は双方にあるとしても、きっかけは父親でした。
とある大災害で実家が被災した折に、街の復旧に走り回るあまり、母親と実家をずっとほったらかしにしたからです。
父親は昔から仕事人間で、家族で遠出したりした記憶はほとんどありません。
物心ついた時から、あまり会話もしてこなかったように思います。
仕事が大好きな父親。
ほとんど家にいない父親。
家族と出かけない父親。
あまり会話をしない父親。
今までずっと、こんなイメージを持っていました。
でも、物心つく前の、もっと遠くの断片的な記憶の中には、笑顔の母親と、笑顔の父親と、家族でよく出かけていた映像が残っています。
実家には、父親がカメラで撮った幼い頃の僕の写真がたくさんあって、それを母親がコメントや装飾と一緒にアルバムに丁寧に綴じています。
考えてみると、最初から父親は仕事人間だったわけではなく、むしろたくさんの時間を家族と過ごしていた人だったように思います。
それがいつからか、家族との時間をあまり持たないようになった。
想像するに、父親はずっと寂しい思いをしていたんじゃないかと思います。
結婚したてで、子供も小さい頃は夫婦二人で協力して生活する必要があって、いがみ合っている場合じゃないし、何より子供が家の中を明るくしてくれるので楽しく生活できていた。
だけど、子供が大きくなるに連れて手がかからなくなり、親の手を必要としなくなっていく。
母親は県外から父親の元に嫁いできており、父の実家と関係がうまくいかず、それに対して父親が助け舟を出すわけでもなく、ずっと孤独な思いをしていたそう。
母親が「父親や実家の悪口」を子供の僕たちに言っていたわけではありませんが、何となく母親のその苦しみは子供ながらに感じるもの。
父親に対する母親の態度は次第に冷たくなっていき、父親もあまり家にいなくなっていく。
父親よりも、パートだった母親と過ごす時間の方が長いので、母親との関係の方が濃くなるのは必然で、いつしか「父親 対 母親&子供」の構図ができており、家に父親の居場所がなくなってしまったのかもしれません。
父親も、もっと家族でたくさん思い出を作りたかったんじゃないかなと思います。
ただ、ちょっとのボタンの掛け違いで、だんだんと夫婦仲が悪くなり、結果として「仕事人間の父親」ができあがっていった。
母親がさみしい思いをしていたのは子供の頃から感じていたけど、父親の立場に立ってみると、父親は父親で寂しい思いをしていたんだろうなと思います。
●これからは「対等」な立場で
社会人になって、結婚して子供を持ち、世の中のことが少しずつ見えてきた今、あまり関わってこなかった父親の立場や気持ちが想像できるようになってきました。
両親の問題は両親の間での問題として、僕と父親の関係は「これから」始まるのかなと思います。
今まであまりたくさん会話をしてこなかった分、これからは一人の大人として「対等」な立場で、父親と関係をつくっていきたいです。