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見たいようにしか見ない

note投稿150日チャレンジ、135日目。

人は見たいようにしか、ものごとを見ない。
そう思う事が多い。

伝えた側の意志とは関係なく、
そう理解したいから、反応をしただけ。
自分が経験したことと、その時の感情から、見たいようにしか見ない。

相互理解とはいうけれど、どう見て、どこまで理解し合えているかなんて、
お互いに正しくは分からない。

あなたは、そう理解したんだね。
私は、こう理解してるんだ。
両者の差異を認めれば良い。
それで十分。
傷つけなければ、対立や違いを肯定すれば良い。

どうして、自分の考えを同調させようとするのだろうか。
どうして、自分の意見と同じように相手に変えさせようとするのだろうか。
どうして、従わない者には報復行動にでるのだろうか。
そこで生まれる正義と正義の戦いは、本当につらいし醜い。
お互いの正しさをぶつけあっても、何も生まれない。
諸刃の剣で戦い傷つけ合うだけだ。


今は、あまりにも「共感」が強い時代になって、ちょっと恐いなと思うことがある。
さまざまなコンテンツは、
共感を脅迫しているようにも感じる。
共感勢力が強くなると、価値観はころころと変わっていく。
そういう風に私は見てしまう。

先が見えづらい不安が強い時代だから、
なおさら、人は共感をしあって安心したい気持ちもあるだろう。

だからこそ、今の事実をしっかりと観察して、
自分の頭で考えて、時間をかけて自分の解釈をしていくことが必要だと
意識し始めてから、
やっぱり人は自分の見たい世界しか見れない動物だと思ってしまった。


違いを認め合える環境や人が増えて、
過ごしやすくなって欲しい。

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