文章

note投稿100日チャレンジ、83日目。

いま、仕事で文章を書いている。
こうして毎日noteを書いていても「書く」ことに慣れないし、難しいなぁと思う。

このnoteは、どちらかというと自身の為に書いている傾向が強くて、
この文章を読んでくださった方に、何か響いてもらえるなら嬉しいというくらいで書いている。このような文章をいつも読んでくださったり、感想を持ってくれる方には感謝しかありません。本当にありがとうございます。


文章を書く。
それが、仕事の執筆となると感覚がまるで違う。当たり前ですが。

何が違うのか。
それは気遣いと、事実の描写だ。

気遣いの対象は、
一番読んで欲しいと想定している読者。そして、その利害関係者だ。

書いちゃいけない事、書いて良いこと、読んだら嬉しい事、読んだら悲しむ事、読んだら怒る事、読んだら、読んだら、読んだら、、、、
いろいろと考えながら書いていると、
何書きたかったんだっけとなる。

だから、上手なライターさんの文章を読むと惚れ惚れしてしまう。膨大な資料と事実から、何を削って仕上げてきたのだろうかと思う。
私は具体を詰めていくことよりも、企画や戦略などを示すことが得意なので、他者の文章を読んで相性が分かったりもする。

私が文章を書くときに一つだけ決めている事は、
立派な文章を書かないことだ。

事実は正確に記述するのがルール。事実を大きく盛ったり、過小評価はしない。
読み手の受け止め方に身を任せる。

主観が入る内容は、感情は大きくドラマチックに伝えることを心掛ける。その方が読み手に伝わるから。語彙力はないが言葉を振り絞る。


どちいらかというと、私は非言語領域が得意な人だ。
相手の行動、表情、声のトーン、目線、息づかい、動きのスピード、筋肉の強弱、姿勢、距離間、発するエネルギーなどを感じ取ることが得意だし、
私も相手に対して非言語で伝えているはずだ。時には意図的に、または意図せずに。

非言語表現を長年やっていると、言葉は便利すぎるものだと思う。
文字が読めれば、相手の想像力も合わさって5割は伝わるだろう。(そう信じたい)

言葉はとても便利な道具だ。
書いたことで自身も騙せるし、時には相手も騙せるものだ。

言葉を扱うとき、実は慎重になっている事に気づく。
言葉もできる限り繊細に伝えていきたいと思っていて、
今日も仕事の原稿が進まなかった。。。明日には書き終えたい。

【今日の #まートレ
ピンチャマユラーサナ

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