意味づけ
note投稿150日チャレンジ、149日目。
先日の対話の中で、気づきがありました。
長い時間をかけて私が表現をやっている「意味」が、
ようやく見つかったという話をした時だった。
探究して見つけたというか、たどり着いた。
結果的に見つかって良かった!と単純に喜べなかった。
意味を見つけた代わりに、
大きなものを失っていたり大切なものを手放している自覚があったからだ。
「意味」なんて、見つけなくてもいい。
「意味」を探そうとすれば疲れるし、簡単に見つかるものではない。
「意味」なんてそもそもないようなもの。苦しくないの?という意見はもっともだし、実際に荒波だったし、めちゃくちゃ疲れた。
ただ、そうした忍耐も含めての探究は、私にとっては当たり前なことだった。
しんどくても、そういうものだろうと思っていたし、見つけなくてもまあいいか、という選択肢がそもそもなかった。
そういう考えがあったうえで、意味を見つけたということに気づいてしまった。
やっぱり私はストイックだったし、マッチョ体質というか。
信念をもって、諦めずに挑む。という強い執着があったことで
その分の抵抗や、理想と現実で苦しみ、葛藤がうまれていた。
もっと、ラクに穏やかに、
もっと、心地良く生きていきたいのに、
なんでまた、そんなつらい道ばかりを選んでしまったのだろうかと、
過去の私を反省し、悲しい気持ちになったのだ。
ただ、私が見つけた「意味あること」というのは、
私を心地良く満たしてくれるものでもあるのだけど、
関わる人や、そこに興味がある人にとっても、良い影響を与え合うものだと確信している。
「私だけの意味ではない」のかもしれないと思えたのが
とても大きな収穫でもあり、財産になっている。
演劇教育ダイアローグ。
これを動かしていけることで、
私が幼少の頃から歩んできた演じるという表現が昇華されて、
一段、階段を上れたような気がします。
いろいろと届けなきゃと思う。媒体だけを通してだけでなくてもいい。
必要としている人がいるはずだし。