【フランス旅行】 中部フランス・オーヴェルニュ地方、クレルモン=フェランの2日間_1日目(その1)
ドン、という鈍い音がしてま間もなく、ゴーっと呻きをあげキャセイ・パシフィクの機体はしばらく震えた。成田発・香港乗継ぎパリ行きのキャセイ・パシフィック機。窓からは等間隔に配置された灯が後方へと流れて行った。ここがパリ郊外のシャルル・ド・ゴール空港であると認識させるものは、機体がターミナルに繋留されるまで何もなかった。外はまだ闇に包まれているのだ。それもそのはず、予定より1時間早い、まだ早朝の5時になったばかり。空が薄明を帯びてくるにはまだ1時間ほどあるだろう。早い到着だからといって、空港に長く留まっている必要はない。始発のリムジンに乗ることにしよう。
空港バスターミナルで、「エトワール(凱旋門)、エトワール」という声がした。バスターミナル係員の凱旋門行きバスを案内する声だ。パリ市内ならどこでもいいのだが、このバスに乗ることにした。
リムジンバスは定刻に出発した。途中、ポルトマイヨで数名の乗客を降ろし、凱旋門に到着したのは6時頃だった。わたしは、南フランスのニームに向かう予定である。凱旋門から、地下鉄で鉄道駅に向かった。
パリにはいくつかのターミナル駅がある。東駅からはドイツ方面、モンパルナス駅からはブルターニュ方面、オーステリッツ駅からはスペイン方面、北駅からは英国や北欧への列車が出発している。わたしはパリ・リヨン駅に向かう。南フランス、イタリアへはパリ・リヨン駅発の列車に乗車すればいいのだ。
日本を出発する前、パリに数日滞在し、航空機の疲れをとってから次の旅に出かけようと思っていた。ところが、香港からパリに向かう機内でのことである。パリのことを考えていたら、不意にヤナ・ボコーワ監督『巴里ホテルの人々』を思い浮かべたのだ。
プラハで、最年少でハムレットを演じたこともあるアルメニア系ユダヤ人がパリにやってきた。そのとき、その男は栄光に包まれていた。ところが、パリはナチス・ドイツの手に陥落しそうになっていた。危険を察知した男は英国に逃れた。映画はそれから数十年後のクリスマス、フェルディナンド・レイ扮する初老の男が、列車でパリ北駅に到着するところから始まる。
カメラは冒頭、1本のレールをとらえる。すると間もなく、レールは本数を増し複雑に絡まりあう。列車は間もなく駅に到着するのだろう。構内放送が北駅に到着したことを告げた。列車はパリに到着したのだ。映画が始まり5分もたっただろうか、カメラは下車の準備をする主人公を初めてとらえる。この主人公が、かつて英国に逃れた男である。この男にとって、かつての精彩を放った勇姿は過去のものとなっていた。せいぜい、クリスマスの夜に、アメリカ人観光客相手に、英語の芝居を打つことくらいしかできない。このとき、パリはこの男を必要としなくなっていたのだ。時間の流れは残酷である。
この作品を不意に思い描いたのは、何もこの男の物語=悲劇そのものへの関心からではない。物語ることの入り口について興味をおぼえたのだ。わたしの場合、南フランスに旅行するのだが、航空機でパリ郊外のロワシーに着陸し、リムジンバスでパリに到着、ということになる。『巴里ホテルの人々』の主人公のように、列車でパリに到着してみたくなったのだ。すでにこの都市に到着してしまったのだけれど、パリの光景が脳裏に定着する前に、南フランスに向かうことにすればいい。そして、南フランスから北へと向かえば、列車でパリに着くことになる。この場合、旅の入り口ではなく、旅の終わりがパリということになる。しかし、初老の主人公のパリも、物語の始まりというばかりではなく、人生の終焉を確認する場でもあったのだから、旅の終わりをこのパリという都市で迎えるのも、一つのアイデアとして成り立つと思った。たかが夏の南フランス旅行に、これほどの道具立てを考える自分に苦笑を禁じえないのだが、旅とは、このようなドラマツルギーの創出のことなのかもしれないと納得したのだ。
パリ・リヨン駅8時10分発のTGVに乗車すれば、お昼頃には南フランス、ニームに到着する。ホテルをとるにもちょうどよい時刻である。さっそく駅の窓口で予約端末を叩いてもらった。しかし、すでに席はうまっていた。次発の10時51分発のTGVも調べてもらったが満席であった。駅員は今日中にニームに着きたいのなら、在来線8時49分発の列車に乗車することを勧めてくれた。この列車ならば予約は必要ないという。わたしはパリにしばらく滞在し、南フランスはその後という当初の計画に戻そうとも考えたが、すでにパリを離れるモードになっている。鉄道のフリーパスであるユーレイルパスを持っていることだし、とりあえず駅員が勧めてくれた列車に乗車することにした。
《中部フランス・オーヴェルニュ地方、クレルモン=フェランの2日間_1日目(その2)》へつづく
(日曜映画批評 たまにトラベラー:衣川正和 🌱kinugawa)