【映画評】ミシェル・ゴンドリー『グッバイ、サマー』。micro-、そして死と無限
「見る映画」「見ない映画」。その判断は単純で、わたしを取りまく社会・世界といかなる関係にあるのか、ということによる。つまり、関係があれば見るし、なければ見ない。その関係とは、作品自体に内包する場合もあるし、外的な要因によることもある。ここでは外的要因について書いておこう。それは、内容そのものに興味はないけれど、気になる監督作品の場合、時間と経済が許すならとりあえず見ておこう、という消極的「見る映画」である。『グッバイ、サマー』の場合、フランスの14歳の男の子の、ひと夏の物語。これにはあまり興味はない。しかし、監督がミシェル・ゴンドリー。彼はビョークのPVでよく知られた監督であり、ビョークが最も信頼を寄せる監督でもある。ビョーク大好きなわたしとしては、見ておかなくては、と思う。それに、オムニバス作品『Tokyo!』の監督のひとりでもある。ミシェル・ゴンドリー『インテリア・デザイン』、カラックス『メルド』、ボン・ジュノ『ひこきもり』の3本からなるオムニバスだ。『インテリア・デザイン』はビョークのPV同様、メルヘンだけれど、いくぶん毒をちりばめた作品だった。別役実に倣うならば、ゴンドリーの作品には「現実から飛翔する」のではなく、「現実を侵食する」力がある。14歳の『グッバイ、サマー』に、毒とメルヘンがどのように溶かしこまれているのかを見たかったのだ。
原題「Microbe et Gasoil」だが、直訳すれば「微生物と軽油」。「グッバイ、サマー」はなかなかすてきな邦題だと思うけれど、微生物のようにチビで傷つきやすいダニエル(アンジュ・ダルジャン)と、機械いじりが好きで、いつもガソリンの匂いのする転校生テオ(テオフィル・バケ)とのひと夏のロードムービーと考えれば、「チビとガソリン」というタイトルも捨て難いと思う。映画を見た人は、どのように感じただろうか。
ところで、この映画は、単なる青春ムービー、ひと夏の淡い冒険譚にとどまらない。少年ダニエルの、「死」と「無限」を描いた作品でもある。
ダニエルは中学生にもなって女の子のような容姿で、弱々しい microbe(微生物)のよう。それは儚さや死を連想させるmicro- でもある。ダニエルが母親(オドレイ・トトゥ)に死の恐怖を訴えるシーンがあるが、それはダニエルが micro-としての存在であるが故である。それに対置される macro- はテオであるかもしれない。テオは冒険心旺盛で自惚れ屋の転校生。それが禍し学校では浮いた存在となる。ダニエルとテオは対照的な性格なのだが、どちらも学校では生きにくいことが共通している。そしてなによりも、ふたりは精神的に似ている。それ故に意気投合し、テオが製造した〝夢の車〟による、パリからディジョンへの、ひと夏の旅を始める。14歳の少年たちのロードムービーである。途上の冒険譚をここで述べることは控えるけれど、アドベンチャーと未経験の淡い性が満載である。日本のサブカルに興味を持つゴンドリーらしく、暴力と性にまつわる毒入りメルヘンがちりばめられていて、色彩がスクリーンから溢れそうな物語に、飽きることを知らない。
「死」と「無限」だが、授業の何気ないシーンで、数学教師から言及される。それは正多角形という調和した形体の後に語られる無限集合についての、うっかりすると見過ごしてしまいそうなシーンである。無限集合は、それ自身と同値な無限集合を内包しているということ。そしてヒルベルトの無限に関する箱について。これは、ダニエルが抱く死の恐怖に引きつけて見るのでなければ、単なる授業のワンシーンに終わってしまう。死と無限。ダニエルが死の恐怖を抱くのは、生は有限であるのに、死は限りなく続く、という恐怖である。アルゼンチンの盲目の作家ボルヘスは、あなたにとり最も恐ろしい言葉な何かと問われ、「無限」と答えた。「無限、これほどまでに恐ろしい言葉はありません」と。無限は限りがないがゆえに人を脅かす。無限集合の授業シーンをさりげなく挿入するところに、ゴンドリーのスマートさを見ることができる。
ひと夏の冒険からパリに戻り、テオは母を喪い、父と一緒にグルノーブルに引っ越す。新学年をむかえ、ダニエルは再び孤独になる。クラス替えもあり、恋するも相手にされなかったローラ(ディアーヌ・ベニエ)と別のクラスになった。だがそこで奇跡のような変化が起きていた。片思いだったはずのとローラが心を寄せてくれたのだ。ところが、残念なことに、ダニエルはそのことに気づかない。ローラはダニエルの後ろ姿に向かって、「3つ数えるから振り向いて」、と心に想う。しかし、ダニエルは振り向かない。「7つ数えるから振り向いて」、と再び心に想う。でも振り向かない。「じゃあ、無限数えるから、それまでに振り向いて」、と心に想う。いつたどり着くかも知れぬ自然数列。ダニエルは永遠に振り向かないのだろうか。そして、その先に救済はあるのだろうか。14歳は一度きり。限りがあり待ってはくれない。
(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)
サポートしていただき、嬉しいかぎりです。 これからもよろしくお願いいたします。