【フランス旅行】 中部フランス・オーヴェルニュ地方、クレルモン=フェランの2日間_2日目(完結編)
この記事は《中部フランス・オーヴェルニュ地方、クレルモン=フェランの2日間_2日目(その1)》の完結編として書かれています。
交差廊は建物の中心軸と垂直に交差する、平面図でいえば十字架の腕の部分である。交差廊は実に不思議な空間である。交差廊中央の穹㝫を支える4本の円柱の中心に身を置くと、身廊、内陣、側廊と分節化された教会が、一瞬にしてわたしの身体へと収斂するかのような錯覚を覚える。教会の建築構造の内的主題とは、内陣へと収斂するその構造ではなく、交差廊のそういった精神機能=身体機能にあるのではないか、そんな印象さえ受ける。これは、キリスト教建造物が普遍的に持つ、身体性の表出といってもいいだろう。
周歩廊の柱頭彫刻に目を移すと、そこにはキリスト教的主題が、見事にロマネスク様式として結晶化されている。旧約・新約聖書による聖母マリア・生・死に関する黙想である。美徳と悪徳との絶え間ない対立は、原罪との対立として表現され、聖母マリアの恭順と純血はアダムの傲慢とイヴの淫蕩に対置されているのである。ここに、キリスト教的世界の統一感を見いだすことができる。そして、人類最初の親であるアダムとイヴの子として、全人類に課された楽園喪失と死は、イエスの復活と贖罪として呼応する。ここに、失楽園の悲嘆は天上のエルサレムの歓喜と連結される。私は、聖アウグスチヌスの言わんとしたことは、このような魂の贖の喜びなのではないかと思った。
周歩廊を一周し身廊に戻っつた。5年前、友人たちとこの教会を訪れた時、一人の老婆が跪き、祈りを捧げていたのを思い出した。ノートル・ダム・デュ・ポール教会という聖なる建物は、クレルモンの民衆にとり、避難することのできる精神の寄港地(ポール)でもあるのだ。老婆の祈りは聖母マリアへの観想に違いないのだが、その姿には、時代や思想を突き抜けたところにある、何とも形容しがたいものがあった。あの時、友人は、「身体が熱くなるのを感じた」と語ってくれた。信仰とは、この老婆に見られるような姿=形相のことなのかもしれない。
異教徒である私は、ひとまずこの場所を去り、いまひとつの彫刻群と対面することにしよう。
南側正面から外に出た。そこにはタンパンがある。5年前の訪問では、修復中のため見ることができなかったものである。
13世紀の作と伝えられている。半円形タンパンには予言者イザヤの世界が表現されているのだが、私は、その下部の楯石にとりわけ興味を覚える。上部が屋根のような勾配になっており、オーヴェルニュ特有の形体である。
左から見ていくと、まずマギの礼拝である。東方の三博士が聖母の前に跪き、3頭の馬は左隅にある。つづいて寺院への奉献で、寺院にはアーチ、祭壇、灯が見え、シメオンは幼子イエスを抱いた聖母マリアを迎え入れている。そしてキリストの洗礼の場面で、イエスはヨルダン川に立っている。その傍らに洗礼者ヨハネがおり、楯石の右端で天使がイエスの衣服の裾をたぐっている。この、左から右へと展開する彫刻の説話群は、オーヴェルニュ・ロマネスクの中で、最も壮大な展開を見せる彫刻であろう。
(下の写真は「写ルンです」で撮ったため、映像が粗いです。正面にあるのがタンパン。図像が魅力的なのですが。)
これで、ノートル・ダム・デュ・ポール教会の見学は終わりである。
最後に、後陣に面したクーローヌ通りにまわり、後陣を眺めることにした。オーヴェルニュ特有の後陣の段層構造、そこには、石匠たちの叡智と美意識の結晶がある。中世の時代、天使の歌声と楽器の音が、建造物の石の奏でるハーモニーと交響していたのだろうと思えた。
今日のクレルモン・フェランの空気はどこまでも清々しく、柔らかな風が私の目をかすめていった。
その夜の夕食、私は街の人たちで賑わっているレストランで食事をとった。
前菜に「レンズ豆と鴨のサラダ」、メインに「川鱒のバターソース風味」。そして、この料理に合う地元のワインを選んでもらうことにした。
レンズ豆を食べたのははじめてである。鴨もめったに口にすることはない。とても美味しかった。鱒も日本では塩焼きくらいだろうが、バターソースと思いのほか相性がよい。
食後、ムッシューが「チーズは詳しいですか」と尋ねてきたので、「よくは知らないのですが」と答えると、盆に載ったチーズをひとつひとつ説明してくれた。その時、私のお腹は充分に満たされていたのだが、ムッシューの心温まるもてなしに答えるべく、勧められたチーズを頂くことにした。
その後、デザート、コーヒーへと続いた。
お腹も心も、はち切れんばかりの幸福感で満たされた。
ひとまずこれをもって完結としますが、旅は続きます。その後ひと月かけて南フランスを周遊し、パリへ。さらに北欧への旅へ。
続編は未定です。
*)柱頭彫刻、タンパンの図像学については、現地で購入した『Zodiac』叢書の『Basilique Notre-Dame-du- Port de Clermont-Ferrand』を参考にしました。
(追伸)
紀行文を書いていて、旅の言語表現は実際の旅とはいくぶん異なる様相を呈しているような奇妙というか不思議な感じがしました。言語と旅とが次第に離れていく、そんな気がしたのです。わたしの旅は日常がべったりと貼りついてブザマなのに、言語は日常から数センチ浮遊させるよう気がしたのです。まるでニコラ・ブーヴィエの「東へ」の旅のように。
(日曜映画批評 たまにトラベラー:衣川正和🌱kinugawa)