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映画の扉_cinema

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どんなに移動手段が発達しても世界のすべては見れないから、わたしは映画で世界を知る。
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#フランス映画

【映画評】 ギョーム・ブラック『遭難者』 バカンスの最大の敵は遅延だ

ギョーム・ブラック『遭難者』(2009)Le naufragé フランス北部の小さな港町オルト。 サイクリング中にパンクしたことで、「くそっ!」と草むらに自転車を投げ捨てるリュック(ジュリアン・リュカ)。 どこかゴダール的な諦念の罵声と行為も思えるのだが、こんなことで映画の始まりを見せるなんて、ギョーム・ブラックは尋常な監督ではないことが既に読み取れる。そしてよりによってか、どう控え目に見ても冴えないとしか思えない男シルヴァン(ヴァンサン・マケーニュ)が通り掛り、サイクリン

【映画評】 ダミアン・マニヴェル『イサドラの子どもたち』 3つの喪失と再生の物語

コンテンポラリー・ダンスに興味のある者なら、イサドラ・ダンカン(1877〜1927)の名を知らない者はいないだろう。彼女はモダンダンスの始祖として知られ、20世紀初頭を代表するサンフランシスコ生まれのダンサーである。幼い頃から古典舞踊を学んでいたが、その慣習的な舞に限界を感じ、自由なダンスを求め、1899年、ヨーロッパに渡った。1900年にパリでデビューし、その後、身体表現の形態そのものを変革し、ダンスに革新をもたらすことになった。順風満帆のイサドラだったが、1913年4月、

【映画評】 ギャスパー・ノエ『アレックス』(2002年版)についての小考察

公開当時(2002)アレックス役のモニカ・ベルッチ演じるアレックスの9分にわたるレイプシーンの暴力行為が賛否両論で渦巻いた作品なのだが、本作品の主題は時系列だろう。つまり時間の流れをどのように描くのかというエクリチュールの問題である。webからストーリーを引用すると ストーリーとしては単純な時間軸で推移するのだが、ギャスパー・ノエ監督はそう簡単には済まさない。彼は時間軸を組み替える。つまり、可逆的な時間への脱構築である。 邦題の〈アレックス〉とはモニカ・ベルッチ演じる主人

【映画評】 ロベール・ブレッソン『白夜』 Vol.2…モデル論…

《ロベール・ブレッソン『白夜』Vol.1…親密さと遠さの物語…》の続編です。 某花某日の夜 覚書き(3) モデル論  車が絶え間なく行き交い、背後には建設途中の近代的ビル群。わたしたちのイメージとは異なるパリの風景がスクリーンに映し出される。ここはパリとパリ郊外の境界であるサン・クルー橋。そこに右手の親指をたてヒッチハイクのポーズをとるジャック。周囲には同じ仕草のヒッチハイカーたち。ジャックは一台の車を止める。ドライバーは「どこまで?」と聞くが、ジャックは両腕をあげ肩をすく

【映画評】 ロベール・ブレッソン『白夜』 Vol.1…親密さと遠さの物語…

「美しい。この長さの白いネグリジェから、親密さと遠さ、その両方を感じさせます。」   このショット(写真)を見て、わたしの眼差しの先の女性はこのように述べた。鏡の前の白いネグリジェと素足のマルト。マルトは自らの身体を鏡に写し見つめる。   そうなのだ。ロベール・ブレッソン『白夜』は、〈親密さと遠さ〉、そして〈眼差し〉に満ちた映画である。マルトは鏡に映る身体の向こうに、いったい何を見ようとしているのか。 ロベール・ブレッソン(1901〜1999)監督作品のデジタルリマスター

【映画評】 フィリップ・ガレル『つかのまの愛人』身体、聖遺物

教職員専用トイレで喘ぎ声の女。 通路に蹲り嗚咽する女。 はじめに意味としての言葉ではなく、意味としての音声があった。 喘ぎ声は外部に向け、嗚咽は内部に篭る。 ガレルの冒頭はいつも意味深である。 ひとまずこう記しておく。 冒頭、大学の薄暗い階段に学生たちがたむろしている。そこにひとりの女が現れ階段をのぼる。 上階の扉を開ける廊下に出ると女は立ち止まり、人を待つ様子。廊下の奥からカバンを下げた中年の男が現れる。女はこの男を待っていたのだ。男は教職員専用トイレの扉の鍵を開け、ふ