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文学の扉_literature

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文学について書くとは文字テクストによる文学テキストへの返礼。 なんて無謀な行為なんだ。
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#エッセイ

【エッセイ】 川上三映子『すべて真夜中の恋人たちを』 触れる文学

部屋が本で片付かない。もちろん部屋を片づけることはできるのだが、本が床を占有しはじめ、部屋が片づかない。部屋は片づくのだが、部屋が本で片づかないのである。 中古家具屋さんに安い本棚を見つけてほしいと頼んでいるのだが、わたしの希望サイズの中古本棚を見つけるには2・3ヵ月かかりますよと言われた。あれから何ヵ月経過したのだろう。2ヵ月になるだろうか。まだ3ヵ月にはなっていないけれど、そろそろ本棚がほしい。「本棚が手に入れば部屋はすっきりと片づくよ。」そんなふうに言い聞かせる。わたし

【エッセイ】 ことばの匂い、写真家・エッセイスト武田花

ことばの記憶というものはあるものだ。 ことばの記憶といっても、単語を覚えているとか、フレーズを覚えているとか、そういうことではない。文章の持つ特有の流れや著者の息づかい、文脈の醸し出す匂いや湿気や空気感。そんなことが朧げな記憶として自分の身体に付着しているということである。 武田花のフォトエッセイ集を読んでいて、ことばの記憶、と口をついた。 武田花は1990年、『眠そうな町』で第15回木村伊兵衛賞を受賞した写真家、エッセイストである。 彼女の写真集『眠そうな町』を見たくな

【エッセイ】 岡田利規『部屋に流れる時間の旅』テクストとして読む

『部屋に流れる時間の旅』(新潮2016.4月号に掲載)はKYOTO EXPERIMENT 2016で上演された岡田利規の戯曲。 友人に紹介されて読むことにした。 舞台を観たくもあったのだが、台南にいた時期と重なり、観ることができなかった。 KYOTO EXPERIMENTのウェブには次のように紹介されている。 「前作の『地面と床』では、日本独自に洗練を遂げてきた能楽をも参照しながら、生者と幽霊が行き交う世界が構築されたが、今回はさらに踏み入って、〝死者に対する生者の羨望〟が

【エッセイ】 倉橋由美子『聖少女』を読んで

目覚めると喉に少しの痛み。布団もまともにかけないで寝たせいなのか。わたしの常はそうであるからウイルス感染は気にする必要はないと思うのだが、痛みが消えるまで自宅で過ごすことにする。 午前中、Kさんに手紙を書き、そして昨夜から読みはじめた倉橋由美子『聖少女』(1965)を読み終える。夕方には喉の痛みも消え始めただろうか。 『聖少女』は倉橋由美子が30歳の作品。『暗い旅』(1961)をはじめ、少女の意識の流れをテクスチャーとした作品を発表してきた倉橋なのだが、彼女自身、『聖少女