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私たちは不自由なまま楽しんでいい
メンバーシップで定期的なZoomの集いが走り始めて、参加者のみなさんから想像以上の刺激をいただいている。
5年前にTwitterで活動を始め、2年前には商業出版の機会をいただいたりもした。ちなみに出版自体には葛藤もあって、けっこう悩んだ。だって責任重大すぎるもん。「疾患の治し方」という超センシティブな話を、ペンネームとは言え私の名前で本にするわけで。しかも実用書のカテゴリだから、認知行動療法を実践するためのノウハウを真ん中に据えなければいけないわけで。エビデンスのある定説と個人的な体験を明確に切り分けて書かねばならないし、間違ったことは絶対に言えないし。プレッシャーがやばすぎた。それで、信頼できる専門家の方に監修をお願いできるなら、という条件で出版を受けた。まあ、私が心配するまでもなく、もとより監修が付く予定だったらしいのだが。ちなみにどちらにお願いするかについては、私の要望を100%尊重してくれた。監修の件だけでなく、本の構成や細かいイラスト表現なども含め、全体を通して私の理想の具現化をめいっぱい後押ししてもらえたと思う。改めて、幸せな経験だった。久々に徹夜などして書くのも、アドレナリン出て楽しかったし。
いや、そんな話をしたかったわけじゃなくて。つまり5年ほど活動を続けてきた中で、真新しい体験もできたりなどしてそれなりに充実感もあったけれど、Zoomの集いをやってみて、初めてはっきりとこう思ったかもしれない。「あー、やってよかったなあ」と。
参加者のみなさんと、発作あるある、予期不安あるあるなどをあーだこーだお話しして、「わかるーーー」「えーそれ私と真逆ーー」などと笑い合ったりして。これこれ、これがやりたかったんだよずっと、となった。いや、「これ」と言えるほどピンポイントにやりたいことを思い描けていたわけじゃないのだけど、「こうあるべきだよな」「こうだったらいいよな」という私の中の理想のG線上に、Zoomでのみなさんとの交流がドンと乗った感じがするのだ。
常々思っていた。疾患を抱えた人が疾患を抱えたまま楽しんだっていいんじゃないかと。疾患に対する後ろめたいスティグマがなぜ生まれるかって、その源の一つはたぶん、疾患のない「ノーマル」界隈にしか幸せ、よろこび、楽しさは存在しないという概念だろう。人は誰だって幸せに暮らしたい。その幸せがノーマル界隈にしかないと思えばこそ、とにかく早くその仲間入りをせねばならないと焦る。仲間入りできない自分をみじめに感じる。
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