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オーペン!

少し前の邦画を観た。昭和のノスタルジックな場面、小学生の男の子が女の子のスカートめくりをしていた。今はおそらくもう無いだろう。今の小学生、男子が女子にしでかしたらどんな報復が待っているか分からない…とおばさんは一人取り越し苦労する。いや今の子はそんな事はしない。彼らは間違いなく賢い。何だか子供が大人になっている。

…はさて置き、この邦画のこの場面を観ている時、似たものを思い出した。
息子は中一だが、情薄で時代遅れの両親が今まで英語塾に通わせず、しかも中途半端な私立に入れてしまったため、独り善がりな教師に一年間翻弄され、元々苦手な分野だった可能性も手伝い、すっかり英語嫌いになってしまった。それでも理解ある塾に通えるようになり、健気に少しずつ勉強を始め、うっすら世の中に信頼を取り戻しつつある感じである。

若さとは、失ってしまった頃その価値が分かる。当時如何に自分の貴重な時間を浪費していたか、その時初めて思い知らされる。それが如何に醜く愚かなものであったとしても。そう、決して若い頃というのは美しいだけのものでは無い。苦労の連続で彼らは不器用に生きるしか術を持たない。歳を取るというのはその醜さも失うことである。

で、日々劣等感やら教師や同級生からの攻撃やら叱るばかりの親への不信で傷だらけであろう中一サーティーンの息子。彼が癒される時間のひとつに、スイミングスクールの後の三ツ矢サイダーがある。この事に関して賛否はあるだろう。しかし私も与え続けた。私は体調を崩して病院に行くと必ず母親にパックの苺ミルクをねだっていた。母親は必ず買ってくれた。私はそれが嬉しかったので、今でも憶えている。そして息子はバタフライが出来るようになった。もしかして三ツ矢サイダーをケチっていたらバタフライは無かったかもしれない。因みに大人になった私は、苺ミルクは一切飲まない。
とにかく息子は三ツ矢サイダーが好きだ。「この一杯のために頑張っている」感が凄い。

水泳後、冬でも500mlを一気に飲もうとする。私は将来の息子の体を慮って控えるように言う。しかし、息子は薄笑いをするだけで余り改めようとしない。三ツ矢サイダーとファンタグレープを並べ「大人もお酒を飲むでしょ、これが僕にとっての酒なんだよ」と息子名言も飛び出している。両者飲料のシュワッとした切れと後味の爽やかさを味覚過敏な息子はよく心得ている。

さて、前置きが長くなったが、昨日のスイミング帰り息子が三ツ矢サイダーを飲もうと
「オーペン!」
と景気良く声を掛け、プシュッと蓋を開けた。
一瞬…彼が何を言ったのか分からなかったけど、彼が機嫌よく三ツ矢サイダーを飲んでいるのを見ながら理解した。
オー、ピー、イー、エヌ。OPEN。
そう、正に彼は今開けた。蓋を。

英語嫌いな息子。しかし彼はopenの綴りを理解した。きっと彼なりに試行錯誤して綴り通りの発音をして覚える方法を試みたのであろう。でも、そういう手応えが英語の学習をして初めての事であった。それが証明された。私は母親として少し肩の荷が降りた気がした。そして息子の楽天的な物言いに大いに癒されてもいた。この子は強い。

…と、少し前印象深い出来事があり、私はそれを記憶していた。
そして今日、邦画の例の(スカートめくり)の場面で何だか両者がダブったのだ。
何だろう。若さとは繰り返すが、愚かなものである。それが故に独特な大胆さがある。あっけらかんとした、善悪を超えた明るさ。ジェンダー問題は一時置いておいて欲しい。男の子が女の子のスカートをめくるという景気良い行為と息子の「オーペン!プシュッ(蓋を開ける)」は陽の気に満ち、陰の気が無い。
 若さの愚かさに羨望するのみの未だ生きるのが下手なアラフィフである。