推しの死 脹相が教えてくれた、悲しみとの向き合い方
推しが死んだ。
その事実をなかなか受け止めきれずにいるので、心の整理もふまえ初めてnoteに投稿してみることにした。
私はマンガ、アニメが好きだ。
これまではマンガアプリの運営に携わってきて、色々な漫画家さんの作品を読む機会に恵まれてきた。
今はオーディオブックを制作する会社で、アニメに声という命を吹き込む声優さんと関わる仕事にも恵まれている。
自身の趣味としても、10年ほど細々と小説を投稿しており、
とにかく『物語』というものに触れること、作ることが好きだ。
▼小説は時代ファンタジーをメインに書いている。
そんな、仕事としても趣味としても沢山の物語に触れてきた自分が、これまでの人生で一番といっていいほどハマった人物が
呪術廻戦の脹相というキャラクターだった。
▼アニメ公式サイトのキャラクター紹介
私は脹相というキャラクターを「推し」ていた。
※彼の魅力は作品を見て頂く方が早いので、
「なぜ脹相は魅力的なのか?」といったことはこの記事ではあまり触れない。
その脹相が死んでしまった(原作259話)。
ざっくり話すと、弟である主人公・虎杖悠仁を守るため、炎に焼かれて逝った。
灰になって消えてしまった推しに、はじめは言葉が見つからなかった。
あまりに儚く、惨たらしく、美しく、文字通り散ってしまった推しの姿に暫く唖然としてしまった。
時間が経ち、何度もそのシーンを繰り返し読み、推しの死を認識するうちに涙が出てきた。
あまりに心が苦しくなったので、以下のようなことをして自分を慰める手段に出た。
・友人や家族に話したり、会社のチャット(自分の日常を垂れ流している専用チャンネルがある)に書き込んだりして、温かい慰めの言葉をもらった。
・X(旧Twitter)のTLで、兼ねてよりフォローさせて頂いている脹相推しの絵師さん達の感想や呟きを何時間も眺めて、自分と同じ気持ちを今まさに味わっている人々とひっそり心を共にした。
時間が経つと、その絵師さん達が脹相への感謝の言葉や、存在したかもしれないIFのイラストを投稿されているのを見つけ
すべからく「いいね」。
・YouTubeでピアノ演奏の動画をひたすら流して聴く。
▼人生で一番好きな「戦場のメリークリスマス」
リンクは坂本龍一さんご本人演奏のもの。
※坂本龍一さんが逝去された時も、暫くショックを引きずった。
周囲からは「新しい推しを作ろう!」「日光を浴びて身体を動かそう!」といったアドバイスももらったが、
私の場合、自分の感じている悲しみに真正面から向き合いたいと考えてしまうようで
ひたすら脹相のことを思い浮かべながらも心を癒せる行動に走った。
そして、今なお悲しみの最中にはいるものの、
このショッキングな出来事は自身にとって良い動機付けも与えてくれたことに気づく。
①アラサーになっても夢中になれるものに出会えたこと
様々なコンテンツに触れるごとに、当然ながら新鮮さは無くなっていく。
特にバトルもの、デスゲームものを好んで読む自分は
「ここでこのキャラが死ぬことで読者を泣かせにきてるんだな」と考えることが増え、
だんだん穿った見方で作品を読むようになっていた。
そんな中で「呪術廻戦」の「脹相」というキャラクターと出会い、
「あれ?なぜだか分からないけど、このキャラだけやけに気になる」
「なぜだかこのキャラには頑張ってほしい。もっと活躍シーンが見たい。応援したい」
という衝動に駆られた。
正直ルックスだけでいうと、自分の好みの系統ではなかったが、
なぜか脹相には惹きつけられるものがあって、気付けば推し活を始めていた。
これまでも三次元のアーティストにハマって毎年ライブに参戦したり、別ジャンルで好きなものを推すことはしていたが、
歳を重ねるごとに段々と熱が醒めていってしまい(それでも10年以上はファンクラブに在籍していたから長い方だろう)
何かにハマるような経験はこの先ないかもしれないな、
ハマっても若い頃のような熱さ、行動力、のめり込み度には叶わないだろう、
と少し寂しい気持ちもあった。
そんな思いを覆してくれた推しの存在。
自分が何かに夢中になれる感性を持っていたことを認識させてくれたのが、脹相というキャラクターだった。
②悲しみを分かち合える環境があることへの感謝
前述したように、主にXの投稿を通し、世界の脹相推しの人々とリアルタイムに悲しみを共有することができた。
これはアニメ・漫画のキャラクターだからこそできることだ。
皆が同じタイミングで作品について語らい、同じように涙することができる。
何千、何万という人が心を痛め、思いを世界に向けて吐露する場所がある。
推しへの思いを文字にしたためたり、二次創作で幸せなIFの世界を創造したり、チャットで言葉を交わしたりと
悲しみを吐き出したり、昇華したりできる場所があるのだ。
推しの死にショックを受け、年甲斐もなく大泣きをしてしまったが、
同じように涙が止まらない、仕事が手につかないといった投稿をされているフォロイーさんたちの文章を見て、
今この悲しみを受け止めている人が世界に沢山いるのだと、
悲しみを抱えている人に対して適切な言葉とは言えないかもしれないが、私は勇気をもらえた。
③創作意欲を引き出してもらえた
同じアニオタである夫が、塞ぎ込んでいる私に言ったひとこと。
「こんな風にキャラクターの死を深く悲しむ人たちがいるから、
二次創作というものが生まれたんだろうね」
きっとその通りだろう。
推しの死から一日の間に、Xやpixivには脹相の転生IF、幸せだった過去IFなどが沢山投稿されているのを見た。
みんな、どうにかして彼を幸せにしてあげたい、彼が幸せだったと信じたいという気持ちを抱えているのだろう。
そしてそれらを鑑賞させて頂いたお陰で、私も心が少し軽く、そして穏やかになれた。
二次創作は創作者自身も、それを見た人の心も救ってくれるのだ。
私自身は、二次創作をしたことはない。
漫画や小説は書いてきたが、基本的にはオリジナルのシナリオベースで作品を作っている。
(時代物の作品では、実在した偉人を登場人物としているものも多く、伝承される性格やエピソードも参考にしているが、
いわゆる他に作者のいるコンテンツから派生させているわけではない)
二次創作をしたことがないのは、自分のキャラへの解像度が充分か、という不安と
自分なりの表現を、見た人に受け入れてもらえるかという不安が根底にあるためだ。
オリジナルの小説を投稿した時でも、たまーにネガティブなコメントが付くと酷く落ち込むので
人気のコンテンツの二次創作は自分のメンタルが保つかという恐れから、作ったとしても世に出すことは今後もしないと思う。
けれど二次創作はしないものの、
「推しが死んだ」
という出来事と直面したこと、それによって感じたショックや悲しみについては
どうにか昇華させたいという動機付けを与えてもらえた。
そういうわけで、これからも小説投稿の創作活動を続けていこうと思う。
一人でも二人でも良い。
自分の作品を読んでくれた人の心を、少しでも救えるような、そんな話を書き続けたいと思う。
④美しい生き様を教えてもらった
脹相という人物は、かなり特殊な生い立ちをしていて
生を受けてから150年間、瓶の中に封印されていた。
150年間、自我はきちんと持っていたため
同じように瓶に封印されている唯一無二の存在——弟たちと会話をしながら生きてきた。
ところがようやく瓶の外の世界に出これたのも束の間、その弟たちが死んだ。
主人公・虎杖悠仁に殺されたのだ。
脹相は復讐を決意し、虎杖悠仁を殺そうとするが、
実は虎杖は血の繋がりのある弟であることを知ってからは一転して虎杖の味方となる。
一度は戦いで死にかけ、別のキャラに命を繋いでもらい
「生きろ」と望みを託してもらった脹相だが
弟を守るために命を賭け、死ぬ覚悟でそれを遂行した。
150年瓶の中で耐え忍び、外の世界に出てきてわずか2ヶ月程度で生涯を終えた彼だが、
彼は恐らく悔いなく最期を選ぶことができたはずだ。
そして兄として、彼の存在は虎杖悠仁の心に強く刻まれたことだろう。
⑤推しは推せる時に推せ
二次元ではないが、過去に好きだったアーティストの訃報にショックを受けた経験がある。
ヒトリエというバンドのヴォーカルで、wowakaさんという人物だ。
ボカロPとしても名を馳せていた方で、ボカロ全盛期に大学時代を過ごした私にとっては青春の象徴のような存在だった。
いつかライブに行ってみようかな、と思っていた矢先にwowakaさんは亡くなってしまった。
ちょうど今の私と同じくらいの年齢だった。
どうしてご存命のうちにライブ会場へ足を運ばなかったのだろう?と何度も思った。
ずっと前から聴いてきたアーティストで、上京してきてからはお金も時間もそれを許す環境にいたはずなのに、なぜそれをしなかった?
ご本人に自分を認知してもらいたいという話ではないが、
1ファンとして、「あなたを尊敬し応援する人間が今ここにいる」のだということを行動で示せていたら、自分の心がもっと救われたのではないか。
そんな過去があった。
以来、少しでも気になったアーティストのコンサートには必ず足を運び、
好きな作家さんやYouTubeチャンネルの投稿にはコメントを残したり、
何かしら「推している」ことを示す行動を心掛けてきた。
心の中で「好き」と思うだけでなく、周囲やご本人など、外側に向けてこの気持ちを発信していこうと意識を切り替えたのだ。
そして脹相を推すようになってからは
彼の良さをうるさいほど周囲に語ったり、
グッズを集めてみたり、
呪術廻戦のイベント関連に足を運んだり、
渋谷の某トイレや飯田橋の某商業施設など脹相の聖地を巡礼してみたりと
外側に発信すること、それから時間とお金もそれなりにかけて推し活を続けてきた。
その上で、脹相の死の描写を目にした現在。
これまでの思いと思い出から、くるものも大きかったが
(物語の中で)生きているうちに推せて良かったな、とも思えた。
大好きな存在の死はとても辛いものだが、
wowakaさんを世界から失った時のような後悔を感じることなくその時を迎えたのである。
「推しは推せるときに推せ」
という言葉を聞いたことがあるが、
私にとってこの言葉は
「生きているうちに推せ」
なのである。
最後に。
短く潔い生き様を見せてくれた脹相からは多くを学ばせてもらった。
弟のために生きることを望み、それを貫き通した見事な生き様と
悔いのないような綺麗な兄弟の別れ方で描かれた脹相の最期は私を鼓舞してくれた。
いつどうなっても悔いなく生きられるよう、やりたいこと、やるべきことをすぐに始めよう。
そんなモチベーションを与えてくれた。
早速、私は二つのことを始めた。
一つは、ピアノの練習。
推しとも物語とも全く関係ないが、衝動的に
「そうだ。ピアノをやろう」と思い立ったのである。
推しが亡くなってから、ひたすらピアノ演奏の動画を探して流していたのも
ピアノの音を聴くと心が癒される、という感覚が自分の脳に刻まれているからなのかもしれない。
ピアノは10年以上習っていたのだが、
久しぶりに楽譜を開いてみたら、譜面を読むことすらできなくなっていて軽く絶望した。
今は楽譜の読み方を学び直しながら、鍵盤を叩いてみているところだ。
元々音楽が好きで、フルートやバイオリン、作曲なども経験したが
悲しい時ほど音楽を演奏したり、音楽を聴きたくなるものだと自分は思う。
だから自分の悲しみに、自分の演奏で寄り添うことができたらもっと心を癒せる気がして
今また愚直にピアノを弾き始めている。
もう一つは、新しい小説の執筆。
この10年、ほぼ間隔を空けることなく小説を連載してきたが
ここ暫くは推し活と私生活の忙しさで投稿から遠のいていた。
しかし悔いを残さず生きた脹相に倣い
書きたいものは書ける時に書き切っておこうと、また新たに筆を取ることにした。
推しを亡くした悲しみが
自分の創作活動の原動力になってくれたこと。
脹相と、作者である芥見下々先生に感謝したい。
こんなふうに考えながら、
推しの死と向き合い、時間をかけて心を癒していきたいと思う。