喫茶ライスシャワーの懺悔室~米田雫の福音書~ 12話
そろそろ陽も落ちかけた曇天の午後。。気だるげな空気が街に漂い、雨が降りそうな予感がしていた。
待ち合わせの西武新宿線横のレンガ塀に寄りかかる、恐らく東雲ゆいかと思われる女性に僕は声を掛けた。
「こんにちは! デイライトから来ました、REITOです。東雲ゆいかさんでしょうか?」
「……」
返事は無い。間違いだろうか? しかし、指定された特徴とは合致している。
その女性は艶のある黒い髪を肩まで下げ、真っ赤な口紅を塗り、全身を黒のパンクスーツで覆っている。小柄な顔に華奢でスレンダーな身体。身長は高く、僕より少し低い程度で、女性にしては十分高い。この付近には他にそれらしい人物はいないし、彼女は割と人目を惹く。似たような人物がいるとも思えなかった。
「あの……」
再度の問いかけに彼女はスマホを弄る手を止め、僕の方をじっと見つめた。
何かを探るような瞳。そして彼女はポケットに手を入れた後、紙片を取り出し僕に見せた。
『ついてきて』
それだけ書かれた紙を見せたと思ったら彼女はツカツカと一人で歩きだしてしまう。僕は何も質問させて貰えぬまま、彼女の後を追うだけだった。
普通、最初はどういったプランにするか、多少の打ち合わせをして臨むことが多いのだ。事前にこういうことがしたい、とメールに記載されていることもあるし、その確認もある。しかし彼女の要望は空欄だった。だからこの後のプランは実質白紙であり、僕がリードすることになるかと思いきや、どうやら今回は彼女に付き従うことになりそうだった。
繁華街の中に入り、彼女はゲームセンターに入る。僕は笑顔を崩さぬまま、何も喋らない彼女の後ろについていく。彼女はクレーンゲームや音ゲーなど、一人で出来るものばかりをチョイスし、僕は都度盛り上げようと応援するが、彼女は痛い視線を僕に送るだけですべて空回りしていた。
――駄目だな、今回は。
諦めが良いほうではない僕が早々にこれはまずそうだと、デートが失敗に終わる覚悟を決めていた。
これは兎に角彼女の方に僕とコミュニケーションを取る気が皆無なことが問題だった。僕の方から様々なアプローチを試みたが、彼女は僕を一瞥するだけで、会話をしようとしない。僕は完全に彼女の後ろで音頭を取るだけのフラワースタンドみたいなものだ。
彼女の意図がいまいち読めない。ただ僕を指名したことだけは確実で、僕としては仕事をせざるを得ない。ただ無為に、時間だけが過ぎていく。彼女はゲームセンター内のベンチに座りまたしてもスマホとにらめっこをしている。やれることはやらないといけない。そう思い僕は自販機で飲み物を買い、彼女に差し入れようと持ち寄る。
「はい、どうぞ」
駄目か? と思ったが彼女は僕を一瞥しただけですぐにスマホを弄り始める。
「あの……いいかな?」
僕のスタイルはレンタルしてくれた彼女たちの声を聴くことだ。でも、今回は敢えて自分の話をしようと思った。彼女が喋る気がないなら、自分から動くしかない。失敗には終わるかもしれないが、せめて何かを残したい、そう思ったのだ。
「悩み、あるでしょう?」
彼女は胡散臭い者を見る目で僕を睨む。その顔にはハッキリと「悩みのない人間なんているの?」と書いてある。その表情は僕の質問が如何に愚かかと問うている。
「当ててみようか?」
挑発的な物言いは得意じゃないが、この場合は彼女の気を引かねばならないから仕方ない。興味を引くためにはこういうことも必要だ。彼女は癪に障ったのか僕を睨み付けたまま動かない。どうやら最初の作戦は成功したようだ。
僕は彼女の目をジッと見つめ、それから思わせぶりに俯く。
「わかった。悩みは『告白』だね? 二人から言い寄られてどっちを選ぼうか悩んでいる、みたいな?」
彼女の瞳が大きく見開かれる。それは「どうしてそれがわかったの?」と雄弁に語っていた。
「そりゃあわかるよ、だって、『彼氏』だからね」
僕はあくまで挑発する姿勢を崩さない。ただし、笑顔のままで、だ。
種明かしをすれば簡単だ。彼女のスマホの指の動きを僕はさっきから覚えているのだ。それを自身の指でトレースし、再現してみただけのことだ。最初は気にしていなかったが、さっきから僕を無視し仕切りに動かしている彼女の指の動作のいくつかが気にかかった。直接画面を見ればマナー違反かもれしないが、彼女の僕を無視する態度もお互い様だと思い、一矢報いてみることにした。僕は他人の動きを読み取れる。これを試みたのは実は初めてではない。悪戯心ではなく、必要に迫られ編み出した技でもある。読唇術ならぬ、読指術とでも名付けようか?
少し、使う前に躊躇はあった。嫌な思い出でもある。そう、読み取りを最初にした相手は僕の実の――。
――やめよう。頭を振り、過去の事を置き去り今に振り返る。
彼女のラインの送信先も受信先も複数のようで、そこには「愛してる」「どちらを選ぶの?」「どこにいるんだ?」「今ならまだ間に合う」「警察には知らせてない」「帰ってこい、俺のところへ」「私の所へ帰っておいで」「時間になったら出ろ」「心配だ」「会いたい」そして最後の方に「どちらを選ぶにしても連絡をしてくれ」と〆られていた。意味の分からない文章や、やや物騒なものもあるが、彼女の悩みは見て取れた。
「違っていたら謝る。勿論こういうことを詮索されたくなかったのなら完全に僕が悪い。でも、君のこともちゃんと向き合って良いデートにしたかったんだ。……こっち向いて、くれないかな?」
「……それ、頂戴」
彼女はスマホを弄る手を止め、僕から飲み物を受け取った。
初めて聞く彼女の声は思っていたよりか細く、幼い印象を受けた。
「……逃げてきたの」
彼女はポツリ、とそう漏らした。
「……どっちも、嫌いなのかな?」
僕の問いかけに彼女は首を横に振るう。
「……どっちも好き。だから……」
彼女は涙をこらえる様に下唇を噛む。
「そっか、ちょっと羨ましい」
「え?」
「いや、僕は好きな人から言い寄られたことなんてないから」
「……こんな仕事しているのに? お客のことはやっぱり好きじゃないの? 仕事だって割り切ってるの?」
「はは、いやお客様のことはそりゃあ好きだよ? 僕を指名してくれて、時間を費やしてもいいと思っている。勿論幾度か告白されたことはあるけど、でも、その好きと、本気の好き違うんだ」
「……本気の、好き?」
「そう、愛、かな?」
気障すぎるか? と思わなくもないが僕の本心である。
「僕は受け取ったお金の分、満足頂けるように仕事をする。そこには誠意もあるし、好意もあるけど、本気で好きになった相手からは何も受け取らないし受け取りたくない。ただ無償で、尽くしたい。そう思っているから」
「……」
彼女は黙って僕の話を聞いてくれている。ようやく少しだが、心が通じた気がした。心に垣根がある人間には、自らもある程度曝け出して望まないと駄目なことがある。勿論すべてにそうだとは言えないが、今回はどうやら成功したようだ。
「……そうして欲しい人が、いるの?」
「……今この場で、首を縦に振ることはマナー違反だけど、そうだね」
今僕は、君の彼氏だから――。そう言外に匂わす。
「どうしたいの、その人と?」
「……さあ」
彼女の質問に今度は僕が黙る番だった。どうしたいんだろう? 僕は、彼女と――。
「……何となく、わかった」
「え?」
「だってお兄さん、優しい顔してる」
肩を竦め呆れ顔で彼女はそう言った。しかし口元は少し綻んでいる。
「あの、君はどうしたいの?」
「……そうだね、選べない。どっちも、愛しているから」
寂しそうに彼女はそう言った。
「どっちも選べないから、逃げたの。独りで生きて、独りで何とかするために」
彼女はそう言って空いている左拳を握り締める。
彼女なりに、色々あるのだろう。僕は最初の彼女の印象を上方修正するとともに、今回のデートが何とかなりそうだと少し胸を撫でおろしていた。
「そっか……それで、今日はどうして僕を?」
「……」
彼女は口をまごつかせ、何を言おうか迷っている様だった。
結局彼女は何も言わなかった。俯いたまま、受け取ったペットボトルをじっと見つめている。
その時彼女がビクッと身体を震わせた。彼女は自身のスマホの画面を見つめ、固まっている。……何か連絡でも入ったのだろうか?
彼女は俯き思い悩んだような顔をし、僕のほうをちらと見た。
そして意を決したかのように僕から受け取った飲み物を開け、一口飲むと、僕の手をいきなり掴んだ。
「え、ちょ……」
僕は彼女に引きずられるように店から出て繁華街を連れ歩かされる。
「どこへ? いや、でもなんでいきなり……」
歩き回りながら、嫌な予感がどんどん増大していく。歌舞伎町の中を抜け――人通りが、まばらになっていく。この場所は――。
「駄目だよ、こっちは!」
思わず強く拒絶した。そう、ここはラブホテル街だ。
僕らレンタル彼氏の最も強い禁止事項。肉体的接触の最上位、性交渉。その場に僕は連れてこられていた。
しかし彼女は僕の意など解さぬように僕の手を強く引っ張る。もう一軒の白いホテルの入り口が目前だった。
「駄目だって! 離して!」
振り払おうとし腕に力を入れた時、彼女の顔が目に入るとその瞳は涙に濡れていた。
「ごめんなさい……」
「――!?」
瞬間、眩い閃光が走り――。
「何してんだ!」
「え!?」
僕は後ろから羽交い絞めにされる。
「おら、こい!」
「え、え!? えええええ!?」
僕は強い力に引っ張られるままに、横道から車道に出る。そしてそのまま、黒塗りのワゴンに押し込まれた。
「は? あ、貴方は――」
「おうこら、よくもまあうちの可愛い娘に手だしおったな?」
明らかに堅気でない――どうみてもやくざな人に凄まれ僕は顔を顰めた。
「あ、あの……」
「お前、よくもまあ『未成年』のうちの子をホテルに連れ込もうとしてくれたな? まあ、ついてこいや。落とし前付けて貰うから」
僕はようやく事態に気が付いた。ああそうか――。
『今すぐ、お休みを取ることをお勧めします』
彼女の言葉がリフレインする。そして、その忠告が既に手遅れになってしまったことに。
――僕は『美人局』に引っかかったのだ。