すべての悲しみにギガデイン
――世界を救えるたったひとつの呪文を挙げろと言われたら?
そんな質問をされる場面、後にも先にもこの世の果てにもどこにだってある訳がないだろう、という前提はさておき、
それでも私なら、とっさにギガデインと答えてしまう。
この呪文を最初に使った人物は、ドラゴンクエスト3の勇者だから。
彼への礼儀だ。
あるいは自分の人生に浸透してしまったゲームの主人公になりきるのが、質問に対する最も正しい答え方だと思うから。
FC版ドラクエ3を体験出来ただけで運が良かったと思っている。
出会いは小学4年生の頃だった。
ごく普通の、毎日頭につける髪飾りにこだわる、模範的な優等生女子だったはずだ。にもかかわらず、
10歳の私は日々ありえない程のストレスにさらされていた。
ひと言でいうと男女双方からモテすぎた。
今考えても、あの現象は度を越えていた。
アイドル志望でもない限り、モテれば良い、人気があれば良いというものではない、ということを身を持って知った。
細かい事を書くのは避けるが、心がパンクしそうだった。
とにかく、教師、親、同クラスの男女、全てとうまくやりながら、勉強もやる、
この誰にも相談出来ないストレスから逃れられる唯一の場所はゲームの世界だけだった。
必然的に陰陽2面生活に入る。
集めた漫画、小説、サントラは机の引き出し奥深くに隠し
学校ではドラクエ3が何よりも大好きだということを誰にも言わなかった。
オープニングの無音の黒画面と
淡々とした白文字にいざなわれて始まった誰にも秘密の冒険。
あとは各所で広く語られる通り。
クリア後は放心した。
余計な要素のないシンプルな作りだったからこそ
どのゲームよりも想像力が鍛え上げられたように思う。
鳥山明のキャラクターデザインがあれば十分だった。
主人公含めキャラクター達はほとんど喋らないし、背負った過去もない。
RPGにありがちな『進行させられている』『意思に関係なく進むストーリーをただ追っている』感が一切なかった。
レベルを上げ、新しいアイテムを手に入れる度に
文字通り世界が開け自由度が上がる。
自由、欲しかったものはこれ。
冒険をしているのは自分自身だ、と思え
、最後の最後の最後まで、ロトと完全に同化する体験が出来た。
冒険の書のバックアップの消えやすさは、私達の本気度を試す容赦ない試練だった。あれもれっきとしたゲーム性、物語を成す一要素だ。
すぎやまこういちにより
NHK交響楽団のオーケストラ演奏と8ビットサウンドが違和感なく対になり得た時代、
3の音はそういう意味で完璧だった。
画面を構成するドットの色調は、1や2、既に発売されていたドラクエ4とも違った。
色のトーンが世界観を違える大きなパーツになっていることにも気が付いた。
例えばフィールド、同じ海の青でも4の青は深く紫がかっていて
3の青は水色に寄った澄んだ色をしている。
フェルメールブルー、みたく
あの感傷的な希望を連想させる青には『ロトブルー』と名前を付けるべきだ。
きっと今後どれだけリメイクを重ね進化したとしても
あの3だけはどうしようもない奇跡だ。
彼が唯一無二の勇者。
自由のない人形みたいなアイドルになるのじゃなくロトのような冒険がしたい。
少なくともあの時の私が必要としていたのは、ベホマズンじゃない。
世界を救う唯一の呪文はギガデインでいい。
自然現象の中でも雷の瞬発生と浄化力の強さ、引きの速さ、場のエネルギーを切り替える力は他に類がない。
それに
人生においては
だらだらとした回復、よりも
『電撃に打たれる』ような出会いや気づきを得る体験をすることの方が大事だと、よく知っているから。