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老眼とはなんぞや?

老眼…心当たり、ありますか?

40歳も半ばを過ぎた頃、とうとう私の目の前にも、ある日突然、噂のアイツがやってきました。来るよ来るよとは聞いていたんです。でもなんか勝手に、もしかしたら自分には来ないかもしれない…なんて思っちゃったりしてたんです。

噂のアイツ。それは『老眼』
はい、加齢によるところのアイツです。

何を隠そう、私の仕事人生は常に眼科•コンタクトレンズ界隈をいったりきたり。なので、当然知ってました。「老眼、来ないわけないじゃん」て。
なんならとっくに、ジワジワ始まっていた…それをただただ無視してやり過ごしていただけの話です。

そうなんです。
『老眼』とは、ある日突然始まるといったものでは決してないんです。
ただ、ある日突然ハッと気付くんです。
「もう、やり過ごせないな…」って。
その限界に。限界?なんの?
それは「調節力」。
そう、『己の目の調節力の限界』です。

導入から、やたらクドクドと回りくどくてすいません。

でも、クドクドと回りくどくなっちゃうんです。
老眼問題を前にすると。何故なんでしょう?
すごく往生際悪くなっちゃうんです誰しも。って、あくまで私調べですが。
妙齢になり、最初に立ちはだかる「老い」問題が老眼だからでしょうかね?

でもそれ、無駄なんです。
超〜〜〜〜無駄な時間。
限界まで頑張る事に百害あって一利なし、といっても過言ではないかもしれません。頑張ったところでやってくるのはご褒美じゃありません。

眼の奥のズーンとした痛み…
終わらない頭痛…
なんならひどいと肩こりも…

これじゃ何をする気にもなれません。

妙齢世代をやたら往生際悪くさせるこの『老眼問題』について、今回ちょこっとお話しさせて下さい。なぜならこの『老眼問題』は、眼科分野の端くれに身を置く自分にとっても、なかなか悩ましい課題だったんです。


近視の人の老眼サイン

『老眼』の話をすると、だいたいの人が

「本の小さい字とか、スマホの文字が読めなくなるやつでしょ」

といいます。中には…

「私は小さい字もメガネをはずせばはっきり見えるからまだ老眼じゃない!」

なんていう人がいたりもします。

「いや、それも立派な老眼だよ」

と話すと、

「えー?だってちゃんとはっきり見えるているのに??近くが見えなくなるのが老眼でしょ?」

…うーん…。

それだと、ちょっと違うんです。
正確にいうと、

『老眼』とは、
✖️近くはピントが合わなくなる
◯遠くから近くにピントを調節する力(調節力)が落ちてくる
なんです。

例えば。

もともと近視の人(=メガネかける事で遠くを見やすくしている人)の場合、メガネをかけても問題なく見る事が出来ていたスマホの文字が、メガネを外したほうが最近見やすいなぁ〜となったなら、それは十分老眼のサインという事になります。

もう少し詳しくお話しすると…

近視の人はもともと近くにはピントが合う目の構造をしています。

裸眼視力は0.1以下で遠くの景色はボヤボヤ…でも手元のどこかに、はっきりピントの合う位置がある、そんな方は近視です。(ちなみに遠視の人は「どこにもピントが合わない」なのですが、この話は長くなるのでまた別の機会に…)近視の人は小学校〜中学校あたりで、黒板の字が見づらくなってきてメガネをかけ始めた、なんて方が多いと思います。

このメガネは、ピントの合う位置を近くから遠くにとばす目的でかけていた訳です。

若い時は目の調節力がバリバリにあるので、メガネをかければ遠くも見える、近くも見えるで問題なく快適に過ごせていましたよね。自分で意識する事なく、目の調節力が自由自在にピント合わせをしてくれていたんです。

でも、気づかないうちに誰しもこの調節力、衰えていきます。
これが老化現象というやつです。いわゆる老眼、ですね。

遠くにピントが合う状態(=これを完全矯正の状態、と呼んだりします。近視の人ならメガネをかけた状態)で、手元のピント調節が難しくなる、此れすなわち『老眼』なのです。

メガネをはずした状態で近くにピントが合う、というのは調節力とは関係のない「近視の目の構造上の特性」です。メガネをはずしてピントが合ったって、メガネかけたらスマホがつらいんなら老眼なんです。
ここをまず、一旦受け入れましょう!

だって、受け入れない事にはその先の快適人生がひらけていかないのですもの。大げさ過ぎですか?いえいえ、そんなことはありません。
なぜなら、私がまさにそうだったんです。


老眼を受け入れたその先…

そして今。
私は心から思います。

①老眼なんてものはあっさり受け入れる
②己の調節力を酷使させず労われるだけ労われる術を選択する
③あれもこれもとパーフェクトな見え方を求め過ぎない

この3つが大切なんだって事を。

特に③。これからは自分の「見たい距離」に照準を合わせる事で犠牲になる「見えない距離」をある程度諦められる=ファジー(昔、流行りましたね〜この言葉)な見え方を受け入れられる人の方が、自分の体と心に負荷のない生活に辿り着ける気がしています。

そんなワケで、また近いうちに老眼を受け入れた後の次のステップ「老眼対策のあれこれ」や「私が選んだベスト老眼対策」なんかを、ちょっとずつまとめていければと思います。

それでは、また。

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