ちいここ下甑島ツアー2日目(2024/8/27)
3日目28日の早朝4:42です。
忘れないうちに記録したいと思って4:00ごろにトイレで目が覚めてからずっと書いています。笑
追記ですがその後また寝て、7:40ごろに起床しました。危なかった。笑
2日目27日は、朝起きたら頭はスッキリ、安心しました。前日、訪問先の変更があり私は鹿島に行けることに!
少しずつ読み進めていた本に登場していた鹿島断崖や、あわよくば中・上甑島にも行けちゃうんじゃない?!という期待を込めて、そして診療所に行けるという点に惹かれて希望しました。
朝起きると、メンバーの1人が下甑産のお米を炊いてくれていました。
昨日かわんぐいでいただいた伊勢海老の味噌汁(贅沢すぎる!!!🦞)でねこまんまにしていただきました。
なんだかこの前の日光旅行からずっと、お米が沁みる。身体に沁み渡る。
宿泊している旧迫田邸から車で送迎していただき、待ち合わせまで時間があったので、まずは鳥ノ巣山展望台へ連れて行っていただきました。
この展望台では、下甑島の北端に位置し、海峡をはさんで中甑島を眺望できます。中甑島と下甑島を結ぶ甑大橋がとても綺麗に見えました。
また、澄み切った朝は、遠く薩摩半島を突き抜け、開聞岳を望むことができる風光明媚な場所だそうです。周辺には自然が溢れており、6~7月には黄色いニシノハマカンゾウ、7~8月には甘い香りを漂わせる美しい薄紅色のカノコユリが見ごろを迎え、紺碧の海の色と調和し、素晴らしい眺望となるそうです。実際に、カノコユリを見ることができました。フェリーの壁にも描かれていましたが、ピンク色が綺麗でした。
次に鹿島診療所へ。
10:30ごろから鹿島診療所にお邪魔しました。定期処方の患者さんの診察をお一人分見せていただいたのと、館内の案内をしていただきました。
この診療所は2年後には上甑島の方の診療所と合併して無くなってしまうそうで、少し寂しい気持ちです。
現在は5人の方に訪問診療に行かれているそうです。また、遠くから通う必要があるが車のない患者さんのご家庭まで、診療所の車で送迎を行うこともあるんだとか。
ドライブスルー診療も始められたようで、入り口でアピールされていました笑
この診療所は明治25年に区議会で下村藺牟田地区の医師招へい計画が決議され、尾辻喜八郎という医師が開設した医院だそうです。
昭和36年3月15日に制定された鹿島村国民健康保険直営診療所設置条例により、診療所及び医師住宅が新築され、現診療所が完成したのは昭和53年3月なんだとか。46年前の設備が今でも使われているというわけです。
初代は川原医師、現在は岡村祐児先生が令和6年4月から自治医大の派遣で赴任されています。
医師1名、看護師3名の体制で月から金まで休まず診療、電話対応は土日含め24時間行われているんだとか。
上甑島にも上甑診療所、里診療所の2カ所があり、体制はほぼ一緒。1人の医師が担当しているんだそうです。
鹿島診療所では入院ができません。外来・在宅、そして歯科が設置されています。歯科には鹿児島大学から前半と後半の月2回、5日ずつ歯科医の先生がいらしています。今回の私の訪問は、歯科医の先生がいらっしゃる時期と丁度重なっており、ホームステイ先では晩ご飯を一緒にいただくことができました。
診療所には事務の方がいらっしゃって、私は今回事務のお2人(橋野事務長、中村さん)に送迎していただいたり島の色んなところに連れていっていただいたりと大変お世話になりました。お二方とも元々島出身の方で、島についていろいろお話して下さいました。
診療所の案内をお聞きした後は、恐竜の壁画作成に参加することになりました。
最初は壁画??恐竜??とハテナだらけでしたが、行ってみて驚きました。道路の壁に恐竜の絵が!!
私は今回文字担当になって、「薩摩川内市恐竜のま」まで書かせていただきました。
作業は午前午後2回に渡り、午前中は「薩摩川内市」までで中断。汗だくでした。
お昼は診療所で近くの民宿、きくやさんのお弁当をいただきました。お魚のフライが美味しすぎた。そしてなんだか風変わりな卵焼きが美味しかったです。海苔が挟まってるのかな?
お昼を食べた後、念願の鹿島断崖まで連れて行っていただきました。
横縞模様の地層が剥き出しになっていてとても綺麗!地層は白亜紀(恐竜やアンモナイトが生息していた)から古第三紀のもので、一番古い地層は約8000万年前に遡ります。地球変動の歴史などを知る上でも貴重な学術的価値があり、2009年には「日本の地質百選」に認定されたそうです。鹿島断崖の周辺にはウミネコの営巣地があり、日本の繁殖南限地となっているんだとか。ウミネコ見てみたかったな。気付かなかっただけかもしれません。
また、汗だくになってしまったので服が欲しくなって、上甑島のスーパー、ポップ・ワンまで連れていっていただきました。まさか甑大橋渡って、上甑島まで行かせていただけるとは!!嬉しかったです。スーパーで甑島Tシャツを発見したのですが、150cmのサイズしかなかったので断念笑
午後の作業、14-16時の予定が、15:30ごろから雨が降り出してしまい、間に合わなかったというわけです。雲行きが怪しくなってきたなと思ったら、一気に雨が降ってきて驚きでした。
壁画作成には校長先生からコミュニティの会長さん、警察の方、小学生、熊本大学の美術学生さんなど様々な立場の方がいらっしゃって、皆さん仲睦まじくお話されているのが印象的でした。
ここで一つ貴重な㊙️経験をしました🚓
診療所に一度戻って先生と合流しました。
診療所はおやつタイム!
なんと鹿島診療所では10:00と15:00におやつタイムを設けているそうです。
美味しい紅茶とお菓子をいただきました。
そして、コミュニティの会長である中野さんのご案内で、甑ミュージアム(恐竜化石等準備室)へ。
甑ミュージアム(恐竜化石等準備室)は現在、令和7年4月のリニューアルオープンに向けて改装中。今回は未完成の博物館をお先に覗かせていただきました。
この地域に元からいらっしゃる方の苗字はかなり偏りがあるそうです。
中野さん、梶原さん、橋野さんが多いんだとか。
確かに診療所のカルテでは、15人ほどの患者さんのうち、この3つ以外の苗字は2人くらいしかなかったような笑
甑島で恐竜が有名になったのは、2008年に下甑島で姫浦層群の地質調査をしていた、熊本大学の近藤健介さんが、獣脚類恐竜(肉食恐竜)の歯の化石を発見したことに始まります。
甑島は、主に姫浦層群、上甑島層群、花崗層群の3つの地層からできていて、その中でも最も古い地層は姫浦層群なんだとか。
恐竜時代の甑島は大陸の東の端にあり、海や川で砂や流などがたまって、姫浦群という地層ができたそうです。
上甑島と下甑島の成り立ちは違うので、それぞれ違う地層を持つんだとか。(詳しいことはまた...笑)
2011年の11月には、植物食恐竜である角竜類の歯の化石が見つかったそうです。この化石はトリケラトプスなどで代表されるケラトプス類であることが分かり、日本で初めてのケラトプス類の発見となったそうです。
毎年、夏休み期間中には化石発掘・クリーニング体験などのイベントが行われているようで、化石のクリーニング室もありました。かわいい看板も。
化石発掘イベントできた観光客の方が、大きな発見をされることもしばしばあるんだとか。このイベントに多くの方に参加して貰うことで、研究を進める人手が増えるという受け入れ側のメリットもある、素晴らしいプログラムだと思いました。毎月第3土曜目には、鹿島支所において、甑島の化岩や地層を題材とした子供向けのイベントを行なっているそうです。これらの活動が、子供達にとって、科学の分野に興味をもつきっかけになっているんだとか。今回私がミュージアムにお邪魔していた時、元々鹿島小学校に通っていて、現在は本土の中学校に通う男の子が、ミュージアムのオープン準備のお手伝いをしていました。その子の夢は獣医さんなんだとか。恐竜についての知識も豊富で、小学校はミュージアムの隣にあり、学芸員さんとも仲が良く、小学生の頃にここに通い詰めていたんだろうな、と想像できました。素敵な教育的・観光的価値のあるミュージアムだと思います。完成が楽しみですし、少しではありますがその事業の一部に関わることができて嬉しい気持ちになりました。
島民の皆さんは、非常に何事にも活発で、活動的だと思います。私たちの受け入れに際しても、労力を厭わず色々なところに連れて行ってくださったり、島の魅力をアピールするために食材を取ってきてくださったり、本当に暖かくてやさしい。
自分たちの島を愛して、その魅力を伝えたり、島の住民の皆さんと交流するためのイベントや仕組みを自ら考案して実行する、そして何よりそれを楽しむ能力が非常に高いと思い感銘を受けています。
そういったイベントなどを通して住民の結びつきがさらに強くなって、さらにイベントが楽しくなってというとても素敵な循環が巡っていると感じています。
そして、鹿島のコミュニティの会長さんのお家でホームステイさせていただきました。
夕食の準備を少し手伝わせていただきました。キビナゴの頭とはらわたを取って、扇形のお皿に綺麗に並べました(スピードが奥さんとは大違いでした、慣れが大事だねとお話しました)。
他にも、とさかのりとそうめん、たまごなどを使った料理や、みなという貝(クマノコガイ)、シソと赤玉ねぎ(紫蘇は料理中にそこら辺の畑でとってくるわ〜と言って取ってきてくださった笑)、自家製の味噌で煮たアカセビ(アカハタ)、とうもろこし、下甑の名物、タカエビの素焼きなどをいただきました。タカエビ漁に出る許可を受けている船は4艘しかないんだとか。
また、車の中や展望台で、またホームステイ先のお家で色々なお話を伺うことができました。以下にざっくばらんにたくさんご紹介します。
昔は住民の方はみな畑仕事をやっておられましたが、高齢化なども進んだことで、現在は数少なくなり、放置状態の畑がたくさん存在するそうです。確かに、移動していると草ボーボーの場所がたくさん見受けられます笑
猪や鹿などがいないため、本来は農業がやりやすい土地なんだとか。逆に、猫が多く、その影響でウサギが少ないそうです。
猪について、私は本で「猪が少ないのは飢饉の際に全て食べ尽くしてしまったからだ」という話を読んで衝撃を受けたのですが、そのお話は現地の方からも聞くことができました。熊本の天草でも、同じような言い伝えのある土地があり、それが事実であった可能性はあるようです。
上甑と下甑を比較すると、やはり上甑の方が店の数も種類も多いそうです。
上甑島には、山下賢太さんという地域おこしの活動で内閣総理大臣賞をとった方がいらっしゃるそうです。その具体的な活動の中身としては、空き家改装、現地特産品のビジネスなどがあるそうです。今回お世話になっている室原先生とも仲良しなんだとか。
下甑島でも、青瀬という場所では、コミュニティの会長さんがビジネスを頑張って資金調達し、コミュニティバスを運営されているそうです。椿油がよく取れるのでそれでバスボムを作ったり、橙(きのす)を上記の山下賢太さんの会社に卸して商品化していただいたりするそうです。
車がないと移動が大変な場所ではあるものの、高齢者の方など、車を持たずに生活なさる方も一定数いらっしゃるそうです。買い物のためのスーパーなどは営業時間が限られてしまうため、ネットスーパーや生協の利用を検討する人が多いんだとか。生協は1週間に一度だそうです。今回台風が来ていて、今週は来ないだろうね、などと仰っていました。それで足りるのだろうかと少し心配になりましたが、足りない分はスーパーに買い物に行ったりご近所の方から頂いたりして賄うんだとか。
中甑島と下甑島を結ぶ、甑大橋が2020年に開通してから、下甑島から上甑島までは車で15分あれば行けるようになりました。しかし、それまでフェリーが寄港していた鹿島の港は利用者が減り、令和5年3月31日をもって鹿島港への寄港は廃止されました。したがって鹿島の人にとっては、車を利用しなければなかなかフェリーに乗るのは難しくなりました。
フェリーを運営するのは甑島商船株式会社ですが、ここには市からの支援もあるそうです。
甑島のマチュピチュとも呼ばれている、内川内という地域についてのお話も伺いました。
内川内は高齢化の進む20人くらいの集落で、家から出られない高齢者の方が多いんだとか。一番若くて50代くらいの方がもっと高齢の方を支える老老介護で成り立っている現状があるそうです。買い物なども、集落ごとに存在するコミュニティ協議会(その下に自治会が存在する)の中で代表1人が行って、それを分ける形をとっているんだとか。人口が少ないとニーズも少なく、だから飲食業を営む側としては、デリバリーは難しいそうです。個人的には頼まれることが多くても、採算が取れないんだとか。
私たちが宿泊場所をお借りしていた、手打は一つの集落が港、麓、本町の3つの部落に分かれています。集落ごと、部落ごとに方言が違うため、隣の地区の人が何を言っているかわからないこともあるんだとか笑
また、私のホームステイを受け入れてくださったご家庭は、「ウミネコ留学」という制度の中で小学生の受け入れをされていました。「ウミネコ留学」は、(現在は)小学校2-6年生の、島外出身の小学生を鹿島小学校で受け入れる(その間小学生は島民の方のお家でホームステイをする)という制度で、現在の鹿島小学校の生徒の内訳は、島民7、移住者2、留学生15くらいの比率なんだとか。
また、鹿島では壁画の前で手打の牛飼いさんとお話しました。カノコユリが見頃な時期だそうで、みっちり草原という場所をお勧めしていただきました。牛に子牛を産ませ、出荷するお仕事をなさっているそうです。各地のブランド牛は、どの土地で育てたか?で名前が付くんだとか。
またその方はMBC(TBC系列の鹿児島のテレビ局) 特派員で、甑島のニュースを撮影するお仕事もなさっているんだとか。
(UFOの撮影もなさってるとか、、?)
と、書いているのが8/31 21:05です。
今日実は、甑島から本土へ移動してきました。
鹿児島市内をお散歩しながら、お風呂に入りながら考えたことを書きたいと思います。
今回の旅は、医療に触れる機会はそれほど多くありませんでした。最初はそれが少し不安で、ただ楽しむだけになってしまうことを恐れていた部分がありました。
ここからでもぜひ最後の感想読んでいただきたい!
最終的に、旅を終えて、医療や将来の夢に関係なく、人間として価値観を揺さぶられた旅になったと思います。
東京育ちの私は、地域のコミュニティの繋がり、というものをぼんやりとしたイメージでしか想像できないでいました。
ですが、今回島の皆さんと交流する中で、その距離の近さに驚くばかりでした。もうほぼ家族やん。
その距離感に好き嫌いはあるでしょうが、私は羨ましさというか、憧れのような感情を抱きました。
今回、旅の中では本当に多くの方によくしていただいて、終始お客さんの立場でした。
その中で島の皆さんの寛大さや、ポジティブで明るい、楽しみを掴みとる考え方、姿勢に驚かされるばかりでした。
ここから先、上手く言語化できない部分も多いのですが、
上記のことから、自分が島に住むこと、このコミュニティの中で生活することが想像できるまでに至ることはできませんでした。
私はまだ皆さんが持つ姿勢や価値観をもてていないと感じたからです。
皆さん、自分の抱く目標を明確に設定し、それに向かって真っ直ぐ努力しておられるように感じました。
それこそ、楽しみを生み出す、充実した人生を生きる能力なのではないかと考えました。
島は、便利な、生きやすい場所ではないかもしれないけれど
そこにあるものを大切にして、
そこにあるものから楽しみを見つけることの出来る人が集まっているからこそ、
充実した、生き甲斐のある場所が作り上げられているのだろうと感動しました。
明日も早いのでこの辺りで。
おやすみなさい。
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