暗闇にいた。
どうも、まるです。
久しぶりすぎるnoteの更新です。
全然関係ないんですけど、noteのロゴ変わったんですね。前の方が好きでした。
ロゴって会社やサービスの顔だから、しょっちゅう変えるのは絶対違うと思うんですよね。
さて、今年もついに終わるので振り返っていきたいと思います…。
もう、振り返れないくらいたくさんのことが起きて、たくさんの人と出会って、別れて…でも覚えている範囲で振り返っていきます。
1〜12月を順番に振り返っていきます。
それぞれの月に、登場人物の名前を出すので、自分が書いてあるか気になる自己承認欲求強いニキは、自分の名前が書いてあるところだけ読めば良いと思います。
最後に僕の自己満オ◯ニーポエムで締めくくるので、ポエム読みたい人は最後の見出しだけ見てね。
1月 舟瀬さん
2022年1月1日。
この日が、僕のフリーランス生活のスタートとなりました。
といっても、クラウドワークスでひたすら応募するだけでしたが。
当時、基本的に5桁の単価のものにはほとんど応募しませんでした。
なぜなら実績が皆無だったから。
とにかく自分でもいけそうな低単価の案件に応募しまくりました。
30件ほど応募して、2件だけ高単価のものに応募したのが、1月1日でした。
結果、次の日くらいに早速1件返信が来ました。これが最初の案件で、単価はなんと100円でした。恐ろしいな…。
どうしても作業に2時間はかかったので、時給にすると50円。
そう、僕の時給は50円からのスタートでした。
しかし、それに引き続き2件返事が返ってきました。
1つは、10,000円のセミナーOP映像制作。
いわゆる無言語系というか、、多分僕が最も好きな映像表現の1つ。
1月4日にミーティングして6日に納品する早業を早速見せつけてやりました。
ちなみにその動画がこちらになります。
そしてもう1つが、舟瀬悠さんでした。
何十人もの人が応募していた案件だったので、返事すら返ってこないだろうと思っていたら、なんと即決。
これは後日談ですが、なぜ僕を選んでくれたかと聞いたところ、「なんか背水の陣感があって、やってくれそうだなと思った」ということでした。
確かに背水の陣でした…。
舟瀬さんとは結局今でも継続して一緒にお仕事をさせてもらっております。
まだ26歳ですが、1人社長として独立。
年商だったか売上だったか、1期目にして4000万円くらい売り上げた仕事大好き人間です。
もしよろしければ彼のインスタを覗いてみてください。サボってるみたいだけど。
2月 児玉さん
そんなこんなで時給50円の仕事と、舟瀬さんの動画を作りながら1月を終えました。
他にもいくつか仕事をもらうことができ、中には高単価なものもあり、収入が少しずつ出てきました。あとAVの編集のバイトもしました。気になる人はDMで聞いてね🤤
お金面は一旦落ち着いたので、色々な人と会うことにしました。
そこで、僕のフリーランス人生において絶対に欠かせない児玉さんという方に紹介いただいた、とある人繋ぎマイスターと話をしました。
ちなみに児玉さんに関しては本当に感謝が尽きないのでそれだけで記事が書けそうです。
児玉さんはフィルムカメラを主としたフリーのカメラマン。僕のアイコンも撮ってくれました。
彼女のインスタはこちら。
https://www.instagram.com/yama__film/
https://www.instagram.com/aimi_film/
さて、人繋ぎマイスターの話はあまりよく分からず、ただ頷いていたのですが、結局15人ほどの経営者や専門家を繋いでくださいました…。
あ、ありがとうございます…なぜなのか…笑
15人中2人を除き、大して話も進展しなかったのですが、この2人が、僕の人生をさらに大きく変えていくことになるのです。
あ、それと今ではマジでどうでもいいんですけど、この時まで一緒に起業する予定だった人と2月に喧嘩して、それまでに貸した10万円のうち7万円がまだ返ってきてません。
みなさん人に金を貸すときは気をつけてください。
3月 渡辺さん
2月の章で話した2人と出会ったのが3月です。
本当は3月だったか2月だったか定かではないのですが。
1人は、本庄燿士さん。
やんちゃしまくって、お金も稼ぎまくって、遊びまくった結果、事業に失敗しどん底まで落ちて、またそこから這い上がってまた落ちて、そして今、また上昇中のスゴい人。
今は、「志・信条」を意味するクレド形成のサポートをする仕事を中心に、さまざまな事業をされています。
この方とオンラインでミーティングした中で、HPに載せる動画を制作させていただけることになりました。
その動画を非常に喜んでくださり、現在も同じチームで様々なプロジェクトを画策しています。
そしてもう1人が、渡辺将二さん。
初めて話した印象は「若い人がなんかやってる…」という決していいものではありませんでした。
しかし、、
渋谷のとあるカフェに呼び出され、「動画編集のカリキュラムを作ろうと思うんです」という話を、他でもない僕に話してくれました。
きっと他にも動画をやっている人なんていたでしょうに、僕に声をかけてくれたことが嬉しかった。
このカリキュラムによって、さらに事態が大きく変わっていきました。
4~8月
おいおいいきなりハショりすぎなんじゃねーの!?
ってことでこの5ヶ月ほどはとにかくガムシャラに仕事したり、カリキュラムを作ったり、人と会ったり。
徐々に収益も上がっていき、自分自身の編集や撮影の腕も上達してきました。
8月に出会った尾畠さんは、徹底的な自己分析のサポート(コーチングに近いです)をしていらっしゃる方で、実は今現在もこのコーチングを受けています。
尾畠さんと出会い、さらに「自分の強さ・弱さ」が顕在化され、1番能力を発揮できる方法で仕事ができるようになりました。
9月 師匠・児玉さん
9月30日。
忘れられない撮影をしました。
現代アーティストの「友沢こたおさん」の撮影です。
軽井沢方面にひっそりと佇む「蓼科の森の家」に1週間ほど滞在し、そこで作品を作るというプロジェクト。
このプロジェクトは実はこれが初の試みだったそうです。
ではなぜ僕が、この撮影に参加できたのか。
それは、8年前に出会った師匠のおかげでした。
僕には映像の師匠と呼べる人がいます。
具体的にカメラを教わった訳ではなく、「映画」「ペルソナ設定」「意義」といった、映像の領域を遥かに上回る、色々な世界を教えてくれた師匠。
その師匠が、僕を推してくださったのです。
このことが、何よりも嬉しかった。
僕は師匠に追いつこうとか、見せつけてやろうという気持ちより、「師匠」と「僕」というそれぞれのアーティスト・クリエイターとして、全然違う世界観を作れて、それについて語り合いたい、という気持ちが強いんです。
こうして、1人のクリエイターとして僕を推してくれたことは、少し認められたような気がしてニヤニヤする気持ちも、8年経っても忘れないでくれたことに対する嬉しさも、いろんな気持ちが交錯して、とにかく本当に嬉しかった。
友沢こたおさんは、絵を描いていないときは、その辺で寝っ転がってしまうような普通の女の子です。
しかし、絵を前にした時の「眼」は、何者にも変えられない強さを秘めていました。
本物のアーティストと話をし、インタビューをさせていただいた経験は本当に貴重だったなと、今改めて思います。
そしてこの時初めて、児玉さんと一緒に仕事をすることができました。現場のアシスタント兼フィルムカメラマンとして入っていただきました。
いつもお世話になっていたので、ちょっとだけ恩返しができたような気もしました。
10月
マジでこの月はあんまり覚えてないです。
11月 株式会社CROSS EDGE
フリーランスの良さは、自分で仕事を探して、選べて、自分のクリエイティブを発揮できることだと思います。
しかし同時に、個人ということの壁にぶち当たります。
マンパワー的に不可能・スケジュール的に不可能など、多くの不可能があることに気付きます。
渡辺さんという人と出会って約8ヶ月。
この人であれば、何かを成し遂げられるかもしれない
という気持ちと
この人を支えてみたい
という気持ちから
僕は株式会社CROSS EDGEの正式なメンバーになりました。
それまでもほぼ正メンバーだったのですが、名実ともにメンバー入りを果たしました。
早速営業活動をしてみたり、採用活動をちょっとやってみたりして、久しぶりに会社で働く難しさと面白さを肌で感じました。
さて、カリキュラム生として頑張ってくれている人たちに編集を教えながら、これからどうやっていこうか…と悩み少し出てきたところ。
出会ってしまいました。
才能に。
12月 もりしー・津田ちゃん・日下くん
「これからはチームの時代だ」
僕が好きな漫画、左ききのエレンに出てくるクリエイティブディレクター・神谷雄介の言葉です。
僕しかいなければ、僕のクリエイティブしか発揮できない作品。
しかし、そこにもし才能が集結したら。
そこにもし、新たな価値を生み出せる人が現れたら。
このクリエイティブは、進化する。
もりしー・津田ちゃん・日下くんの3人は、それぞれがそれぞれの才能を秘めていて、とてもいい化学反応を起こしている。気がする。
チームの時代。僕にも、チームができたのかもしれない。
僕がリーダーになって、みんなをまとめて、株式会社CROSS EDGEという大きな母船ごと、クリエイティブ業界に風穴を開けられるかもしれない。
本気でそう思った時、僕は暗闇の中にいました。
※ここからポエムの始まり始まり。
「暗闇にいた」
ふと立ち止まって、考えてみた。
ここまで突っ走ってきた。少し疲れた。
僕は一体何者で、
どこへ向かうのか。
気づけば辺りは暗闇で、自分が何を見ているのか、何が見えているのか、何を聞いているのか、何を踏んでいるのか、分からない。
足音がした。
振り返ると、同時に通り過ぎてしまったようだ。
また振り返ったが、もう足音はしない。
別の足音がして、また消えた。
その目と、その耳で、何を視よう。
見えない、聞こえない、ということは、
もしかしたら、そうしたいだけであって、まだ自分が知らない何かなのかもしれない。
未知との出会い。
そうか、僕は、
新しい未知と出会えたんだ。
その目と、その耳で、何を視よう。
それはきっと、新しい未知だ。
パッと、暗闇は晴れた。
僕しかいないと思っていたそこは、たくさんの人で溢れていた。
まるで渋谷の雑踏のように、みんながみんな、何かを抱えて歩いていた。
過去も、その日も、鼓動も。
僕にも、その大切を抱えるためにもらった2本があった。
大切な塵をかぶった服を着て、未知を探す旅へ出よう。
僕は、立ち止まるのをやめた。
足音がした。
振り返ると、そこには。
2022−2023 みなさま
誰しも悩みがあります。
誰しも秘密があります。
誰しもが、その苦悩と戦いながら、それでもずっと歩んでいる。
突っ走ってきた2022年。
出会いも、別れも。喜びも、悲しみも。好きも、嫌いも。
たくさんのことがありました。
その全部を抱きしめながら、
2023年は、さらに飛び立ちたい。
関わってくれた、支えてくれた全ての人に感謝しながら。
出会ってくれた奇跡にありがとうを伝えながら。
2023年は、さらに突き進みます。
本当に、今年もありがとうございました。
来年は、さらにさらに、よろしくお願いします🙇♂️
僕は、もう、僕としてしか生きない。
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