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裁判官

小さいころからよく言われた、「しっかりしたお子さんねぇ」

しっかりしているだけではなく、利発なお子さんでもあったわたしはますます「しっかりしたお子さん」になっていくのだった。そして、「しっかり」のとなりには「正しい」ってのもくっついていて、わたしは正義の人として育っていったのだ。

「正しいこと」こそがど真ん中にあり、わたしの正義は小学生の頃にはいかんなく発揮されるようになっていった。学級会では熱弁をふるい、学級委員になるのは当然のこと、ルールを守らない奴はバッサバッサと斬っていった。

正義の人であるわたしが中学生になったとき、新卒の担任の振る舞いも言動もまったく利己的で納得のいかなかったわたしは、担任をも斬った。

担任は泣いた。

泣くなんて卑怯な奴だと思ったが、密かに「問題児」のレッテルを貼られたわたしは「孤高の正義の人」となった。これが自分の「正義」を修正する機会を失った原因だろうと勝手に思ってる。アイツのせいだ。

孤高の正義の人であるところのわたしは、優等生であったかといえばむしろ逆で、納得のいかない教師の授業には出なかったり、無断で早退して美術展を見にいったりと勝手に生きていた。教師なんてバカばっかでヤンナッチャウ。

己の正義を貫くわたしは大人になって立派な裁判官と化した。周り中をぶった斬る裁判官。ありとあらゆることをジャッジする、アンタは黒、アンタは白、アンタはどうなの?ハッキリしろよ!

正義感は義侠心も手伝ってますます成長し、自分には関係ないことにまで首を突っ込みジャッジを下す。世の中間違ってることだらけじゃんか。そうやってずっと生きてきた。張り切って判決を下していた。もうね、生きがいみたいなもんよ。やーね。

ところがね、白でも黒でもない、どうにもならないことって生きてりゃ山ほどあるんだよ、そんなことにようやく気付いたのは40代になってからなのか50代になってからなのか。。。老いて呆けていく親を見送り、自分が病で死にそうになり、我が子が事故で意識不明になる、そういうことを経て、憑きものが落ちたように振り上げていた槌を手放す。やれやれ、ようやくかよ。。。

長いことお疲れさまでした。

頼まれもしないのに勝手に判決を下していたアホなわたしはようやく普通の人となる。呆けたように周りを見まわせば誰もそんなことしてないじゃんか。普通に平和に暮らしてるじゃんか。あーあ、損した。

世の中はぐんぐん進み、誰もがSNSで発信するようになった今、あらま、そこココにいるのはかつてのわたしである。アレが正しい、コレが間違ってると口アワ飛ばして喧しい。

フッフッフ、どっちもあるんだよ、どっちかだけが正しいなんてないんだよ。

裁判官を引退して久しいわたしは穏やかに微笑みながら呟くのだ。緩やかに生きようなどと陽だまりのバアサンのように猫を抱いて過ごしてる。しかし、「昔取った杵柄」という言葉もある。いつかまたゴソゴソと槌を引っ張り出して振り上げる日も来るんだろうか?どーだかな。。。それもまた面倒な話ではある。


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