maaa
切ったり貼ったり描いたりしたものの記録。ワタクシ的画集です。
携帯の着信があり、友だちのおかあさんからだった。その時点で不穏な感じがざわざわとしたのだ。 「○○が、、、20日に亡くなりました。。。」 SNSで知り合った人だった。若い頃からメンタルの問題を抱え、トラブルも多い人だった。しかし、一緒にいるときはまるでイタズラな少年のような笑顔を見せる人でもあった。 感受性がとても強く霊感もあったので、生き辛さは人一倍だったと思う。波瀾万丈な人生の断片は聞いたが、全体像はさっぱり分からなかった。 ときに突飛な行動に出て、警察沙汰になる
ニンゲンって いつも悩んでんのな チョウチヨでも追っかけてりゃ楽しいのに ネコにカツオブシとかヤメテクレよ たまには生肉よこせ デブねこの方がかわいいっておかあさんが言ったから オレ このままでいい ニンゲンって裸だから服とか買ってバッカみたい わたしなんかこれだけだもんね オレの尻尾がもう少し長けりゃ 人生違ったかもしれない かーさんの抱っこは好きだけど ウザいときはひっかいてやる
空は抜けるように青い。俺は寝転がって空を眺めながら考えていた。いつか飛び出していく世界を夢想しながら過ごした幼かったころのこと。仲間たちと享楽を貪っていた日々のこと、束の間の愛を交わした女のこと。。。 今、俺はひとり黙って空を眺めている。ああ、空はこんなにも高かったのだっけ。 ついこの前まで、俺にとってこの世は全て俺のものだった。俺は自由を満喫し、人生を謳歌していたそしてそれは終わることのないように思えていた。永遠などというものはないのだなんて考えもしなかった。俺は若く力
ヒマに任せてここしばらくAmazon プライムで中国のドラマを観てた。清朝の中国が舞台の商家の話。 そもそも中国にはあまりいい印象は持ってない。持ってないが、それって中国共産党に対するものなんだろうって思う。いや、観光地で傍若無人な振る舞いをする彼らにも眉をひそめるし、反日感情で日本の国旗を踏みつけられると腹が立つ。それなのに、わたしを惹きつけてならない一面も持つ国が中国なのだ。 ろくに学校の勉強もせず遊び歩いていたので、歴史には疎い。多分人並み以下の知識しか無いんだろう
お調子が悪い。背中の肉離れって何さ?何かの拍子にピキピキ来る。お能のように歩き、しずしずと動く。わたしゃ誰だ? 息子のところに来てくれているマッサージの先生が鍼治療をしてくれて、3日目には楽になる。 で、背中が楽になって途端に右手右腕ってのはどうなのさ??? 痛くて動かせぬ。。。もうね、己のポンコツ具合にガックリする。いや、恥じ入るわよ。。。 歳を取るってのはこういうことなのか???んなわけない故障が頻繁におきるってことなのか??? んじゃないな、運動不足とか、深酒
うちには猫が4匹いる、どの仔も保護猫である。性格は様々で、ツンデレの仔もいればマヌケな仔もいるが、総じて「オカアサンダイスキ」なことは間違いない。 しかしながらオカアサンは忙しいのである。やることは一杯だ。掃除もせにゃならん、洗濯もせにゃならん、ゴミも捨てに行かねばならん、おまけに今週はゴミ当番だ。 各種最低限のやらねばならん事をやっつけたあとは、わるいけどワタクシタイムだから、猫らに邪魔されたくはない。猫を部屋から閉め出す。 奴らがいると落ち着かないのだ。仏壇の上に乗
今どきの子は化粧が上手いなぁと感心する。自分の顔を良く見せる方法をちゃんと知っている。化粧をしていないのかと思えば「ナチュラルメイク」なるものだったり、それどころか使用前・使用後で別人のようになる動画だって溢れてる。もはや職人技ではないかと感服する。 昔、母の化粧台の引き出しにあったのは、白粉、口紅、眉墨、ほお紅、それにリップクリームみたいだが中身が真っ青だったあれはアイシャドウだったのだろう。どれもひとつずつしかなかったし、普段は化粧なんかしてたっけ。。。 今は種類が多
「 象 」 何年も、何十年分もの記憶をすべて、その大きな体の中にしまってある。 うれしいこともあったし、悲しいこともあった。 象はときどき思う。 時間って重いな。 僕は本当に疲れた。
穴があったら入りたいとかさ、俺なんか穴だらけよ。 で、穴ン中にひき肉なんか詰められちゃったりさ、どーすんだよ。 恥ばっかりの人生よ。
まずは否定する人がわたしだった。 誰かが何かを言うと、まずは否定から始まる。「でもさぁ、そうじゃない場合もあるよね」とか「そうとは限らないんじゃない。」とか。 とりあえず否定する。何故なのか、否定したことで勝ったつもりでもいたのか。誰にだよ? 子が生死の境を彷徨い、吠えるように泣き狂っていた一時期、その人はうんうんって聞いてくれた。何を言っても、弱音を吐いても、うんうん、そうだねって聞いてくれた。決して否定しなかった。 否定しないということは簡単ではない。特にわたしに
小さいころからよく言われた、「しっかりしたお子さんねぇ」 しっかりしているだけではなく、利発なお子さんでもあったわたしはますます「しっかりしたお子さん」になっていくのだった。そして、「しっかり」のとなりには「正しい」ってのもくっついていて、わたしは正義の人として育っていったのだ。 「正しいこと」こそがど真ん中にあり、わたしの正義は小学生の頃にはいかんなく発揮されるようになっていった。学級会では熱弁をふるい、学級委員になるのは当然のこと、ルールを守らない奴はバッサバッサと斬
気がつけば人生ひと回りしていてビックリする。 ひと回りってアレだ、バアサンになったのか?あらま。。。 若いひとはバアサンって演歌とか民謡とか聴くもんだと思ってるんだろうか。 どうやらバアサンの仲間入りしたらしいわたしは気分良くPヴァインのアフリカンなど聴いている、ついでにビールも飲んでいる。傍らには猫、あっちにも猫、椅子の上にも猫、もう一匹はどこにいるんだろう? どこかに区切りがあるわけではなく、若いころのまんまでズルズルとバアサンになるのである。そりゃビックリだわよ