リストカットの痕、「隠すべきだ」という社会規範
この記事では自傷行為やリストカットについて扱います。リストカットの跡の写真(付きのXのポスト)も出てきます。
もう夏も過ぎる頃だが、私は夏は半袖を着て過ごすようになった。当たり前のことだが、夏場の暑い時期は半袖を着たいし、そんな時期に長袖を着てられないからだ。でもリストカットの痕があって、これを隠さないといけない、そんな風に考えていた時期があった(今も若干考えてるかも)。だがなぜリストカットの痕を隠さなければならないのか?
この記事はいわゆる「ファッションメンヘラ」についての記事ではない。「ファッションでメンヘラをする」と言われること自体についていろいろ言いたいことはあるが(※)、それではない。この記事はリストカットの痕を見せるなという社会規範についての記事である。
(※)「ファッションメンヘラ」という時、この「ファッション」はとてもネガティブな意味を持ってる。典型的な意味ではおしゃれの一つでポジティブ(ニュートラル)な意味なのに、「メンヘラ」と共に使われるとネガティブな意味になる。ファッションでメンヘラすることの一つとしてリストカットをするというのは相当なことなはずなのに、その相当さが全然理解されてない。ついでに言えば「メンヘラ」もネガティブに使われることがある(特に他称のとき)。「メンヘラ」の語源からして仕方ないところもある(「地雷系」にしてもそうだ)が、もっとポジティブな意味で使っていくことで意味を奪いたい(「クィア」のように)。
以下では、リストカットの痕を見せるべきではない、という社会規範に対して抗うための議論をすることで、リストカットの痕は見えてもいいし隠してもいい、と結論づける。
なぜリストカットの痕を隠すべきなのか:理由を検討する
以下では、リストカットの痕を隠すべきだとする複数の理由をあげて、それぞれ批判し、隠すべき理由はないと結論づける。
「他者を不快にするから」
まずすぐに思いつくのは「他者を不快にするから」というものだ。だが、誰か一人でも不快にするなら隠すべきだ、ということなら条件が厳しすぎる。公共の空間にある任意のものは、たぶん誰かを不快にしてるだろうが、全て隠さなければならないとはならない。よって条件を緩めなければならない。
「多くの人を不快にするからだ」、という理由ならどうか。しかし「多くの人」というのがどのくらいなのかよくわからない。リスカ痕を実際に見る人数は、オフライン空間では至近距離に接した人に限られる(せいぜい数百人くらいにすぎないだろう)し、見た人すべてがリスカ痕を不快に思うわけではない。オンライン空間ではより多くなるが、それでもインフルエンサーが画像を上げて数万人〜数十万人くらいに見られるにすぎない。日本人口のたかだか1%にも満たず、決して多い人数ではない。
比較対象がおかしいかもしれない。数万人というのは日本人口全体と比較して小さいかもしれないが、それでも多いと思われる。
しかし数万人程度を不快にするようなものは数多くあるはずだ。例えば、公共の空間でエロティックなアニメ絵に対して批判的なポストがXでよく炎上してるが、これはまさに見た人を不快にしてるケースの一つで、しかもポストした人が規制を望んでるケースだと思われる。しかしそれに対しては反論もよくみられるし(妥当な反論かどうかはともかく)、エロティックでないアニメ絵にいたっては、仮に不快に思う人が多いとしても、規制すべきだとまでは言いがたいように思われる。
あるいは、デモ行進やレインボープライドでのパレード行進などは、公共の空間で一定程度の交通規制を伴うものであり、かつ、一部の思想を持つ人にとって反感を買うものであり、不快感をもたらすだろう。しかし、不快感をもたらすという理由だけでこれらの行進を規制すべきだとはならない。
よって多くの人を不快にするというだけでは、それを見せる・見えるようにすべきでない、ということの根拠にならない。
「グロテスクだから」
次に考えられる理由は「グロテスクだ」というものだ。傷痕というのは人によってはグロテスクに見えるかもしれない。これは上で議論した不快さにつながるものだが、仮に不快さが無くても、グロテスクであることそれ自体が隠すべき理由だと言う人がいるかもしれない。
しかし、「傷痕はグロテスクだ」という理由は隠すべき理由として不十分だ。ピアスについて考えよう。ピアスはピアスホールという傷跡に入れるものだが、ピアスをつけてないときはピアスホールを公共の空間に見せているはずだ。しかしピアスホールという傷跡を隠すべきだとはならない。
だが、ピアスホールはグロテスクでは無い、と思われるかもしれない。私はピアスホールはグロテスクなものの一つだと思ってるが、私が特殊なのかもしれない。
そこで他の例として、たまたまケガをして、その傷痕が残ってしまった例を考えよう。この傷痕はリスカ痕と同様の形状をしているかもしれないが、それにもかかわらず、その傷痕を隠すべきだとは思われない。よって傷痕のグロテスクさは、それ自体では隠すべき理由にならない。
なお、ここまでの議論はルッキズムとあからさまに関係がある。例えば、ユニークフェイスをもつ人々はこうした「不快さ」や「グロテスクさ」に由来するであろう差別を受けてきた。しかしそのような差別は不当である。そのため、以上の理由は、この点でも隠すべき理由にはならない。
「メンタルが病んでいたことを表すから」
次に考えられる理由は、「その傷跡はメンタルが病んでいたという過去の履歴を表すから」、というものである。この場合、上記のように偶然ケガをして残った傷跡とは違い、自発的な行為による傷痕なので、偶然ケガをして残った傷跡は見せても良いが、リストカットの痕は隠すべきだ、と言える。
だがこの理由も二つの点で十分ではない。第一に、リスカ痕それ自体は、どのようにしてその傷跡ができたのかを何も示さない。リスカ痕っぽくみえるが、実は偶然ケガをした痕なだけかもしれない。
第二に、リストカット以外の方法でつけた傷にも、同じように、メンタルが病んでいたことを理由として行われたものがある。例えば、メンタルが病んでいるときにピアスホールを開ける、という人がいる(noteで記事を検索すれば見つかるはず)。そうであれば、これは同じように自傷行為であり、リストカットとピアスホールでは傷の付け方と場所が違うだけに過ぎない。しかしそのピアスホールは隠すべきだとはされない。よってリスカ痕を同様の理由で隠すべきだとは言えないはずである。
(なお、こうした理由から、「リスカ痕は他人の過去のリスカに関連したトラウマを引き起こす」という理由も不十分である。リスカ痕それ自体はリスカの履歴を示さないし、他の傷痕もトラウマを引き起こすリスクがあるかもしれないが、それによって隠すべきだとはならない。)
よって、「メンタルが病んでいたという過去の履歴を表すから」という理由も、隠すべき理由にはならない。
「自傷行為を促進するから」
私が思いつく最後の理由は「リスカ痕が見えてしまうことで自傷行為を促進してしまう」というものである。
まず、これについても上記と同様の反論ができる。つまり、第一に、リスカ痕それ自体は、リスカした理由を示さない。偶然ついただけの傷痕かもしれない。第二に、同じく自傷行為的であるピアスホールを開けることを促進することには何の問題もないのだから、リスカの促進それ自体も問題にはならない。
もう一つ、より根本的な反論は、自傷行為の促進のどこに悪さがあるのかはっきりしないことである。たしかに、自傷行為の促進は何か悪い感じがするかもしれない。しかし、自傷行為を根本的に促進してるのは、自傷行為の痕を見たことではなく、社会的・精神的に辛い状況に置かれていることである。特に辛い状況でないときに自傷行為の痕を見たところで自傷行為には至らない。自傷行為を引き起こしてる当の状況そのものを批判すべきであって、自傷行為の痕を隠すべきだと批判・非難するのは、その批判の向け先を間違えている。
以上より、リスカ痕を隠すべきだとする理由の候補は、いずれも理由として成立しない。よって、リスカ痕を隠すべき理由はない。
もちろん、面と向かって「隠してほしい」と言われれば、上記の理由とは別に、その特定個人との関係において隠す理由が生じるかもしれない。しかし、私がここまで議論したことは、そのような特別な関係の中ではなく、あくまで公共の空間で一般に隠すべき理由があるかどうかであり、私は、そのような理由はない、と考える。
リスカ痕とファッション、藤咲凪
急に個人的な話になるが、私がこの記事を書いたのは、藤咲凪さんという人のポストがきっかけだった。
アイドルのON/OFF pic.twitter.com/MbnilCwFll
— 藤咲凪 (@fujisakinagi) September 27, 2024
この写真をよく見ればわかるが、左腕にリスカ・アムカ痕が見える。この写真を堂々とXにポストしていることに、私は驚いたし、同時に感銘もした。
藤咲凪さんは過去に「AIのような美少女」で話題になった人だ。
私のことAIだと思ってる人間いておもろい、、、^^ pic.twitter.com/iEXSWo4wwn
— 藤咲凪 (@fujisakinagi) July 20, 2023
私が藤咲さんのリスカ痕を初めて見たのは、AIっぽいというので話題になった後のABEMA NEWS!でのインタビュー動画である。
動画を見ればわかるが、腕の部分にリスカ・アムカ痕が見える。
話を戻せば、先ほどのポストの引用rpを見ると、隠せば良いのに・隠すべきだ、といった内容から、メンヘラである(あった)ことを揶揄・嘲笑するものもある。
同時に、リスカ・アムカ痕を堂々と載せていることから勇気づけられている人のポストも見受けられる。
私にはその気持ちがよくわかる。私も以前は、自分のリスカ・アムカ痕を隠すべきだと思っていた。もちろん、それによって自身のファッションは制約される。基本的に長袖を着なければならず、暑い時期はほんとに辛い。半袖で外出したときは、例えば電車やバスの中ではできる限り他人に見えないように気をつかっていた。そうした気遣い自体は、個々人の勝手な範囲でする分には何も問題ないと思う。
問題は、その気遣いを強制することである。ここまで議論してきたように、隠すべき理由はいずれも理由にはならない。したがって、リスカ痕をわざわざ隠す必要はない。リスカ痕を隠すべきだという社会的な抑圧に抗っていこう。冒頭に戻れば、夏に長袖を着て隠す必要は無い。好きなファッションをしよう。