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人生の補習の振り返りノート



ひさしぶりにnoteでも書いてみるか

ふと思い立った
理由はわかっている

本当は他に、しなきゃいけないお勉強があるから
試験前日の夜、普段しない掃除を急に始めていたあのときと、なにも変わってないな、わたし…

いつのまにかアプリが改善されてる、
こちらはいろいろ変わっていたんだね

その間に、わたしは少しは成長できただろうか

…うーん、あんまり

でも、一応、ちょっとは進んだと思う

というか進まざるを得なかった

相変わらず自分が向かっている方向はわからないままだけど、とりあえず一歩足を動かしてみた、といった感じ



noteを始めたとき、振り返って読んでみてもわかるけど、超絶迷子だった

あれから3年弱か、
長かったし、本当にあっという間だったな

その間、ずっと止まっていたようで、でもいろいろあった

長いこと感じていた生きづらさ(というとちょっと大袈裟かもしれない)を誤魔化しきれなくなって、いろんなことが、うまく回らなくなって、何も考えたくなくなった

何もできなくなった(というとかなり大袈裟ですが)

で、そこからそれを受け入れて切り替えるまでが長かった、本当はできるはずだって思い込んでるから

だらだらだらだら、そのまま時間だけ経って、周りの友人たちが人生のステップをきちんと踏んでいくのをみて、罪悪感がわーっとやってきて

このままじゃいけないな、どうにかしようと心の中では思っていながら、実際に行動に移せたのは、もう人生の普通のコースからは少し外れるだろうなって確定してから(今となっては、普通のコースってなんだよとつっこみたくなる)

この際ハッキリ言っちゃうと、留年してからだ



大学の支援室、サポステ、メンタルクリニック、いろいろお世話になった

元気がないと、相談しようとか休学しようとか、そういう風に考えられないんだよな、自分がダメな状態だってことを認めるのも意外と難しいし、行動に移したり決断したりするには最低限の気力もいる

相談っていうのも苦手で、自分のことを話すのも好きじゃなくて(普段どうでもいいことはペラペラしゃべるんだけど)、行動に移すまでに時間も気力もすごく使った

あと、正直、そこまで重症じゃないしなって気持ちがずっとあって、なかなか踏ん切りがつかなかった

"やればできるはずでそれなのにできない自分がダメなだけ"、"病気とかじゃないし"、"自分はただの怠け者"、"何もかも中途半端で申し訳ない"、みたいな気持ちはずーっと、結局、最後まであった

クリニックに行っててもなんとなく罪悪感を感じてた、わたしみたいなのがお世話になってていいのかなって

けどもう、自分1人では身動き取れそうにないし、さすがに親に申し訳ないし、誰かの手を借りるしかなくて

他人に何がわかるんだよ、わかってたまるかくらいに思ってる節があったんだけど、流石に考え方変わったな、ダメなこと前提でいられる場所、話を聞いてくれる人って、けっこう大事かも

本当に仲の良い友だちってせいぜい5人で、その友だちにも自分の具体的なダメ具合に関してはあまり話してこなかったけど、節目節目でときどき会って、関係のない話をして適度に刺激をもらって、変わらない関係でいられるのは、ありがたかったな

経験を通して思うんだけど、元気がなかったときの記憶って、わりとすぐに薄れていっちゃうんだよね、自己防衛でもあるんだけど

でもそういうこともあったなあって自分の歩みを振り返るために、こうやってときどきおセンチな気分のときにでもnoteに記しておくのは、案外いいことかもしれない、読み返すと恥ずかしくなるけど、感慨深くもなる

発信するためのnoteではなく、自分の気持ちを整理するためのnote、いいじゃん

(そういえば学生時代もいつも自分のノートに自信がなくて、休んだ友達とかに"見せてあげるよー"って言いづらかったんだよな、そもそも人に見せるためのもんじゃないから、ごちゃごちゃで恥ずかしい)

最終的には、1浪2留の事実を背負っていくことになった

1浪はともかく留年について、はじめはすごく絶望的に思っていて、近況を話したくないから誰にも会いたくなくてずっと自分の殻の中に閉じこもって、それが悪循環になったりもしてた

けど、なんとか卒業できたことが思っていたよりも自信になって、今ではかなり割り切れている

大学、辞めようかと思った時期もあったけど、卒業してよかった

卒業なんてして当たり前で、なんなら第一志望に落ちて入ったこの大学を当時のわたしは下に見ていたくらいなのに、こんなに遠い道のりだったとは

留年はしないほうがいいし、病まないほうがいい
これはぜったい

でも、それらから得ることはやっぱりある
これも、たぶん、ぜったい

ダメになってからお世話になった人たちは
幸運なことに、素敵な人ばかりだった

本当にありがたい

順調に進んでいたら出会えていなかったのだと思うと、不思議だな

そしてこの期間を経て、やっぱり考え方も感じ方も少しは変わったと思う

もとから偏見とかはないつもりだけど、
心の病気とか障害、LGBTとか諸々、
それぞれいろんな事情を抱えているかもしれないこと、
そうだよな、って心から思える

生き方も価値観もいろいろだなって、
以前よりも自分に近いところで実感してる

これは本当によかった

この迷子だった時間に意味があったと思える
無駄な時間ではなかったと思う

そう思えることが、心底うれしい

"このトンネルを抜けるときは来るのか"
"この時間が無駄ではなかったと思えるようになるのか"
そう言っていた2年前のわたしに、教えてあげたい



今、大学を卒業して、お世話になった関係各所に挨拶や報告をして、一応ではあるけど働き始めて、いや、感慨深いな

思ったより、大丈夫じゃん

相変わらず生活は乱れているし、
先のことはわからないし、
今のままずっとはいられないけど
(もっと安定した職に就かないと暮らしていけないし)

どうなるかと思ったけど、
いろいろあるけど、

なんとかは、なってるじゃん

完全な自立までは遠いけど、でも、よかった

とりあえず一旦、一区切りかな


いろんな人に、いろんなことに、ありがとう




・・・・・・・


おまけの話

なかなか心を開かず元気のなさでさえ全てが中途半端なわたしに、2年間もつきあって、肯定して、一緒に小さな目標を立てて、励ましてくれた心理士さんとの別れ、泣きそうだった

実際泣いた

けっこう距離、保ってると思ってたし、そこまで心をオープンにしてきたわけでもないから(それはそれでどうなの)、自分でも意外だったんだけど、会えなくなると思うと悲しすぎた

これに関しては今でも寂しい
軽めの失恋くらいの心の穴だ

あれ、好きなんだっけ?って錯覚する
錯覚じゃないかもしれない
まあ特殊な関係だからな、なんともいえない



ずるいな、心理士




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