【テレビ業界】才能の浪費を防ぐべき
この件は、折を見てYouTubeでもお話しようと思っているのですが。
そのYouTubeで最近、「街録チャンネル」の三谷ディレクターと、男磨き系チャンネルをやっているジョージさんが対談している動画を視聴しました。
その動画で三谷Dが、このようなことをおっしゃっていました。
「ADとディレクターは求められる役割が違う」
実は、これに関しては、僕もずっと思っていたことなんですよね。
ADは、主に制作会社に入社したての新人が、ディレクターの下積み期間として経験する職種と言われているのは、皆さんのイメージ通りです。
その仕事内容も、撮影が円滑に進むように現場回りの雑務やさまざまな手配をこなす、そしてすごく過酷な仕事で、24時間不眠不休で働くこともある。
これもまた想像通りです。
一方で、ディレクターの仕事なのですが、現場を仕切るという要素はあるものの、一番の任務は「演出」、つまり、
「面白い映像を作る」
ことにあり、創造性が求められる仕事です。
【雑務】と【演出】。
これは明確に違う。
勘のいい方はここでお気づきかもしれませんが、僕は
「ADとディレクターは、職種を完全に分けるべき」
だと思っています。
つまり、ADはディレクターの下積みというシステムを廃止して、ADはADとして、ディレクターはディレクターとして最初から採用し、ステップを踏んでいく。ADとDに上下関係はなく、給料も立場も平等。
こうするべきではないかと思うんです。
これを口に出しているのは今のところ、僕の周りにはいないので、僕の偏見が多分に入っているかもしれません。
ただ、「優秀なADが優秀なディレクターになれるわけではない」
というのは、テレビ業界でも実しやかに言われていることなんですね。
撮影を滞りなく進行するための雑務と演出とは、相関関係はあっても綺麗に比例することはないと思うんです。
僕が考えるに、ディレクターに向いているクリエイティビティーの高い人って、雑務が苦手な傾向がある。
ただ、その下積みとしてのADが求められるのは創造性ではなく現場進行力。
ADとして評価されるのは、演出ではなく雑務が上手い人になるんですね。
こうなると、本来、ディレクターとして力を発揮できる人がいつまでもそこに昇格できなかったり、挫折して途中で辞めてしまうという事態が起きてしまう。
演出としては向いていない人がディレクターになって、いまいちな作品が生まれる、ということにもなる。
というか、僕はこれは実際に起きていることだと思っていて。
それが「テレビがつまらなくなった」と言われる原因の一つでもある気がするんです。
業界の今後の繁栄を目指すなら、才能の浪費はやめるべきではないでしょうか。
僕はディレクターでもADでもないし、番組にもよると思うので、僕の言っていることが間違っているかもしれませんが、若い頃からずっとそう思ってきました。
もし現役の業界の方がいましたら、是非ともご意見いただきたく存じます。
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