自己開示の大切さ

このnoteでの投稿を始める前までは、人と話す際やSNS上に何か投稿する際は、

「なるべく自分語りしない方がいい」

と思っていました。
それは恥ずかしいからだったり、これは日本特有なのかもしれませんが、自分語りすると嫌悪感を抱かれるのではないか、という思いがあったからです。

連続投稿が習慣になった現在は、

「”ある程度”の自分語りは必要だな」

と思っています。

心の病気を抱えている方とか、メンタルが弱いという自負がある方(僕個人は、心の頑丈さはみんなそれほど変わらないと思っていますが)は、あまり自己開示しない傾向にあるのではないでしょうか。

それは多分、以前の僕のように気恥ずかしかったり、煙たがられたりするのを気にしているからだと思うのですが、それで閉じこもってしまうと、もちろん、その気持ちは非常にわかるものの、

「より心が弱くなってしまい、疎外感を感じてしまうのではないか」

と僕は考えています。

誰かとの仲を深めていくには、ある程度は自己開示していかないといけない。
できれば、自分から。
だから、「自分語りのスキル」は身につけた方がいいと思うんですよね。

それを考えると、僕はnoteを始めて本当によかったなと思います。

実際の、リアルなコミュニケーションの場だと、どれだけ自分のことを語るか
とか、相手との会話のペースとか、色々気にしないといけない点ってどうしても存在する。
それこそスキルが要ります。

ただ、このプラットフォームなら、自分の好きなペースで、好きなように、そしてこれが一番大きいのですが、誰にも干渉されずに自分の考えや日々、何をしているかなどの情報を開示していける。

自己開示および自己表現の場としてもってこいなんですね。

もちろん公序良俗は守らなければなりませんが、それさえ守れば、自分の好きなことを発信し続けるだけで、勝手にいい具合に自分語りしていることになって、そこからつながりが生まれたりします。

会話とかが苦手な人はこうしたオンラインを駆使して自己開示するのがいいと思いますが、ただ、僕自身は、たとえ苦手でも、リアルなコミュニケーションの場で、喋りすぎちゃってもいいから、自分のことを語っていくのもアリだと思います。

「痛い人だな」

と思われるリスクもあるかと思いますが、その頻度は慣れれば減っていくでしょうし、自分のことを全く知ってもらえないよりはマシなのではないでしょうか。
最初に人から下された評価なんて後からいくらでも変わりますしね。

それに僕は、みんなどこかしら「痛い部分」ってあると思います。
それが会話や立ち居振る舞いに出る人、趣味に出る人、外見に出る人、など、その種類が多様なだけだと思う。

「みんな違って、みんな痛い」

人間社会は「痛さ」の集合体なのかな、なんて思ったり。

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田中雅(みやび)
読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。