中身より外見

僕は昔、ファッションが好きで、特に大学生のときは、暇さえあれば当時住んでいた京都市内の古着屋巡りをしていました。
今は掘り出し物を探す時間が取れなくなったので、ほとんど古着屋には行っておらず、古着自体あまり着ていませんが、時折「セカンドストリート」などに行くことはあります。

他にも、ドメブラの奇抜なデザインの服とかも、昔は好きだったのですが、今はほぼ着なくなりました。
今は俗に言うキレイ目のファッションをしており、服も大手セレクトショップで購入しています。

ただ、本来は古着系のファッションやスポーツブランドとかアウトドア系の格好をしたいとは思っているんです。
なんだかんだ、機能性が高くて楽ちんですし、面白い柄のものが多い。
古着だと一点モノも多いので、人と被る心配もなし。

今は逆に無個性なファッションをしているため、あえて被らせにいっています。
それはなぜかというと……






「中身(行動)と外見を一致させたいから」

です。

たびたびこのnoteで書いてきましたが、僕は映画鑑賞や読書が好き。
映画だったらハリウッドのアクションムービーではなく、評論家や映画マニアが見るようなものを鑑賞しています。
読む本も、純文学や哲学書、新書が多く、ライトノベルなどは読みません。

このようなパーソナリティーの人間が、(コーディネートにもよりますが)ボロボロのジーンズを履いた古着系だったり、ストリート系のファッションに身を包んでいたら、なんだかおかしな印象を人に与えてしまう気がします。

ここでタイトル回収をしますが、僕が言う
「中身より外見」
とは、このような意味です。

「自分の仕事やパーソナリティーを加味した容姿にした方がいい」

と僕は考えているんですね。

僕は職業も、一応は作家とかライターなので、好きな映画や本のジャンルもそれと合わせて考えると、服も髪型も、比較的キレイめにした方が、違和感を抱かれないというか、人からすんなりと自分がどういう人間であるか受け入れてもらえると思っています。

逆に僕がたとえばスケーターとかだったら、ストリート系ファッションをしている方が人から違和感を抱かれない。

「パッと見で人からどう思われるか」

って学生時代はほぼ意識していませんでしたが、社会に出てからはこれは意外と重要で、下手をしたら挽回不可能なほどに人の評価を決めてしまうことに気づきました。

それからは、「自分の好きな外見」ではなく、「自分に必要な外見」を意識するようになりました。

それと、今の僕の仕事なら、キレイめな格好の方が打ち合わせや現場にお呼ばれした際も、自然とその場に溶け込めるので便利なんです。
こういう事情もあります。

読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。