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ピンクを着るのは、可愛がってほしいから

 好きな色は、なんと言ってもピンク。ピンクを身につけるのも大好き。ピンクのスカート、ピンクのニット、ピンクのバッグ。ピンクのマフラー。ピンクゴールドのアクセサリー。各アイテムひとつはピンクのものを持っていて、黒、グレー、ネイビーなど落ち着いた色と合わせてよく着ている。今日も黒のタートルネックに黒のシャギーベストを重ねた下に、優しいピンク色をしたスエードのタイトスカートを合わせた。胸元はピンクゴールドのネックレス。バッグはグレーの革のもの。靴は黒い大きなリボンがついた、シルバーラメが光るポインテッドトゥ。ピンクのカシミヤストールも肩からかけたりなんかして、私の大好きなものだらけのコーディネート。とっても可愛い。

 そんな格好で古い自転車こぎながら私は唐突に、なんて「可愛がられたいやつ」の格好なんだ!と思った。ピンク=カワイイは主観でなくて、もはや色そのものが持つイメージだと思うが、そんな色を好きで、それを身にまでまとう私は、他人に可愛いと思われやすいパッケージを自ら積極的に作りにいっている。これって、可愛いと思われたい、可愛がられたい欲の塊ではないか?私を愛せ、と言っているのと同じではないか?と考えた。

 はたしてその通りである。本能と理性の結びつきが面白くて、私は笑ってしまった。考えてみると私はプリンセス願望が強いし、願望というか、なんかもうプリンセスだし♡(概念)、納得だなぁと思った。あ、隠さないけれど私はほんのちょっとだけ重い女。

 しかしそれで身の回りにピンクが揃っていると考えたら、自分がなんだかとてもいじらしく思えてきた。カワイソウね。本当に自分に満足していて誰からも愛されるもしくは受け入れられる自信があれば、そんなことしないもんね。水色が好きとか、自由に言えちゃうもんね。オシャレの系統も、自由だもんね。カワイイと言われるものを選んで身につける必要、ピンクとかリボンみたいな「カワイイの記号」をいつも自分自身にプラスする必要、ないもんね。

 思いがけず自分の底にある自己肯定感の低さと承認欲求と寂しさ満たされなさに向き合うことになり、人と会う前に少し沈んじゃった。親からは大切にされて育てられた自覚があるけれども、思えば条件付きの可愛がり方をされていたから、存在そのものを許されている気持ちにはならなかったのも一因だろうなーと幼少期の私を思って客観的に考えた。まぁいいけれど。私がこういう私であることは変わらないし。問題はそんな自分とこれからどう向き合い付き合っていくかなのだから。

 せっかくおろしたスカートだったのに、そのピンク色はなんだか切なさをかきたてるものになってしまった。とってもとっても可愛いけれど。身につけていたら本当、嬉しいけれど。可愛いのはピンクであって、私の中身でないもの。最近はつらいことが重なって特にぶさいく。だめね。身も心も可愛い私になりたい。ピンク色のものを、あなたに似合う、とプレゼントされるような私に。

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