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OSTに【ふぁしりてーたー】っているの?

なぜこの記事を書こうかと思ったか。
それは「OSTファシリテーター」と言う言葉に違和感を感じたから。

ファシリテーター?🤔


OSTってなんだっけ?

OSTはご存知 ハリソン・オーエンさんが作ったモノで、「コーヒーブレイクが楽しかった」と言われてぶちギレて?開発したモノ、らしい
詳細はこちらが詳しいデス🤗

で、関連する本とか見ても「ファシリテーター」ってあんまり出てこない。

ワタシの印象だと「舞台装置は整えておくけど、中身は参加者が勝手に行う」場に任せたデザインで、最初などに「司会」がいるけど、それは単に場面を進めるためであって「場を促進させる」わけじゃない。

「ふぁしりてーたー」に感じる違和感


ファシリテーター、と言う「言葉」が一般化して「わかりやすく」なった結果、ファシリテーターの意味は「司会よりちょっと色々出来るヒト」になってきた。
プロジェクトマネジメントも似た様な感じで本来あるべき姿から「日本的な理解」を経て、わかりやすく丸められている。

そこからの派生が「OSTファシリテーター」「ワールドカフェのファシリテーター」と言う表現かも知れない。

言い換えると「OSTの司会進行役」程度の意味合いなのかも知れない、けど、、、。

OSTにおけるホストの役割

ファシリテーターの側面としてよく言われるのに「場をホールドする」と言うモノがある。

残念ながらハリソン・オーエンさんにお会いする機会はなかったのですが @香取さんから伺った印象的なエピソードがあります。
ある時のオーエンさん、始まったと思つたら森に入っていき「良い枝が見つかった」と言ってサークルの真ん中に一本の枝を置いたそう。

また、テンガロンハットをサークルの中心に置いたこともあるみたい。それが「場のホールド」に繋がる、みたいなんだけど。

それってファシリテーション(技術)と言うよりも、
どちらかと言うと宗教的なスピリチュアルなものを感じませんか?🤔

それもそのはずオーエンさん、元々は神学者を目指して勉強してたみたい。そのせいかワタシがOSTに感じるモノは何かシステマティックなモノよりも、用意された異空間に入り込むスピリチュアルな感じがある。

なので「OSTファシリテーター」と言うよりも「OSTドロイド」とか「OST祈祷師」の方が実情に合っているのかも知れないなー、と思う。

スピリチュアルなOST

OST4つの原理、なんかもスピリチュアル的に思っている

<4つの原理>
1. ここにやってきた人は誰でも適任者である(Whoever comes are the right people
2. 何が起ころうと、起こるべきことが起こる (Whatever happens is the only thing that could have.)
3. それがいつ始まろうと、始まった時が適切な時である (Whenever it starts is the right time.)
4. それが終わった時が、本当に終わりなのである (When it’s over it’s over.)

組織開発を再考する<第4回>オープン・スペース・テクノロジーの現代における意味を考える〜自己組織化の学習フィールドとしてのOST〜より引用

此れを聞いてワタシが直観的に感じたことは「OST開催」と言うのは一つのきっかけとしてだけで、本質は「ここに至るまでとこれからをどうデザインしていくのか」を問われ続けられているのかな、と言うこと。

時間と空間を超えて「なすべきことは何か」に真摯に向き合う覚悟のキッカケの一つとしてOSTがあるのかも知れない。
その最初の一歩、窓口、とっかかり的な。

余談なワールドカフェ

ちなみにワールドカフェにもファシリテーターは居なくて。
場をコーディネートするのは「カフェホスト」
強いて言うなら、参加者ひとりひとりがファシリテーターだと、とても有意義なカフェになります。

これはOSTもおんなじ、かも?

まとめなど

参加者が危機意識を持った「当事者」で、切羽詰まっているからこそ、火事場の馬鹿力で研ぎ澄まされたモノが出来上がる。

それが「成功するOST」の仕組み、だと思うけど

そんな感じで切羽詰まらなくても、そろそろ参加者自体が「ファシリテーター」と呼ばれる世界に移行したいですね🤗


来年もいい年でありますように

おまけ 

なんか他の人の投稿などを見てたら描きたくなったので、さらに追加で

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