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【留学記】ホストファミリーの話

どうも。ma-nyagoです。
『【留学記】英語に魅せられて、高校留学しました』の続きです。

アメリカの高校に留学したのは今から30年ほど前。
数字とは、時として残酷なものだな。
でも、無事に年を重ねることができたのは喜ばしいこと。
さて、今日も昔の自分の記憶、アストリアの町と新しいホストファミリーとの思い出を思い返してみよう。

昔の写真を、画像として張り付けている。
当時はiPhoneやデジカメ等がない時代。
ネガしか残っていないので、iPhoneで無理やり写真を撮り、画像としてあげている。
お見苦しい画像ではあるが、昔の記録ということで、お許しいただければと。


イリノイ州の小さな町アストリア

パーマネントということでお世話になるホストファミリーが住んでいた街はアストリアという。
イリノイ州の州都スプリングフィールドから西へ車で2時間ほどの距離にある小さな町。
人口も、その時は気にしたことはなかったけど、1万人もいなかったのでないだろうか。
こじんまりとした、本当に『アットホームな町』という言葉がぴったりな場所だった。

学校は一つだけ。
『アストリア総合学校』とでもいうのだろうか。
幼稚園、小学校、中学校、高校が一つになった学校。
人口が少ない故に、すべてが一か所で集まっているみたいな感じだった。

そんな環境だからなのか、小さい頃からみんながみんなを知っている状況。なので、『もう、みんな家族みたいな感じ』らしい。
確かに、幼稚園から高校卒業まで同じ学校に通っていたら、そうなるよね。

ネガをデジタル処理できないから、iPhoneで撮ってみたアストリア学校

『アメリカあるある』なんだけど、やっぱり車で学校に登校していた。
実は私、黄色のスクールバスに乗って登校するのをずっと楽しみにしていた。
その夢はクラブに所属して、他の学校との試合に行くときに達成された。
いつもの通学の時は、ホストシスターのジェシカが運転できたので、彼女とホストシスターのレティーと一緒に登校していた。

まず学校に着いて目にしたのは、ホールウェイ(廊下)にある各人のロッカー。
私も一つ貸与させてもらい、荷物等を置いた。
後で親しくなった友達が、「ロッカーをデコレーションしてあげる!」って言って、良い感じのロッカーを作ってくれた🥰

友達がデコレーションしてくれた私のロッカー

米ドラマ「ストレンジャーシングス」の風景が、私が通っていた学校や町の雰囲気に少し似ている感じがする。
あのドラマ、たぶん時代は1980年代後半から1990年代初めにかけてだと思う。
主人公たちの髪型や服装、ドラマ内のロッカーのデコレーション具合、BGM等、私が留学していた時を思い出させるものがたくさんある。
あのドラマを見ていると、懐かしさを感じてジーンとくるものがある。

そういえば、アメリカの教科書って辞書みたいに分厚くて、とにかく重い!
まあ、車で登校してるからカバンが少々重くても大丈夫なんだけど。
クラスからクラスへの移動の際に、そんな大きな辞書みたいな教科書持ってはいけない。
ロッカーがあると他の荷物や教科書を置けて、とっても楽!
次のクラスの教科書とノートだけ持っていけばいいから、とても便利だった。

2番目のホストファミリー:The Jones Family

お世話になったホストファミリーは、ジョーンズさん。
ホストファーザー:デニー
ホストマザー:リンダ
ホストブラザー:ジェイソン(大学生)
ホストシスター:ジェシカ(高校2年生)
ホストシスター:レティー(中学3年生)
ホストブラザー:デニーJr.(中学1年生)
実はもう一人、結婚しているホストシスター・メイシーがいる。
結婚しているので頻繁には会えなかったが、彼女もとても気さくな良い人だった。
ジェイソンは大学の寮に入っている。滞在中、私は彼のお部屋を使わせてもらっていた。

個室を与えてもらえたのは、とてもラッキー。
やっぱり、ホストシスターたちと同じ部屋だと、最初は辛いからね。
いくら勉強&準備してから渡米したとしても、いきなりネイティブの人たちと対等に話せるわけがない。
アメリカに入国してから2週間ほど経っていたけど、やっぱりまともに通じてるとは到底言えなかった。
この頃は『言葉の壁って大きいなあ』とずっと心に思っていた。

実はこのホストファミリーには、1990年8月~1991年3月・4月くらいまで滞在させてもらった。
当初は帰国する7月末までの滞在予定だったが、ホストファーザーとホストマザーの離婚が決まり、ホストマザーと子供達が出て行ってしまった。
片親であるホストファーザーと、女子である私が一つ屋根の下で一緒に住むことは、留学を支援する団体YFUの規定に反するとのこと。(まあ、そうだよね)
状況としては、他のホストファミリーのお家に移らなくてはならなかった。

ホストファミリーが変わる場合、別の町に移るというのが本来の規定らしい。
だが、帰国まで残り3か月ということと、このホストファミリーの親戚家族が私を受け入れてくれたので、帰国する最後の日まで、アストリアに滞在することができた。

3番目のホストファミリー:The Hamblin Family

『残り3か月、うちにおいで!』
そう言ってくれた親戚家族・ハンブリン一家の気持ちが、本当に嬉しかった。
『別の町にあと数ヶ月だけ行かなきゃいけない』とYFUから言われ、せっかく仲良くなった友達とも別れ、慣れ親しんだ環境からも離れなくてはいけないのかと、とても悲しい気持ちでいたことを覚えている。

そんな中に、救いの手を差し伸べてくれたのが、新しいホストファミリーのハンブリン一家。
ホストファーザー:スティーブ
ホストマザー:ドーナ
ホストシスター:アマンダ(中学3年生)
ホストシスター:アシュリー(小学1年生)
前のホストファーザーのデニーさんとホストマザーのドーナさんが兄妹で、お家も徒歩5分圏内とご近所。

お世話になる前から、ハンブリン家の人たちとは仲良くさせてもらっていて、特にアシュリーとは頻繁に遊んでいた🥰
彼女は本当に可愛くて優しい子で、私の良き英語の先生だった💛
アマンダとはバレーボールクラブで一緒になってから仲良くなった。
大学生の彼氏がいる、とても魅力的で優しい気さくな女の子。

ハンブリンさんご夫婦は二人とも仕事をしていたので、「アシュリーのベビーシッターしてくれると助かる!もちろん、バイト代もだすから!」なんて言ってくれた。
この申し出については、『そんなお金もらえない!!』と丁重にお断りした。
だって、アシュリーと一緒に遊ぶことは私にとっては楽しい時間だったから。
何より、ホストシスターと一緒にいるのにバイト代なんて、お世話になっている身分で、そんなのもらえない!!

多分、ハンブリンさんは気を使って言ってくれたのだろう。
その気持ちも、嬉しかった。

ハンブリン一家は、みんなとても気持ちの良い人たちで、帰国してからもしばらくは交流が続いていた。
今は残念ながら連絡を取っていない。
Eメールアドレスも分からないし、手紙文化だったあの時代の連絡手段では、今は不便だからね。

でも、優しくしてくれた思い出や、楽しい記憶、辛い記憶全部、私の中にある。
それでいいかな、って思う。

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今日はこの辺で。
たまに、アメリカでお世話になったホストファミリー3家族のみなさんが、どうしてるかなって思う時がある。

もう随分前のことだから、私の事は忘れているかもしれない。
でも、『うちに昔、日本人の留学生が来てたのよ』なんて言って、何かの話で思い出してくれているかもしれない。

そうだと、良いなあ。。。


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