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【留学記】新学期の9月、そしてホームカミング

どうも、ma-nyagoです。
「【留学記】サプライズで祝ってもらった日」の続きです。

もう9月。時間が経つのが早い。
9月からは新学期で、初めて学校に行った月。
それと、ホームカミングがある。
またまた私の昔話にお付き合いください。

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初登校して、校長先生のオフィスで話聞くとき、緊張したー

初めてのアメリカでの新学期

9月に入って、やっと登校。
校長先生から始まり、いろんな先生にお会いした。

自分が取る授業も自分で選択しないといけないし、自習時間もいっぱい勉強しないといけない!

というような、日本の高校とは違う生活がやっと始まった。

校長先生とのお話

学校関係の説明(サクッと)は、ナンシー・クンゼマン校長先生から教えてもらったと思う(この辺少し曖昧)。

クンゼマン先生のオフィスは学生のロッカーが並ぶ廊下に面していて、先生は大抵オフィスにいたから、お話できる機会がたくさんあった。

今まで校長先生という人とじっくり話す機会がなかったから、その時はこんなにクンゼマン先生とお話してもいいのかな、なんて思ったりした。

クンゼマン先生とは、勉強のことや卒業単位のこととかで、いっぱい相談できた。
特に、卒業単位で必要となる科目については、私の自習時間に勉強を見てもらえるように、他の先生に掛け合ってくれた。
ほんとに、感謝しかない。

こういう先生がいてくれたおかげで、アストリアでの高校生活が過ごしやすかったのだと思う。

ガイダンスカウンセラーの先生との出会い

アストリア高校でかなりお世話になったのが、ガイダンスカウンセラーのジョン・ウィットリー先生。

『進路のこととか、学校での悩み事とか、なんでもいいですよ』

と言ってくれた、とても気さくで話しやすい先生だった。

先生は、いつも、私の話に、『うん、うん』と相槌を打ちながら聞いてくれて、分かりやすい英語で話してくれた。

留学生で、現地の学生にはない悩みがあったから、ウィットリー先生にはいろんな相談をしてたような気がする。
ほんとに、カウンセラーとカウンセリーな感じだったかな。

誰かに話しを聞いてもらえるということは、やっぱり精神的な助けになるんだね。

アメリカでの勉強は、充実していたよ

自分で科目選択ができる

米高校は、必修科目の単位や総取得単位数で高校卒業が決まる「単位制」が採用されていて、生徒一人ひとりがその単位の取得に合わせて授業を選択する。

自分で取る授業を選択できるってことを、その時初めて体験した。

私の場合(他の留学生も)、授業を選択する前に、授業見学させてもらえたから、『どの授業を取ろうか♪』なんて思いながら、割と楽しく選んでいたような気がする。

ちなみに、日本の「学級制」と違って、米高校には「学年」や「学級」といった概念がない。
日本のように、学年ごとにクラス分けされて、授業もそのクラスで一緒に受ける、なんてこともない。
米高校では、学生が自分で履修する授業を選択して、いろんな学年の生徒と一緒に授業を受ける。

私が受けた授業でも、他の学年の生徒は多かった。
というか、ほぼいろんな学年が混じっている授業だったと思う。
いろんな学年の生徒と一緒に授業を受けるのが、なんか新鮮な感じがしたなー😃

脱線したけど、私が前期・後期で取った授業は、こんな感じ↓。
First Semester:  English IV, P.E., Economic Consumer Education, US History, Math IV, Typing, Study-hall(自習時間)x 2
Second Semester:  English IV, P.E., Drivers & Education, US History, Math IV, Computer Concept, Study-hall(自習時間)x 2

このほかに、スペイン語の授業を取ろうとして、Drivers Ed.の授業と重なったので断念した。

留学するまでに高校3年生での授業がすべて終わっていたから、米国に特化した科目でない限り、授業についていけないってほどではなかった。
でも、宿題は別扱いだなあ。。。あれはあれで難しかった。

で、一番苦労した(私にとっての)米国特化科目が、「米国史」と「米国の政治学」。
この二つは、難関だった。

米高校卒業の必須科目は、だいたい、「英語、数学、理科、生物、物理・化学、社会、世界史・地理、米国史、米国の政治、米国の経済、体育、美術・外国語、保険」の合計225単位らしい(Lighthouseロサンゼルス「アメリカの高校制度とは」を参照)。
米国は州によっては要件が異なることが多いから、一概に上記の科目とは言えないと思う(あくまで参考程度で)。

米高校は「単位制」を採用しているから、卒業要件を満たす単位が取れれば、在籍期間が短くても高校卒業資格が取得できて、卒業証書(Diploma)がもらえる、とのこと。

だから私も卒業証書がもらえたんだけど、卒業単位のうち、ある一つの科目で、ちょっとばかり苦労した。

US Capital:観光に行ってみたかったなあ

苦労した通信教育

学校の授業のほかに、卒業単位のために、ある科目の通信教育の勉強をしていた。
自習時間が「X2」になっていたのはそのせい。

その科目が、「US Politics(米国の政治学)」。

残念ながら、私がアストリア高校に在籍していた時期にこの科目が開催されていなかったから、通信教育で単位を取ることになった。

この辺も、クンゼマン先生とじっくり相談した。
学校で授業が開催されていないから、通信教育で単位を取れば良いということになった。
翌年の1992年には開催される予定だったんだとか。。。ツイてなかった。

でも、独学では難しいだろうということで、クンゼマン先生がリソース担当のイボンヌ・ファルウェル先生に相談してくれて、私の自習時間に政治学を教えてもらえるようになった。

基本は自分でテキストを見ながら問題を解き、勉強する。
そして分からないところをファルウェル先生に質問する、といった形が取られた。
テキストの分からないところを、分かりやすい英語で説明してもらえるから、とても助かった。

なんとかこの単位を取得できたのは、クンゼマン先生とファルウェル先生のお陰!

日本の取得単位もアメリカに移せて、アメリカの取得単位も日本に移せた

政治学も通信教育で取得できたから、日米高校の総取得単位と合わせて、無事にアストリア高校を卒業できた。
卒業証書をもらった時は、嬉しかったな~🥰

私が留学した年から、日本での規制が変わったらしく、海外で取得した単位を日本の学校に移行することができるようになったらしい。
そのおかげで、アストリア高校の取得単位も日本の高校に移行できて、帰国した年の夏に、無事に日本の高校も卒業した(日本の同級生から半年遅れての卒業)。
でも、よくよく考えてみると、留学する前に高校3年間で取得する単位を全て取り終えていたわけだから、普通に考えて、帰国したら『単位うんぬん』はあんまり関係ないんじゃないかって、思ったりしたかな。。。

9月は、初めてアストリア高校に登校して、初めて自分で履修する科目を選択して、最初から『全部自分でやらなきゃー!』っていう状況だった。
これは、これで、いい経験。

ホームカミング

ホストブラザーがブラスバンド部に所属してて、この写真みたいに行進しながら演奏してた!

9月には、ホームカミングと呼ばれる伝統的なイベントがある。
卒業生たちを母校にお迎えして、ダンスや同窓会を楽しむためのものらしい。
その他にも、町をあげてのお祭りムードになるから、このイベントは、いろんな人に向けた「ホームカミング=おかえりなさい」なんだろうね。

町のパレードで、オープンカーに乗って参加した

アストリアの町でも、ホームカミング・パレードなど、盛大なお祭りが開催された。

留学生がアストリアの町に滞在しているってことで、私たち留学生3人組(Helga、Xenia、そして私)は、オープンカーに乗ってパレードに参加させてもらった。
というか、「パレードに参加してね」みたいな連絡がきたんだよね。

3人でオープンカーに乗って、沿道の人たちに手を振ってる写真があるんだけど、今思えば、この経験も貴重だったんだなあと思う。
小さい町だったから、歓迎色がとても強くて、私たち3人はすごく大切にされてたと思う。
ほんとに、ホスピタリティの深い町だったな。

その他にも、中高生のブラスバンド部や、アメフト部、チアリーダー部、アストリア高校のその他のクラブチームや、町の公共機関の方々など、いろんな人たちがパレードに参加してた。

『オープンカーに乗ってパレードなんて、もう二度とこんな経験はないだろうなあ~』なんて思いながら、私はニコニコして乗ってたよ😃

アメフトの試合は、迫力あったなー

アメフトの試合、ルールは今一つわかんないけど、実際のゲームは見てて迫力あった!

ホームカミングのメインはやっぱり、アメフトの試合とダンスパーティかなあ。
どちらも夜の時間帯に、学校のグラウンドと体育館で開催された。
夜の試合観戦はとても楽しかった!
正直、友達に何回アメフトのルール説明を聞いてもわかんないんだけど、試合の流れや、途中のブレイクタイムのチアリーダーたちの応援は圧巻だった。


余談だけど、米高校の公式試合とか練習試合って、夜にあるんだよね。
ここが日本と違う。
なんで昼間にないのかな、なんて思いながら体育館の観戦客を見て気がついたことがあった。

体育館の観客席や、グラウンドの観客席の人の多さ。
いや、ホントにすごい人なんだよ。

あ。夜に試合するのって、ひょっとして家族が観戦できるためかな。。って思った。

私もアストリア高校在籍中はバレーボールやバスケットボール部に入ってたから、よく試合に出かけた。
でも、すべて夜だったような気がする。
んで、どこの高校の体育館でも、観客席はいっぱい。
誰かに聞いて確認したわけじゃないけど、やっぱり家族や友達が観戦できるから、夜に試合するのかなあって思った(あの地域限定のことかもしれないけど)。

ダンスパーティが大好きなアメリカって印象が私にはあって、ホームカミングでもやっぱりダンスパーティがある。
最初は「踊るのはちょっと。。。」と渋っていた私だったが、せっかくこういう場所に来たんだし、挑戦してみるか!と思って、踊った(笑)。

まあ、うん、踊るのは楽しかったな😃


T-shirt dayで買ったTシャツ、どこいったかな?

ホームカミングには、いろんな「~day」があるらしい

『Seniros』というスクラップブックに、ホームカミングの事が書いてあった。
そこには、9月のある日に、何やらイベントがあったらしい。それ曰く:
Sep 15: T-shirt day, 50's and 60's day, Town Homecoming
Sep 26: Dress-up day
Sep 27: Old time day
Sep 28: Gold and purple day, Homecoming dance party and Football game (against V.I.T)

9月15日に町のホームカミングイベントがあって、28日に学校でダンスパーティと隣のバーモント高校とアメフト部の試合があったみたい。
T-shirt dayは、確かに覚えている。
何かのロゴがはいったTシャツを買った覚えある。
けど、「50's and 60's day」ってのは記憶にないなあ。
「9月15日」だし、日本でいうところの敬老の日的な感じなのかな。。。

9月26日のDress-up dayは、確かオシャレな服を着た学生が多かった気がする。私も、その日はいつものTシャツにジーンズな服装じゃなかったような。。
9月27日のOld time day、これは覚えてない。何してたんだろう。。。(まったく記憶にないってことは、それほど驚かなかったってことかな)
9月28日のGold and purple dayは、確か、スクールカラーの金か紫のものを身に付ける日だったかな。多分。

こうやって見てると、ホームカミングっていろんな日に何かの思い出になるようなイベントが入ってるから、面白い。

でも、こういう細かいことは、さすがに覚えてなかったな。
スクラップブックにいろいろ書き込みがあって、それを読んでるから記憶がよみがえってくる。
残しておいてよかった。

それと、こうやってブログを書いていると、当時のことを少しづつ思い出してくる。
昔にあった細かいことって、時間が経つと忘れてしまうものなんだね。

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今日はここまで。
次は10月。ハロウィンの思い出話を書きたいと思う。
良かったら、また読みに来てください。





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