実用的か、鑑賞的か、それを決めるのは
司馬遼太郎氏の『夏草の賦』という小説を読んだ。
土佐(いまの高知県)から四国全土をたいらげた、長曾我部 元親という戦国武将をえがいた作品だ。僕は、学生時代にこの作品をはじめて読んだ。それから約8年。今回、当時は気がつかなかった発見があったので記事にしたい。
序盤に、こんな一節がある。のちに元親の正妻になる菜々という女性と、その乳母との会話だ。
菜々とお里のうまれは異なる。現代でも、地域によって呼び方が異なる植物は多い。
僕は最近、紙で本を買うことが増えた。電子書籍で買う本、紙で買う本、はっきりとした基準がある。それは、「情報として得たいもの」は電子。電子で読むものは、「消費」だと思っている。
一方で、紙の本は「ずっと残しておきたい・次の世代に受け継ぎたい」そういう「財産」になるような本だけを選んで買う。
僕は、本については、実用的でもあるし、鑑賞的でもある。
ただ、それはある意味で当たり前のことだ。もちろん、人によって考えに差はある。生まれた村では計りしれない個性がある。
その違いを生むのは、やはりその物に対する「愛情」に他ならない。
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