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家族旅行が夢になった日

どうも、長屋正隆です。

先日、両親と3人で初詣に行ってきた。昨年までは京都に家があって、年が明けてから千葉に帰省することが多かったので、家族で初詣なんて子どもの頃ぶりだと懐かしくなった。

今年はありがたいことに、年末年始が9連休もあった。初日から最終日まで基本的には家で怠けていたのだけれど、1日ぐらいはどこかに行こうという話になり、僕たち家族がいちども行ったことがなくて、とてもご利益がありそうな、千葉の玉前たまさき神社に行ってきた。

1月4日に行ったにもかかわらず、千葉県で3社しかない格式高い「一宮」であるにもかかわらず、参拝も買い物もほとんど並ばずにできたのでおどろいた。田舎だとどこもこんなものなのかな?

田舎の駅って感じです。
わりと新め?赤と黒でかっこいい本殿でした。
この寒いなか裸足?!と思うかもしれませんが、
いざやってみると足ツボの痛みで泣きそうになりました。
やっぱり海の近くは魚料理がいいですね。

ほんとうはこの神社についてで1記事にまとめるつもりだったのだけれど、あまりにもスムーズに参拝が終わって、あまりにも九十九里くじゅうくりからの海風が寒すぎたことで、ほとんど書くべきことが残っていないことに帰宅してから気がついた。

でも、ひとつだけ強く感じたことがある。

それは、もっと両親と旅行に行きたい、ということ。「親孝行、したいときに親はなし」とはよく言ったもので。いなくなって初めて後悔することは案外多いと、この歳になってしみじみと思う。

あと何回、親と一緒に初詣に行けるのだろう。数えれば何となく答えが出てしまうのがやりきれなくなる。

たとえば、僕は昨年の5月に京都を離れた。そのときは「もう十分、京都は満喫した」なんてあっけらかんとして新幹線に飛び乗ったわけだけれども、こうして京都を離れて暮らすとその存在の大きさをイヤでも思い知らされる。また帰りたい、と毎日のように思う。

自分自身のことでさえそうなのだから、他人がかかわることだともっと手に負えない。親がいつまで元気に旅行できるのかはわからないし、いざ行こうと思ったときに、また以前のようなパンデミックなどで行けなくなるかもわからない。行こうと思えば行けるうちに、たくさん行こうと思ったのだ。

こんな僕だが、3月にはついに結婚をする。家族が増える。妻ができる。夫になる。いつかは子どもを授かるかもしれない。

こう考えると、親と旅行なんていってる場合ではないのかもしれない。世間では介護に疲れて子が親を殺したとか、生まれてくる子を捨てる親なんかもいると聞いて、ほんとうに驚きと恐怖を感じざるを得ない。

ただ平穏な家庭でいい。身の程にあわない贅沢な暮らしも、ハラハラドキドキするような毎日もいらない。

年に2〜3回旅行に行きたい。そのなかの1回ぐらいはお互いの両親をまじえて行くのもありだよな、と。そういうささやかな願いを噛み締めながら、今日も今日とて生きていくのだ。

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長屋 正隆
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