見出し画像

映画『ソワレ』〜夢のような、夏〜

公開を指折り数え、延期になってもなお待ち続けていた映画『ソワレ』、初日舞台挨拶を訪れた。

2017年9月、短編映画『わさび』『春なれや』『此の岸のこと』を渋谷ユーロスペースで観て以来、大ファンになった外山文治監督の久しぶりの長編映画だ。
プロデューサーに俳優の豊原功補さんと小泉今日子さんを迎え、何十倍にもパワーアップして帰ってきた。

当日は早めにテアトル新宿に到着し、劇場を埋め尽くすポスターや新聞記事等をひとつひとつじっくりと眺めた。

周りは映画関係者や俳優さんらしき方、外山監督のワークショップ参加者と見られる若い男女等で混雑していた。
皆一様に頬を紅潮させ、この日をどれほど待ちわびていたかが伝わってくる。

私はパンフレットを購入し、はやる気持ちを抑えきれずに劇場内へ。
元々小さな映画館だが、一席ずつソーシャルディスタンスが設けられており安心だ。
柔らかく広いシートに沈み込み、準備万端でその時を待った。



物語は和歌山を舞台に繰り広げられる、若い男女のひと夏の逃避行である。

監督の作る余白と、観客を置いてけぼりにしない柔らかな台詞が好きなのだが、今回は特に音楽も最小限にし、目線や表情、佇まいでの表現が多かったように思う。

主演の2人に、完全に魅了された。

村上虹郎さん。

若者の苛立ち、迷い、自己嫌悪、慈しみ、孤独をあれほど繊細に表現できる俳優は貴重だ。

前回の『春なれや』よりさらに男らしさが増した。
不安定で情けない"少年"の部分と、タバコをくわえた横顔がセクシーな"男"の部分をバランス良く見せながら、物語をぐいぐいと引っ張っていった。


そしてダークホースの芋生悠さん。

彼女が演じるタカラは、全編ほぼノーメイク、髪はボサボサ服もよれよれ、纏う雰囲気はお世辞にも可愛いとは言えない。

はじめは全てを諦めたような生気のない顔をしており、目もほとんど開いてない。

しかしそこから、想い人を見つめる時のゾクっとするほど艶っぽい女の顔、
過去の自分と向き合う時の子どものような無邪気な笑顔、
最後のあの瞬間に見せる優しい女神のような顔と、
抑え込んでいた自分を解放するごとに魅力が爆発し、次第に目が離せなくなっていく。

恥ずかしながら今作品が初見の女優さんだったが、彼女が現れると、ふっと画面の色合いや湿度や温度までもが変わるような気がする。

とんでもない才能が現れた。まだ若干22歳というからおそろしい。次回作が楽しみだ。



もうひとつの映画の魅力は、和歌山の風景だ。
劇場では、ロケ地マップを無料で配布している。

耳をつんざくようなセミの声。
灰色の海と波の音。
どこまでも深い夏の緑。
古びた畳の香り。
したたる汗と涙。
なんてことのない田舎の夏の風景が、
2人の逃避行を特別なもののように感じさせる。

物語は、人間の小さな機敏をひとつも漏らすことなく、かといって過剰に説明するでもなく、緊張感を保って静かに進んでいく。

ヒリヒリするような、半ば現実離れした未熟な2人の逃亡に身を委ね、余計なことは考えずにただ受けとめようと思った。

ラストシーンで、思いもよらなかったことが起こる。
ハッと息を飲んだままエンドロールへ。

そして、最初のカットからの全ての伏線を回収するのは、実はエンドロールの音楽なのだ。
ここの温かいピアノを聴いて初めて、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼らの苦しみや愛に深く共鳴していたことに気づく。

劇伴は、外山監督と長年タッグを組むピアニストの朝岡さやかさん。
全体として見ると音楽は少ないながら、要所に密やかに登場する温かいチェロや太鼓、ピアノの音色が沁みる。

以前から、監督が音楽を大切にし、ただのBGMではなくひとりの登場人物、いわばストーリーテラーの役割を与えているように感じていた。
今回はそれがさらに意表をつく形で現れてくる。



エンドロールが終わると自然と温かな拍手が沸き起こった。
振り返ると、製作や宣伝スタッフの方々が晴々とした表情で最後列に並んで立っているのが見えた。

外山文治監督と、豊原功補プロデューサーが登壇された。(以下の発言は筆者の意訳)

「まだ実感が湧かないんですが、この映画本当に公開されたんですね!」
と声を震わせる豊原さんに、作品を完成させ公開するまでにかけてきた、途方もない年月と熱量を思い、こちらまで目頭が熱くなった。

続いて監督が口を開く。
「今、大きな劇場で大量の映画がかかっています。この作品は、皆さんがよく観る一般的なものとは違う、手作りの映画です」

「これだけの数の映画があったら、1週間で忘れられてしまう作品もある。
でも『ソワレ』は、人の心に残り続けてほしいと願っています」

心地よい放心状態で劇場を後にし、蒸し暑い新宿の雑踏の中を帰路に着く。

電車に乗って一息つくと、いくつものシーンが一気にフラッシュバックした。
突然全身に鳥肌が立ち始め、危うく涙がこみ上げそうになるのを必死にこらえた。

頭で理解するより先に、心の底が突き動かされ、感情がコントロールできなくなる。
素晴らしいエンターテイメントを観た後このような状態になるのは久しぶりだ。
それほどの衝撃だった。

忘れられるわけがない。
誰もが知る国民的俳優や監督の名前が出ていなくとも、
有名な漫画や小説の原作がなくとも、
日本全国どこでも観られる大規模の作品でなくとも、
全ての人にとって安易に「分かりやすい」物語でないとしても、
『ソワレ』は今後何十年にわたって、私の中に残り続けるだろう。

2020年夏。
世界中から人が集まり熱狂に湧き、特別な季節を大切な人と外で思いきり楽しむはずだった日々が、失われた。

大なり小なり喪失感を抱えたまま突然残酷に夏を終わらせた9月に、取り残された気分の人も多いだろう。

そんな今だからこそ、この映画を観てほしい。

どうか2人と一緒に汗をかいて走り、生きる意味を見出すことの幸せを、共に噛みしめてほしい。

東京は主にテアトル新宿で上映中。
大好評で満席続出だそうなので、オンラインでの予約をおすすめします。

いいなと思ったら応援しよう!