80代自由すぎる父の料理奮闘記
80代の父が料理を始めた経緯
母が、数年前から料理を作れなくなった。作りたくても作り方がわからなくなったのだ。
だから、80過ぎた父が二人の食事を作る担当になった。
父は長い間、仕事人間だったから家事をほとんどしたことがない。80過ぎて家事をやらねばならない状況になったのだが、洗濯からゴミの片づけまで、意外となんでもできるから驚いた。
ただ、料理と言えば、小さい頃に作ってもらった料理がベタベタのチャーハンとパンクしたサッカーボールみたいな形のおにぎりだったから、本当にできるのかと先が思いやられた。
父が食事を担当するようになってから、両親は十分食べているのか気になったが、健康診断の結果を確認して問題ないところを見ると、きちんと食べて、栄養もとれているようだ。
母はいろんなことを忘れてしまっても、料理好きだったから、食べるものにはこだわるのかと思ったら、そうでもない。
今ではもう何十年も食べてきた料理でさえも「ああ、お母さんこんなの食べたことない、初めてやわ。」とはしゃぐ。だから、父の用意する食事の内容や献立はそれほど気にしなくて良さそうだ。
ふたり暮らしの両親の食卓
はじめのうち、父が用意する食事はスーパーで買ってきた総菜やレトルト食品が多かったが、それも飽きたのか、自分で料理をするようになった。「小さい頃、ご飯を炊くのは自分の役割だったから料理はできる。」と豪語し、せっせと料理をしている。
父の得意料理は唐揚げ。魚をさばいて揚げたり、骨付きの鶏肉を揚げるのだが、カラリとなるよう二度揚げするほどで、なかなかの凝りようだ。
ここまでの話で、父は料理が上手そうに聞こえたと思うが、そんなことはない。時々、不可解な料理が出てきて困惑する。
定番の鍋料理がカオスだった
たとえば、冬の食卓の定番、鍋料理。
味付けは市販の鍋つゆの時もあれば、醤油とみりんと砂糖をドバドバ入れて、すき焼き風?のやたらあまじょっぱい鍋だったりする。
鍋の具は、畑で育てた野菜。そこに必ず、豚小間が入る(愛犬のテツにもあげたいから豚小間オンリー)。
一見、美味しそうに聞こえるが、「え、それ鍋に入れるか?」とつっこみたくなる物が入っていたりする。ピーマン、ブロッコリー、キャベツの芯etc・・・
父は食べもしないのに、畑で大量の野菜を育てるから、採るだけとって、冷蔵庫にストックしている。そして、冷蔵庫にしまったことを忘れ、干からびるか、腐りそうになったくらいで思い出すらしい。その忘れ去られそうになった大量の野菜を消費しようと、組み合わせも考えず、鍋に入れるのだ。
出来上がった鍋は食べきれないので、次の日以降も食べることになるのだが、食べる度に(食中毒予防にと)火を入れるものだから、野菜がドロドロに溶け、何が何だかわからない鍋になる。
その鍋が余り、誰も手を付けなくなると、私が訪ねた日の昼食に登場し、
「ほれ、これも食べな。うまいぞ。」と私に勧めるのだ。
正直、見た目がグロテスクで、ちょっと引く。食べたくない。
でも、職業柄、つい両親の味覚のチェックやどんなものを食べているのか確認したくなって、ある日一口食べてみることにした。
・・・あ、やっぱりマズイ。
ピーマンさえなければ、すき焼きとして通用していたかもしれないが、食べる度に苦みと甘みが混ざり合って、何とも言えない味だ。
自称、料理が得意な私は、そのカオスな鍋を見る度に悲しくなるのだ。
朝食は手作りパン
そういえば、父の作るもので1つだけ楽しみにしているものがある。それは、ホームぺーカリーで焼いた食パン。
新しい物好きの父は、ホームベーカリーが登場するとすぐに購入したのだと思うが、その頃から父は自分で朝食用の食パンを焼いている。
レパートリーは食パン1種類のみで、メーカーが推奨する基本のレシピに忠実に作る。バターを贅沢に使うレシピだから、味はなかなかリッチで美味しい。
私は早朝に自宅を出ることが多く、実家に到着する頃には腹ペコ。そんな時、この食パンをトーストして食べる。
父は毎回、私に自分で作ったいちごジャムを私に勧める。
「これを塗るとうまいぞ。お父さんが作ったんや。」と自家製ジャムの美味しさをアピールするが、キャラメルと金平糖を毎日何個も食べるような甘い物好きの父が作るジャムだから、やたらに甘くて敬遠してしまう。
私は冷蔵庫にほったらかしてあったバターやチーズを食パンの上にのせ、トースターに放り込んでこんがり色がつくまで待つ。香ばしく焼けたトーストをかじり、牛乳をがぶ飲みすると長時間の運転疲れは吹っ飛んでしまうのだ。
おやつはお手製の黒ニンニク
料理とは言えないかもしれないが、父はおやつに黒ニンニクを食べる。80歳を過ぎた頃、身体の不調を自覚したのか、通販で黒ニンニクを購入して食べ始めた。それがどうも気に入ったようだ。
ある日、実家へ行くと炊飯器の横にもう1つ、見慣れない炊飯器のような機械が置いてあった。時間表示のある機械で、一体何かと不審に思った。
その日はやたらニンニクのにおいが家に充満し、洋服や髪に臭いがつきそうで閉口していると、父は自慢げに「お前にも黒ニンニクをやるから、食べなさい。元気になるぞ。」と言う。どうやら、例の不審な機械が黒ニンニク製造機だったらしい。
それを知り、私はがっかりした。
なぜなら、これから父はしょっちゅう黒ニンニクを作ることになるだろう。その度にニンニク臭に耐えなければならない。そのことを考えると本当に憂鬱で、さっさと逃げ帰りたくなるのだ。
そして月日が経った今も、案の定、父は定期的に黒ニンニクを作り続けている。ニンニク臭が充満した部屋の中で、嬉しそうに「同級生の中でこんなに長生きしているのは俺ぐらいだ。やっぱり黒ニンニクを食べてるからかなぁ。」と話す姿を見て、あきれながらも、黒ニンニクを食べて元気に長生きしてほしいと願う私である。
さいごに
高齢の両親と別居している子どもとしては、親がどんな食事を食べているのか気になるものである。健康を考えて、あれはダメこれはダメと注意しがちだ。私の両親は大量のお菓子を毎日食べ続けているから、血糖値が上がるのではないか、コレステロールも高いだろうかと心配していたが、健康診断の血液検査で全くの正常値だから、心配もほどほどで良いのかもと思い始めた。それより、高齢者にとっては美味しく楽しく食べることができているかということが、健康である証拠であるとともに病気やフレイルを予防するためには大切なことだろうと思う。
父はいつまで料理ができるのかわからないが、自分と母のために慣れない料理を一生懸命する父をひそかに尊敬している。
最近は介護疲れ気味の父に代わって、料理をすることも増えた。ふたりが喜んで食べている様子を見るのが今の私の楽しみだ。今のうちに、存分、親孝行を楽しんでおこうと思う今日この頃である。
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