メガネのバトルを終えてから数か月の時がたっていた・・・・ みんな麻雀に没頭し休みの日は泊まり込みでするまでになっていた 以前、配牌から後のツモや手牌の変化をイメージする麻雀は俺の中で続いていた いい牌来い!いい牌来い!と念じながら1牌1牌をツモっていたすると今後変化する牌に何か気配を感じるようになってきた 皆、何言ってんだコイツ病気か?(笑)とお思いだろう しかし漫画と同じようになぜかその牌が際立って見えてきたり掴んだ牌に電流が走るような感覚を俺は覚えていた この
フリテンリーチと麻雀の恐ろしさ・・・ これはちょうど毎回麻雀をやるメンツで慣れてきた時のことである 俺は学校で麻雀メンツでもあるSとぶつかった・・・ Sは視力が悪くメガネをかけている。 お互いの不注意ではあるがSは気が気ではないメガネは片方のレンズだけ枠から外れていた S「おい!ふざけんなよ!てめぇ、どうしてくれるんだよ!!」Sは怒鳴った! 俺「ごめん、ごめん、でもぶつかったのはお互い様だろ!」一方的にキレるSにさすがの俺も少し言い返した S「ふざけんな!!てめ
敗北者からズルズル麻雀を続けていた俺だが色々な経験を経て常に4着という椅子からは少しずつ離れるレベルにはなっていた 俺は色々とアガりを覚えてきたころさらなる高みを目指して近代麻雀の戦術などを真剣に読むようになった 当時は雀鬼、桜井章一の無敗伝説がよく特集されていて雀鬼会の真似事をやって麻雀を打っていたやつも友人にいた字牌は絶対に第1打に切らないってやつだ 中でもかなり影響されたのが友人と盛り上がったのが電車のお話である ある日雀鬼は弟子たちにこう言ったそうだ 「おま
当時、仲間内で麻雀が旨いとされている友人がいた 得意な手役が三色という今の雀荘のメンバーにいそうな感じの麻雀が彼のスタイルだった 特にリーチをかけることが多くそのアガりのほとんどが満貫以上であった そんな彼のアガりで死ぬほど見たのがリーチ裏3というアガりだった 今のフリー麻雀で彼のような人は大活躍だろう!チップもウハウハである! 彼にどういった手と手牌が入っているかわからなかったが彼は必ずリーチをかけてきた。かなりの面前派で鳴くことは少なかったと記憶している パタ
麻雀を友人の家に毎週のようにやり始めてからしばらくの時間がたっていた 最初の頃はポンと鳴きさらして聴牌したらリーチまでかけていた俺たちはもういない 役がわからなくて対局中に本を読みだすこともなくなっていた・・ 点数計算はまだまだしていなかった・・・(全部30符計算だった) 牌山を積むのはめちゃくちゃ早くわなかったがそれなりに形にはなっていたと思う でも俺は皆に比べて遅かった やり始めた当初は皆いろんなアガりや役が見たくて白、發、鳴いているやつに中を切って役満を見よ
ジャラジャラという絵合わせゲーム 初めて牌に触ったときはそういった感じだった 一二三とか並んでいても意味が分からない何で同じ牌が4枚あるのか 何があがりの形なのか全く分からなかった 初心者用の麻雀の本をみんなで回しながらワイワイしている時間が 楽しかった。俺が最初に覚えた役は対々和だそのあとホンイツ 最後にタンヤオ平和とチャンタである ちょっとずつ手牌が変わっていく姿次来る牌のドキドキ感がたまらなかった みんな競うように手を作り狙ったいる役がわかったら その
1997年7月俺は中学生だった 当時週刊少年マガジンで連載されていた 「坊や鉄」 は俺たちの心をくすぐった ちょっと古臭いアウトローみたいな世界観 大人になりかけた俺たち少年たちは皆食い入るように その漫画にはまり個性豊かなキャラクターたちに 魅了されていった・・・・ そして牌に触れることにあこがれていた 一人の友人が麻雀牌とマットを購入すると そこが俺たちの溜まり場となっていった
初めまして雀士エンドウといいます。 この度noteで記事を書くことにしました。こちらでは私の麻雀関係で経験したことや体験したことなどをできるかぎりノンフィクションでストーリー形式で書いていこうと思います。 私は中学生のころ初めて友人に誘われて麻雀というものに触れましたそれからもう20年以上しています。そんな私のドラマを楽しんでいただけたらと思います。