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「ありがとう」を知った朝、空をみあげる

谷川俊太郎さんの訃報をニュースで知った。

高校の頃。現国の授業で「二十億光年の孤独」をレポートで書いたっけ。
「どんな詩だったかな」
くわしく思いだそうと物思いにふけっていると…

谷川さんが最後に朝日新聞へ寄稿した「感謝」という詩が紹介された、わたしは流れるニュースに耳を傾けた。

目が覚める
庭の紅葉が見える
昨日を思い出す
まだ生きてるんだ

今日は昨日のつづき
だけでいいと思う
何かをする気はない

どこも痛くない
痒(かゆ)くもないのに感謝
いったい誰に? 

神に?世界に? 宇宙に?
分からないが
感謝の念だけは残る

引用:朝日新聞デジタル

朝ごはんのパンをひとくち頬張っていた、口と手が止まった。
心から、声に、言葉にならない、何かが溢れそうになった。

「感謝」の詩を聞き終えたあと、ノートに詩をメモしたくて調べると、「ありがとう」という作品とも出会えた。

空 ありがとう
今日も私の上にいてくれて
くもっていても分かるよ
宇宙へと青くひろがっているのが

花 ありがとう
今日も咲いていてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも匂いも色も もう私の一部

お母さん ありがとう
私を生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度っきりしか言わないけれど

でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって
私はつぶやく 私 ありがとう

練馬区教育ネットワークポータル
全校朝会の話より引用

「感謝」と「ありがとう」の作品をならべてノートに書いた。
心の隙間を埋め尽くすように、言葉がならんだ。

やさしくて、あたたかい言葉たち。

急に個人的な話になってしまうけれど、先日カラダの至る所を検査した。テキパキと検査は進み、検査自体は何事もなく終えたのだけど、帰宅した途端にぐったりした。なんでか分からず眠っても何をしても、心は晴れなかった。

夫との電話にさえ、ぐったりが伝わってしまい気まずくなって、原因不明の心のよどみに振り回されていた。

どうやら検診をきっかけに、自覚がないままフラッシュバックを起こしてしまっていたみたい。

【ありがとうが言える日まで】という記事を投稿していた頃。

「ありがとう」「感謝」という言葉が心に浮かんでくることはなかった。
なんとなく穏やかな日々を過ごすうちに「ありがとう」が芽生え始めた。

谷川さんが遺してくれた作品のやさしい言葉たちが、よどみにはまりかけた所を、すっぽりと穴を埋めてくれた。



谷川俊太郎さん。
「感謝」と「ありがとう」を、多くの作品を書いて下ってありがとうございます。


心よりご冥福をお祈りいたします。

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chimo
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