【ありがとうが言える日まで】①無職スタート
「短い期間でしたが大変お世話になり、、、」
夕暮れ時。退職願の添え状の一文を打ちながら、パソコンの前で手が震えた。
こうしてわたしの無職生活はスタートを切ったのでした。
転職活動に明けくれたあの日々。
時間を返せよー!と叫びたくなる。
👇【ありがとうが言える日まで】の記事にあてた前書きです
いくつも失う
仕事と一緒になくしたものがいくつかあった。
悲しいことなんて人生のスパイスとして、バラツキながら起こったらいいのに。ちぇっ!と舌打ちしたくなるほど、今回はまとめて同時にきた。
まさかのリアル3段オチ。
落ち込むにオチいらないはずなんだが、、、。
そうパラパラとね、人生に起こったら悲しさも紛れた?
まとめて起こったからこそ、一気に考えられる良さもある?
どっちがいいのか分からない。
ただよく分かったのは多くを一度に失うと、自分も見失うということ。
夢と希望は・・・
長く勤めるつもりで応募をして、ありがたく採用まで頂いて、40代なりの淡い夢と希望をもって入社した。
その新しい職場で、簡単に言うと新人いじめに遭ってしまった。
欠員があった為の補填として私は就職できたらしい。
虚しい場所だった、、、わたしにとっては。
行き当たりばったりで教えるので、全てが中途半端になる上に、指導員がぺちゃくちゃと私語を最優先にしているので、席を外し放題。教えて欲しい時に何も聞けない。
何度か自分から指導方針や方向性を相談しても、雑談程度の軽口で肝心要が聞けない。
その相談らしき会話で分かったのは、結局なんの考えもないまま、適当に教えて覚えてもらう。適当に使い回したいのが透けて見えてしまった。
教える気が端からないのだ。
何日か後。複数人から言葉で滅多刺しに攻撃を受けた日があった。
夢も希望もやり甲斐もないこの職場に、
この日のうちに退職願を出してもよかった。
でも我慢をしてしまったんですよね、、、理由はあとでかきます。
あの人は今
私が入社する前に同じ部署に、早々に辞めていった人がいたそう。
会ったこともない前任者の「あの人」は、いま元気なのかな。
入社したての私に「前任は酷い人だった」と吹き込んだように。
きっと私も今頃「酷い人」になっている。
なんだかとっても不思議。そして理不尽。
辞めた私たち(勝手に前任の人も含めてます)は、何かしらのダメージを受けているのに、職場は何もなかったように文句を吐き散らかしながら、過ごすのだと思うと憎たらしい。
しかし・・・私自身が「酷い人」をぬぐい切れなかった。
実家にきた後、母に胸の内をこぼす。
「職場に迷惑かけて早期退職してしまったのは間違いないから、私って間違いなく会社からみれば酷い人だよね。この感情がぬぐい切れない」
・・・うなだれていると。
「ふん!!知るか!!勝手に思わせておけばいい!!」と母は憤慨した。
私にではなく勤め先にである。
うだつのあがらないウジウジしている私より、勇ましく怒れる母がほんの少し眩しい・・・。
やりきれなかった日
言葉の攻撃を受けた日は、家に帰っても体に力が入らなかった。
いつもは帰宅して、ご飯を食べてから後片付けと、その他の家事をしたあとに資格の勉強をしていたけど。そんな気さえ起きずにテレビを観ていた。
本当のことを言うと、資格の勉強は純粋な気持ちでやっていなかった。
むしゃくしゃしていた。
やりきれなかった。
悔しかった。
私語ばっかりして、いじめ三昧の現場に腹ばかり立てていた。
職業差別というのが、もしあるなら消えて欲しい。世の中に差別のない社会が叫ばれているのに。こんな身近にこんな手当たり次第に、人を分別していいわけがない。
「今にみてろ、この野郎」
負けず嫌いが私の心にギラついていた。仕事を覚えていじめを打ち負かすんだと、鼓舞していた。そんな人たちに負けたくなかった。
でも職場で打打ちのめされる度に、夕暮れの歩道の上で、仕事を辞めるか続けるかを悩んでいた。
アパートが見えてくると部屋の灯りがみえる。
家のリビングにポツンと1人でいる、旦那さんの姿が頭に浮かんだ。
先の見えない旦那さんの就職活動。
負けず嫌いで意固地になっている自分。
「今は辞めれない」
歯を食いしばった。
退職から学んだこと
言葉の大切さ
仕事上なら報連相のときも。
あいさつの時だってそう。
言葉は人を傷付ける為に、使う道具じゃない。人格否定するためでもない。
そんな当たり前のことが、当たり前にできない人が上にいる現場はツラい。
『ある複数人に言葉で滅多刺しに攻撃を受けた日』・・・
その場でキャリアがある人なら、度胸のある人なら言い返せる人はいると思う。わたしも言おうと思えば言えたのかもしれない。
ただ相手は話し合いを、できる人なのかどうか。
・・・そう思って、身を引くのがいちばんだと判断しました。
いじめは悲しい
10代の頃。
短期バイトの休憩時間に雑談していると、年上の人たちの間で、職種で人を判断する会話が飛び交った。その輪の中にまじらず黙って聞いていた。
分かったような、分からないような複雑な気持ちで短期のバイトを終えた。
それって職業差別?
それからいくつかの職場を転々としても、なぜか何処かしこでも、その手の話を聞く機会があった。
職種によって差別を受けた人、下に見られた人、見下す人、いじめをする人。
身の回りの全ては、誰かの手で作られているのに。
今日も道路があるのは。電気が通るのは。飲食店が開いているのは。スーパーがあるのは。宅配があるのは。もっと沢山の物事が目まぐるしく世の中を取り巻いている。
誰かが働いて、動いて、つくりあげている。
その人達の成した物事を、成果を、上とか下とか、分別して意識が低い、高いとか言わないでほしい。
侮辱しないでほしい。
私は以前の仕事を下世話に言われた。
そこで私の頑張ろうと思う気力は、ぷっつりと切れた。
急な離職時のココロ
喪失感、不安感。からくる体の変化が著しかった。
悪夢は毎日見る。
食欲もおちた。
食べ物がおいしくなる季節に、味覚も麻痺ってしまった。
いまさら旦那さんの離職時の心境を、やっと想像できるようになるなんて皮肉なものだなぁと、しみじみ思わずにいられない。
書類・手続きは手こずる
他に学んだことは、早期退職って純粋に大変。
突然に働けなくなるのは生活に大きなダメージありです。
退職はやっぱりできれば計画的に、会社と折り合いをつけて少しでも気が楽な状態で終えたいです。
結果的に早期退職になりました。(なってしまいました)
計画的な退職よりも後手後手に回るので、後味はよくないです🥲
それ以上に自分の未来、本当の意味での家族の生活を守る為なら、選択するしかないと思います。
書類関係、その他手続きは泣けちゃうくらいに手こずります。
まだあと引いているくらいです。これもまた人生経験か、、、。
何はともあれ無職のスタート。
スタートがあるならゴールがある。
また仕事がしたい。
なのに今はやりたい仕事に出会えていない。
きっとある、どこかにある
・・・と、じぶんに言い聞かせる秋の夜。
おまけの思い出
20代の頃にお世話になった尊敬する職場の上司は、誇り高く立派に生きていて。どんな従業員にも優しく平等だった。
じゃあその職場にいじめがなかったか、と聞かれると微微たる場面ではあった。上司は新人さんには気を遣って「分からない事があれば、何度でも聞いてくださいね。無理しなさんな。」
そう教えてくれた。
あとから新人を育てる側に私を立たせてくれた時に、その上司からの教え。
「新人さんは思っている以上に、気を遣って毎日仕事に来てるからね。安心させてあげる、思いやりの言葉を散りばめながら指導にあたってください」
今でも現役ではたらいてらっしゃる80代の方に教えてもらいました。
指導の厳しい昭和世代と言われるけれど、その指導にたしかに愛はあった。