「女の友情と筋肉」へのラブレター
普段、漫画はあまり読まないが、好きな漫画が2つある。ひとつは言わずと知れた「SLUM DUNK」だが、皆さんご存じだと思うので、ここであえて語ることはしない。そしてこの不朽の名作と並んで大好きな漫画が、「女の友情と筋肉」だ。
4コマ漫画が全890話あり、50話までは上記のネット上で読める。私はネット上でリアルタイム更新をずっと見ていたし、単行本も全て持っている。少なめに見積もっても、15周は読んでいる。長らく続いた連載が4月10日をもって終了してしまったが、最終巻は真っ先に予約した。
主人公はイオリ、ユイ、マユの3人のアラサー。身長185cmを超えるマッスルガール。それぞれ、握力97kg、100m走10.8秒、ソフトボール投げ85mという、人並外れた特技を持つ(第1話時点)。空を飛べたり、エネルギー弾を撃てたりもする。小学生の時に出会い大人になってもとっても仲良しな3人組のストーリー。
非現実的な設定に相反する、圧倒的リアリティー
3人のプロフィールに表れているように、物語の設定はかなり現実離れしている。簡単に大気圏を突破したり、月に行ってみたり、ウサギ飛びで地球を一周したりする。しかし、この漫画のキモは、それに相反するリアルさ。20代後半〜30代特有の、つまり現在進行形で自分が直面している、人生の幸せや悩みが圧倒的にリアル。
プロポーズされたり、婚約が破談になったり、授かり婚したり、親が病気になったり、働きすぎて体調を崩したり、大好きだった仕事を出産をきっかけに辞めたり、親に結婚や子供を急かされたり、、、そういう時の感情描写が、分かりすぎて心に刺さる。
そして、性格も趣味も異なる3人が支え合って生きていく、その「違うからこそ仲良くできる」感じも、自分の交友関係に重ね合わせて妙にしっくりくる。3人で美味しいものを食べる幸せ、ピンチの時の2人の存在のありがたさ、お互いへのリスペクトと羨望の感情、それから心遣い。共感が止まらない。
心を救う名言の数々
著者のKANAさんは、恐らく私と同年代の女性と拝察されるが、実は人生10度目くらいではないだろうかと、つい疑ってしまう。そうでなければ、これほど色々な登場人物の立場に立った重みのあるセリフは書けないのではないか。私は彼女らのセリフに、何度も心を救われている。
イオリはいわゆるバリキャリで、ストイックで仕事ができ、周囲からの評価はまさに「できる女」。しかしその分抜けたところがあるし、仲良しや身内には見せる弱さに、共感してやまない。
ユイは、引っ込み思案な自分へのコンプレックスを抱え続けている、芯の強い人。悶々としながらも自分と向き合って、色んな気づきを得て自由になっていく様子に励まされる。
マユは行動力と決断力がズバ抜けていて、他の2人とは比べ物にならない速度で人生のコマを進めていく。こういう友人、いる。正直自分とは程遠い存在で、羨ましさを通り越して嫉妬さえ感じるが、常にポジティブで切り替えが早い姿は憧れだ。この漫画を読むと、マユにはマユの葛藤がある、ということにも気付かされるのだが。
脇役たちも皆、愛すべきキャラクターだ。自由でテキトーだったウチウミは、マユの店で働くようになって周りをよく見て気遣える人になっていく。
イオリの後輩シバタは、お調子者でおっちょこちょいながらも非常によく頑張る、健気な人。全人類から愛されるキャラクター。シバタを応援する事で、私は元気になる。
イオリのパートナーであるユウヤは、浮気三昧のダメ男な側面もあるが、相手の気持ちに敏感な優しい人だ。考え方の力が抜けていて、慰められることが多い。
ユウヤの後輩のワタナベも、プライドとコンプレックスの狭間で葛藤している。
〆はイオリのこのセリフ。読んだ瞬間、自分の大切な友人たちを思い浮かべて、泣きそうになった。このセリフに、この漫画の全てが詰まっている。
できるなら一緒に生きていきたい
890話と長く続いた連載が、終わりを迎えた。もしも願いが叶うなら、この物語がずっと続いてほしい。もはやイオリたちは物語の登場人物を超えて、どこかで会ったことがある友達のように感じていて、自分がこの先歳を重ねていく上で生じる葛藤を、イオリたちに共感しながら、一緒に生きていきたいと思っていた。
連載終了はとても寂しいが、どこかの世界線でイオリとユイとマユはずっと一緒に生きている気がしている。そして私は私の世界線で、大切な友人を心から大切にして、生きていきたい。