孤在性繊維性腫瘍2
というわけで未知なる腫瘍と闘う
ハメになりました。
自分の姉弟というのはやはり心のツボが分かっているらしく一撃で仕留められた僕は早速、抗がん剤を飲むことになりました。
ヴォトリエント
これが僕の腫瘍に合うと言われた最初で最後の
抗がん剤…
僕の場合の孤在性繊維性腫瘍というのは悪性と良性そして
中性という他の腫瘍にはみられない厄介なやつみたいで、どっちに転ぶかわからないという曖昧な状態で発見された段階では効果が有ると確証もなくとりあえず血流を阻害して腫瘍を痩せさせるという兵糧攻めのようなものでした。
当然、腫瘍だけに効くという都合のよいものであるはずもなく
僕がやられるか腫瘍が先か
みたいな闘いでした(笑)
やると決めて腹を括って挑んだスタートでしたが、
僅か二週間後にはギブアップ(-_-;)
手足症候群という副作用がではじめてまぁ痛いのは大概我慢できた人生でしたが、ペットボトルキャップすら開けれずまともに歩くことも出来ないくらいの痛みに襲撃されました(-_-;)
母親の事もあり両親の元に帰っていたのでゴミ捨てのときなど、苦痛に悶えたいけどその姿は見せられないという己が選んだ茨の道にどっぷりとハマりこむかたちに…
しかし本当に痛いときは足の踏み出し方が分からないほどの痛みでした。(意味が分からないと思いますが本当に足の動かし方がわからないのです(-_-;))
そんなこんなをして情けない事に僅か二週間後にはギブアップ(-_-;)
薬の量を減らす事になりました
初めは4錠…そして3…2とここでギリギリペットボトルのキャップが開けれるくらいになりました
最近の薬の出し方的にはMax量から少しづつ減らしていくのがセオリーになっているようです
流石にお仕事をしないとご飯が食べれなくなるので、昔ながらの気合と根性で乗り切っていくことにしました。
知人からのサポートもありそんな生活が1年ほど続きました。
その時に気付かされたことは、やっぱどんなに頑張っても本当に困ったときは一人ではやっていけないと思った事です。
俺に根性がないからなのかもしれないけど、ほんの少しの助けが自分の苦しみに勝つ力になると思わされました。
飲み物の蓋が開けれなくて四苦八苦していた時にそっと開けてくれたり、階段を降りるときに密かにベルトを持ってくれていたり、ホントに些細なことが自分を奮い立たせる力になりました。
言葉で心配の声をかけてあげなくてもいい、ほんの少しのお手伝いだけでも当事者には心の支えになるんだなと考えさせられた一年でした。
でもキツイもんはキツイし、痛いもんは痛いけどね(-_-;)
でもなんやかんやで1年が経ちその時が訪れます