孤在性繊維性腫瘍4
と、いうわけで本日は想いも虚しく母親がホスピスに入り数日もたたずに救急車で情けなくも出荷された日である。
2日3日の記憶がおぼろげながらも取り敢えずこれが激痛!!
と、いうものを体感しそしてキレイな白旗をあげたアニバーサリーな日である。
痛みに負け越したことにムカついたので悪ふざけのTシャツを着て記念撮影をしたのが上の写真である
そんなこんなで親子共々病院送りになりましたが、
真面目な話をすれば痛みに耐えながら救急車に乗せられたときは
「とりあえずは逃げきった」
とよくわからない複雑な安心感もあったような気がします
ホスピスとは説明するまでもないかもしれないけど
覚悟を決めた人達が行く場所です。
コロナの渦中であったこともあり一日に30分だけしか面会が出来ませんでした
普通カッコいい事を言えば、
毎日欠かさす母親のために通いました
なんて事を言いたかったのですが、前回の内容を見てくれていればわかると思いますが、こちらは後ろめたい気持ちがあった為正直、あまり足は向いてませんでした。
行ったら行ったで後ろめたい気持ちになり、心配というか何を話していいやら…
母親とは激しく性格が似ているそうなので
腹を括って今いる場所に来ている
というだけでなんとなくだけど想っていることは
わかり合えていたと思います
「なんか怖いことはないか?」
「大丈夫」
「いろいろ大変な人生やったし想うこともあるやろ」
「目の前に最高傑作がおるけん大丈夫」
「そっか…んじゃまたキツい目合うかもしれんけど、また逢おう」
それが俺と彼女との最後の会話です。
日々弱っていく彼女を横目に何度も
「ホントのことを言わなくても後悔しないか?」
と、心苦しかったのも覚えています。
だから救急車に乗った時に
「良い言い訳ができた」
などと痛がってるくせにそんなクソみたいな事を思ったのかも知れません。
激しい痛み
とか言ってるけどそんな事考えれるくらいだからそんなに痛く無かったのかもしれませんね(笑)
と、まぁ人生で初めて救急車に乗せられる側になった私めは痛み止めを射って帰れるだろうとか思ったりしていたのですが
残念なことにそのまま居残り…
そのまんま入院というスタイルになりました…
「まぁ2、3日かな?」
くらい思っていたら、普通に入院のようでした
強い痛み止めと痛みでそのまんま寝てしまったようで目が覚めたときにはよくわからない機械が沢山と
嫌いな点滴、そしてもはや歩行困難に陥っていたので下腹部の先からも拷問のような管が一本ついてました…(-_-;)
「いや、全然帰れる要素ないやん(-_-;)」
そうしてここから俺の人生の中でぶっちぎりワースト1位の日々が始まります。