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【エッセイ】見ず知らずの本
自分の部屋に人を呼んで、見られて1番恥ずかしいもの。
わたしにとってのそれは、本棚だと思う。
何気なく仕舞ってある物語やエッセイ、実用書、自己啓発本たち。
その一冊一冊からどんなストーリーの物語が好きなのか、どんな立ち振る舞い・人とのコミュニケーション・心持ちで自分が在りたいのかを、見透かされてしまうような。
自分の頭の中をそっくり丸ごと見られたような気分になってしまう。
実際、わたしの本棚は『わたしの頭の中』なのだ。
自分にとってわくわくしたり触れて心地が良い言葉や内容の詰まった本達が、そこには収まっている。
その中から『今の自分はどんなものに触れたいのか』と自分に問いかけながら、ひとつひとつの本を手に取って“今読みたい一冊”を探す時間は、この行為でしか味わえない安らぎのようなものをくれる。
先日、いつものように一冊ずつ本を手にとっていた時に「ん?」と一冊の文庫本に妙に目を引かれた。
手に取って裏面に記してある概要に目を通すとさらに自分の中の「?」は増えた。
『これはわたしが本棚に加えたものなのか?』
目を通した概要の内容や並ぶ言葉が、どこか自分には関わり合いのないよそよそしいものに感じた。
『この本を買った時の自分は何か惹かれるものを感じたのかもしれない。』
『中身を見たらどうしてこの本がここに収まっているのかわかるかも?』と思ってページをめくっていくがある程度キリの良い所まで読んでなお、「?」は増えていく。
なんだかいたたまれなくなって本を閉じた。
この本の内容が、良い悪いとかじゃなく自分にしっくりこないのだ。
なんだか自分の家の中に見ず知らずの人がいた時のような気持ち。
家から出て街中歩く最中にその人と対する時には、感じる事のない違和感なのだ。
自分が繕う事なくありのままをさらけ出せる場所で居合わせるからこそ、どうしたら良いのかわからなくなるのだ。
『どうしてここにいるんだろう』と。
しかし、当たり前に見ず知らずのその人にも帰る家があり、大切にし大切にされる誰かはいるのだ。
わたしにとって(まだ(?))そうでないだけで。
この本もそれと同じこと。
まさか無機物の詰まった本棚で自分がそんな感情になると思わなかったのでなんだか面白い発見をしたようで嬉しくなった。
それだけわたしの本棚に身を置いてくれている本達は、ただの無機物なんかではなくわたしに瑞々しい発見をくれて心地良く・寄り添ってくれるパワーを持ち合わせたものばかりなんだと。
うっかり本棚にやってきた見ず知らずの本は、わたしの元へそんな発見を運びに来てくれたのかもしれない。