距離、フィルター
距離感にも色々ある。
人との距離、物との距離、心の距離、snsとの距離、自分の作品との距離。
私は思ったことを割となんでもインスタグラムのストーリーとかに載せてしまう。ポジティブもネガティブも。以前からなんだかこれは良くないなという気がしていた(人の気持ちと自分の気持ち的に)。なので、スマホから本垢をログアウトしたことで見る時間を減らし、その代わりに家に帰ってからしか操作しないiPadに本垢を入れた。その作戦を実行したことで、私のストーリーを見る人にも自分に対しても健康的な接し方ができていると思っていた。
昨日、シルクスクリーンの講評だった。シルクスクリーンというのは孔版と言って、穴が空いた部分にインクを通して図像を印刷できる印刷技法である。手書きのものからデジタルのものまでアナログで出力できるのはポイントだ。
その授業では同級生が5人いて、その一人に自分の好きなオリジナル幼女キャラを描き続ける猛者みたいなやつがいたのだが、その人が制作したものに、油彩で描いた幼女キャラを写真に撮り、本番の紙サイズに拡大し、CMYKに別れた版で刷り直すというものがあった。つまり、撮影した写真を色別の分解してもう一度重ね合わせるという作業をしていた。
印刷された幼女は、元々あった筆致や生々しい絵の具の艶が抑えられフラットで軽い幼女に生まれ変わっていた。
私はその作品を、以前から制作してるものより好きだなと思った。と同時に、生の感情から生まれたものは暴力的なんだとも思った。
(生の感情=心により近い感情)
生の感情から生まれたものは、静かに佇んでいるようで殴りかかっているような雰囲気がする。だから、何かしらのフィルターをかけないと他人と共有できるまでいかないのだ。
話を戻すが、私はsns自体との距離感は変えたが、そこで投稿するものとの距離は全く変えていなかったことに気づいた。つまり、頻度を減らしただけで生の感情を撒き散らしていることに変わりはなかったのだ。自分の幼稚性に反省した。マジゴメンと言いたい。
ただし、この気づきによって自分も描いていいかもという範囲が広がったので、まあ良しとした。