10月の旅日記 のつもりが、継続について黒歴史とともに語る。
気がつけば、前回の投稿から2ヶ月近く経ってしまいました。
前回までは、毎日投稿するぞ!と意気込んでいたのですが、10月中3回投稿して
ストップしてしまいました。
なかなか継続していくのは難しいと感じている、今日このごろ。いや、ずっと継続するといううことに難しさ、というか高い壁を感じて生きてきています。
わたしの性質上、おもしろいこと、楽しいこと、新しいことをやってみたい、やっっちゃおう、やってみた、どんどんやっちゃおう。。あれ?楽しいんだけど、ちょっとめんどいな、今日はお休み明日やろう、明日になってみたけどやっぱりめんどいからまた明日やろう。。と続いてあれ?ぜんぜん続かないぁ となる場合が多いです。
なので、継続の高い壁は若いころから、自我に気づいたころから、万里の長城のように?えんえんと続いていたのです。
続かないことは続いている というか、継続できないことは継続している といううか なんなんでしょう。
多分、それは子供のころから付き合っている不安と大きく関係があるように思います。
子供のころからわたしは家にいても、ここじゃない、わたしのいるところはどこなんだろう という感覚があり、なにかをやっていても、人と比べて、人より劣っていると感じると違うこれじゃない、違うことを探そう、とそのやっていたことをきっぱりやめてしまったりと、とにかく自分の居場所がわからなくて、ずっと不安だったのです。
家にいても、学校に行っても、遊びにいっても、親戚の家に行っても、
とにかく不安でたまらなかったです。
不安でこわいから、他人と話すのも苦手だし、家族にもトゲトゲしたり、イライラしたり。
一番つらかった時代 を振り返ってみようとしたら、そもそも自分というものを確認できた時から中学校、高校、大学、社会人になってからもずっとなので、一番とか最下位とかの波はなくコンスタントに常に不安。生きているから、毎日の細かな波みたいなものはありますが、どーんと落ちて浮き上がれないというようなこともなければ、すごくハッピーで全部ポジティブに捉えちゃう というようなこともない。
常に心に管理するシステムがあって、頭の中で、どーんと落ち込みそうになると「そんなこともあるさ、大丈夫」となだめて、そこそこ引き上げようとするアナウンスが流れ、すごく嬉しいことがあって、気持ちがうきうきしてくると「あんまり浮足だつと足元すくわれるよ」と警告のアナウンスが流れるというふうになっているようです。そして、そのシステムは割と警告のほうが強めで「あんまり調子にのるな」とか「好きなことをして生きていけるなんてひとにぎりの人間だけなんだから、嫌なことがあっても、普通に会社で働かなきゃ」とか「そんなこと言ったら(やったら)みんなから総すかんくらうぞ」とか、いわゆる自己否定、警告というより攻撃になっていました。
それでも、その攻撃がエスカレートしていかなかったのは、多分、わたしの場合は「逃げる」という行為があったからだと思います。うつとか病気にならなかったのも「逃げる」ことができたからでしょう。
学校では、とにかく自分に嫌なことをしてくる他人たちから逃げていたので
友達はおのずと少なくなりました。仕事をするようになっても、一応、表面的にはみんなと合わせようと必死に愛想よくふるまってみたり、好きでもない仕事をなんとなくや、お金のために選んで普通にこなそうと努力してみたりしましたが、やっぱり無理するとメッキが剥がれてしまうというか、結局は周りにこんなひとだったのかと落胆され態度を一変され、居づらくなり逃げる。この繰り返しでした。
でも、その「逃げる」という行為が、わたしのこころが大きく崩れることを防いでくれたのだと今は思っています。
自己紹介では、確か、その繰り返しを止めて楽しく生きていく模索中云々と書いているはずです。(忘れています 笑)
ここまで、振り返ってみて、実は書きながら自分で驚いています。
元々、10月の旅の日記を書こうとパソコンを開いたのに、こんな自分の恥部というか今までの黒歴史みたいな部分をさらす予定ではなかったので。
しかも、書いている途中で自分で、あーそうなんだ、なるほど、と納得をする自分がいて。
この投稿を書き出したのは、そういうことだったのかと勝手に腑に落ちてる最中です。
つまりは、根本から間違っていたのだと。
他人(社会、世間)に自分を合わせようとしてたから、自分が苦しくなって逃げ出す流れになってしまうので、自分に他人(社会、世間)が合わせてくれればいいのだと。
そんなに他人(社会、世間)が合わせてくれるわけないじゃんと思っちゃうんですけれども。
合わせてくださいとお願いするのではなくて、
他人(社会、世間)が受け入れるかどうかは置いておいて、わたしはこういう人間ですと先に提示する。それを他人(社会、世間)が拒否する場合もあれば、OKということもあるということ。
「先に自分というものを提示する」というのは、本当の自分、つくろわない自分を出していくということ。
それって、心の管理システムで攻撃を受けている自分をまるっと受け入れること、OKを出すこと→攻撃を解除すること ですよね。
攻撃を解除して、システムを再構築していけばいい。
警告→攻撃→攻撃を解除→
ダメだなと思うところを受け入れる+やってみてもいいかもと思う改善策を実行してみる
→失敗しても攻撃はしない→また、やってみる(無理にやらない、頑張らない)
→少しコツのようなものがわかる→また、やってみる→ちょっと楽しくなってくる
→あれ?続いてる→継続?
結局、継続をするってことは
自分をまるっと受け入れて、そのままの自分を表面に出していく
この現実世界に出していくということから始まるらしいです。
他人のことは気にせず。(気にせずといっても、他人に配慮や敬意を持たないということではないですが)
ということは、
継続=生きていく
ってことなのかもしれないですね。
最初に書こうと思ったことが書けませんでしたが、わたしにとっては
気づきのある投稿になりました。
今、読んでいる途中の本の影響がもろ出ていると思われます 笑。
坂口恭平さんの「継続するコツ」
おすすめです。
10月の旅日記はまた、思い出したときに書こうと思います。