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無呼吸疾走のツケを払いながら、「休む」ことの難しさに向き合う日々

「タスケテ…死ンジャウ…」


昨夜僕から漏れ出ていた言葉は、そんな二言だった。

涙と嗚咽でぐちゃぐちゃになりながら、夜中に妻に吐露した胸中は、抱え込んできた想いに蓋をしておけなくなったものだ。


言葉を飲み込み、自分の中に感情が渦巻いているとき、抑え込むために必死にエネルギーを使う中で、心臓の鼓動がどんどん早くなっていった。

アイマスクをして、ノイズキャンセリングのイヤホンをして、誘導瞑想を聴きながら、無理やり気持ちを抑えようとしたけれど、高鳴る心拍は、そんな「外部刺激」をものともせずいに、僕の思考をジャックした。


身体の中に次々と爆弾が落とされているような感覚である。爆風が巻き起こり、吹き飛ばされないように両手両足に力をこめる。次から次へと身体反応が起こり、あたまの中には「無理」の二文字がこだました。


そんな状況にパニックになりそうだった。それでもどこか冷静な理性もはたらいていて、自分の挙動をおさえつけている理性と、頭の中で「あぁ、心が感じているこの爆風が、身体にあらわれ続けた先には、心臓だか血管だかが破裂して死ぬ未来に繋がっているんだろうな」と感じている自分とがいた。


頭の中に浮かんできたのは、「このまま死んでしまうのなら、せめて妻に今までありがとう、と感謝を伝えたい」という気持ちだった。


内側に抱え込んで居続けるのは限界だなぁと感じて、口を開いた僕から漏れたのは、「タスケテ」と「死ンジャウ」という言葉だった。

ありがとうより先に、僕の身体からは涙と悲鳴とSOSが漏れ出ていたのだった。




会社を休職して早いもので2週間が経つ。2か月の診断なので1/4の期間が過ぎ去った。

休息することに向き合う日々だ。

子どもの保育の準備があるから、手続き的な「やること」があったり、自分の中に湧いている言葉をそのままにしておくと頭が考え続けてしまうから声に出したりnoteに書いたりして頭のガス抜きをしたりしている。


食事など、生活に必要なことについては少しでも楽しい気持ちで向き合いたいなと思うから料理もするし、その先の展望を思い描いたりする。


「とにかく寝ていろ」と言われたとて、幼い子どもがいる中での暮らしは続いていくわけで、僕のSNS上での存在は続いているわけで、復職できるかどうかも見通しが立たない中で人生の選択肢を手放すわけにはいかないわけで・・・と、「やらなきゃいけないこと」を差し止めになっている今でも、まだまだ僕には「やりたいこと」が乗っかっているのだなと思う。


「本格的に休めるようになる前に、休むのに慣れるための期間が必要なのよ」

そう、会社のカウンセラーさんに教わった言葉を思い出す。言うとおりだったなと思う。「休みなさい」「休みます」で、急ブレーキをかけられるような機構が備わっていたなら、そもそもこんなに追い詰められたりしない。


「休む」にも、技術が要るのだ。


頭は勝手に思考するし、ぼーっとしていても休んでくれるわけではない。考えついたことや話したい欲求は「おさまれ」といって収まるものではないし、沸き立つ感情だってオンオフが効くものでもない。

休むって結構難しいのだ。


外から見ていて、身体活動を止めている、サボる、みたいなことはわかりやすいけれど、「頭の中まで含めてちゃんと休む」のって、結構難しい。

だから「とにかく寝てろ」ということになるわけだが、たくさん寝てると寝付けもしないんだなこれが。

そこで、睡眠薬だったり、意識レベルを落とす薬が使われたりするわけで。


僕には子育てがあるので、「眠ってしまってまったく起きられないのは困る」という方針を医師に伝えている。そして薬の処方なしで休息をとることに挑戦しているわけなのだが、「日々を無為に過ごすこと」に抗って数十年生きてきた身体の習い性はそう簡単に止まってくれない。


マジで何もできないな、となったGWの発熱ダウンしたときでさえ、熱にうなされる頭の中では繰り返す悪夢が無限に上映されていた。しんどいんだからそこは夢とか見せてないで寝かせろよ、身体。



そんなわけで、ローカロリーなことに「集中」を注ぐ瞑想・誘導瞑想だったり、頭のはたらきをさせなくするサウナだったりが効いている感覚がある。今日もサウナにいかせてもらえてかなり頭が軽くなっている。



こういった状況の中で、自分の「活動」(と目されるもの)はかなり絞っているつもりなのだけれど、それでも毎日はすごい速度で時間が過ぎていく。朝起きて、ちょっと収録して、こまーとご飯を食べて、寝て、サウナに行って、というだけでもう夜だ。1時間後にはもう布団に入るつもりだ。



本さえ開けていないこの暮らしを送る中で、「いったい時間はどこに消えていくのだ」と不思議に思っている。まぁ「休息」に充てられている部分も多分にあるのだろうけれど、それでもそれなりに僕の身心は負担を感じてき続けていたようで。


20時ごろになると、「限界」という言葉が浮かんでくるのだ。体力の限界、気力の限界。いやぁ、本当に、休むのって難しい。


息を止めて走り続けてきたツケを払うのには、まだまだ時間が必要そうである。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。

労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。

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