復職から、9か月。
対人支援を生業とし始めてから、「自分の仕事の在り方を何かに喩えて捉える」ことをしてきた。
それは、DoingとBeingを表現するものだったのだけれど、ある時期の僕は自らのBeingを「百姓」に喩え、またその次の時期には「藩主」に喩えていたことがある。
前者は「他者のため自分にできることを出し惜しみせずに百の仕事を果たしたい」という願い、後者は「自身の在る生活圏・経済圏を俯瞰し、流れを適切に整えることで他者と共に豊かな集落を築きたい」という願いの表れだった。
休職期間を終えて僕がこの9か月間身を置いた学校という場に携わる中で得てきたものを捉えたいとずっと考えていて、本noteを書くことを通じこれを進めていきたいと思う。
いざ向き合ってみようとすると、要素が膨大にある様に感じ、なかなか最初のとっかかりを掴めずにいた。ようやく今回筆をとって書き出し始めてみたところ、初めに出てきたのがこの「Being」のイメージだった。
リアルの教室で、数十名の生徒の担任となり、働き始めたばかりの頃によく感じていたのは、「全身全霊」の感覚だ。僕が持っているものを、いろんな領域・経験から引っ張り出してきて、ことに当たる。総動員しなければ立ち向かえないような、大きなものを相手取っている感覚。
久々の組織仕事・初めての顧客層ということもあり、単純に「適応」のために使っていた体力もあろうし、適応障害の経験から再び傷に向き合う恐れや緊張のために漏出した気力もあっただろう。それでも、そういったもの以上に「総合格闘技」な感じがしたのだった。
ケイさんにコーチになって頂いていた頃の、僕の毎度のテーマは「全力の開放」であった。中学の頃の陸上部の情景、腹の底から声をあげ、全身の細胞で走りきる感覚への憧憬。心地よく、「やりきった」清々しさに出会いたいと願う衝動を思い出す。
当時は休職に至るド直前であり、心身の状況はかなりギリギリ。というか、既に心のほうは千切れていた頃だったと思う。そんな中で抱えていた願いが「全力の開放」というのは、今思うと不思議な感覚でもある。
とはいえ、後半のセッションの頃には、「ただただ、何もせず、柳のように揺れていたい」という深奥の声にも出会ったし、心身の状況としては「休息・平穏」を求めていた他方で、自分が足をかけた「複数の願いの現実化」していた外面世界でのBeing・Doingを希求する気持ちが、「全力の開放」という姿として顕現していたと考えると、腑に落ちる気もする。
「精も魂も尽き果てる」という表現がしっくりくるような状況だったのかな。色彩は寒色。というか、灰色。「どうすれば日々が繋がるのか・・・」と先行きの見えない不安に疲弊しきっていた。
それは「体力の漏出・抜け殻」であって、「全力」ではあっても、「100m走をベストコンディションで駆け抜ける」ようなものとはまた質感が大きく異なるものだったのだろう。
このnoteの「5.中略。そして、今。」から語り始めた当時の状況は、今でも読み返すことをちょっと躊躇している自分に気づく。
そういう感覚とは、また全然違う。
もうちょっと暖色な体験だと思う。2024年の4月に毎日書いていたnote記事を思い返すと、帰りの電車で半分気絶しながらなんとか日々を繋いでいた感覚がよみがえってくる。
実際毎日ヘトヘトだったのだけれど、家に着いて妻と話すと、「語ることからも様子からも疲れが滲み出ているけれど、なんだか嬉しそうだよ」とフィードバックが返ってきたのだった。
きっと、僕の求めていた「全力感」に近しいものが、この直近の9か月間には詰まっていたのだろう。
自分の経験や知識・能力の「総動員」感覚を想うとき、やはり思い浮かぶのは僕の存在意義を表現したセンテンス「人の命に苗を植える」である。
そしてその後に描いた「未来の自分(3年後)」の絵を見て、なんだかとても豊穣さを感じたのだ。
存在意義を表現した当時、それが何を意味するのかは、自分でも判然としなかったというのが正直なところだ。
でも、ラジオで毎回の挨拶をこれに変えてみたり、noteを書く際に意識してみたり、日々の自分の暮らしで繰り返しこの言葉にアンテナを立て続けているうちに、言葉に意味が育ってきたようにも感じている。
今は、「僕自身の人生体験を通じ、問に対して得てきた体験や育ててきた知恵を、現在現実に困っている他者に手渡していく営み」だと捉えている。
それはこのnote執筆もそうだし、ラジオで話すこともそうだし、学校現場で生徒に伝えていることもそうなのだ。
「総動員」の中身は、僕もかつて高校生であったことだったり、現在進行形で親であることだったり、人間関係に葛藤し続けたことだったり、仕事と育児を両肩に乗せて苦しみ余白を失ったことだったりする。
ライフコーチングの知識や実践も、コンサルティングに携わる中で得てきたポータブルスキルも、個人事業を営む中で出会った喜びとしんどさも、生徒や保護者様と日々関わる中で全部が、発揮の機会を得ている。
まさに「百姓」的に何でも屋的な仕事をしている。
また、個々別々に接するだけでは追い付かない種々の「コミュニティ」や「生徒を中心とした人間関係圏」の問題に対処するために、構造的なアプローチが必要なことも明白で。
こちらは「藩主」的な視点で世界を捉えて、現実に対処していく意思決定が重要だな、と痛感しているのである。
そんな、かつて果たしたかった「Being」で日々の仕事に従事することができ、家族やコミュニティ(同僚や、学びの場や、生徒たちや、保護者の方々も含めて)の支えによって、「全力(ベストコンデイションで100m走に臨もうとするような)」を発揮せんとする礎が整えられているとも感じている(まぁ、今でも「デフォルト絶不調」な体調の日は多いのだが)。
このテーマ(学校で働いた9か月間で得たもの)に向き合いたかった背景の一つは、「ライフコーチとしての自分の価値の源泉は何か」を掴むことにあったから、もっとエンドユーザーからもらった言葉や観察された変化に向き合って「特に喜ばれた関わりやケイパビリティ」を見出していくものだと思っていたのだけれど・・・
それはそれで必要で、見つかるのかもしれないなと思いつつ、このnoteを書きながら気づいてしまったような気がする。
結局それは、「僕自身のBeingである」ということになりそうだな、ということに・・・。
もっといえば、「自身の根っこと繋がったBeingで日々を生き、その中で果たしているDoingにそれが息づいていること」なのかなと思う。
そんなところに着眼できたのはひとえに、みりさんのこのnoteに触れたからなのかもしれないね。
あと数日で始まる最終クォーター。
「高度を上げる」ことへ切り替わった感覚の今、どんな日々になるのか楽しみ(だし、不安。2次プロセスだと思うもん。)だし、クォーター終わりの春休みからGTC で学ぶことも楽しみだ。
そんな体験と学びを経たであろう9か月後の9月、豊穣な「未来の自分(3年後)」の絵を、体現していたいなと思う。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
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