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休職明けから、2ヶ月半。

久方ぶりに、記事を書く。


新しい環境で働き始めて、2ヶ月半。


適応障害の診断を受けてから1年と7ヶ月を経て、再び企業組織で働き始めた。

4月の頭から数えて2ヶ月半が経った。


1年半の主夫生活の終わりに先立って、新生活への不安はあれこれ噴出していたけれど、実際に働き始めてみれば、その多くは杞憂だったように感じる。

何せ立ち止まり、思い悩むような、いとまがない。


4月から5月にかけては毎日noteを書いていた。

仕事を終えた帰りの電車で、スマホで15分。

書ける抽象度を選ぶと、ほとんど詳しくは書けないので、変わり映えのない日記を綴っていたように思う。

ほとんどが、体力の葛藤だったような。


帰りの電車で気絶するようにクタクタになっているのは今も相変わらずではあるけれど、新しい環境には幾分か慣れた実感もある。

数十人を前にしてワークショップのファシリテーションをするのは毎週のお決まりとなり、「1:Nの関わりが不安」と話していた頃が遠い昔のようだ。


慣れてはきたが、熟れてきてはいないので、「改善したい点」が見えるようになってきた、というのがこの2ヶ月半の変化だろう。



全霊感覚、出力のもどかしさ。


三十数年を生きてきた中で、時たま顔を出してきた「燻り感覚」は、今の暮らしの中ではすっかりなくなった。

これまでの人生体験を総動員して場に臨んでいる感覚があるし、それは僕の純粋意欲の発露でもあるから、仕事を含めた今の暮らしのサイクルは、充足感に満ちているのだろう。


領域においての全霊感、はあるものの、各領域においての出力(あるいは、クオリティ)については、まだまだ足りない感覚も同時にある。「もっとできることはあるはずだ」と言い換えてもいい。


焦燥感というよりは、挑戦の余地として在り、前向き・前のめりな感覚でもあるように思う。


例えば1:1の関係性における対人支援の機会は爆発的に増えている。5月以降、対面での面談をした相手の数は38名にのぼる。

だけれども、自身が扱えるテーマ・関わった相手の人生の変化量、という観点からみれば、ライフコーチングスキルの10%も発揮できていない感覚がある。


そういう「場」として設られたものではない、インビジブルコーチングの機会ではあるし、リアルな場でのゼロからのパートナーシップを醸成するファーストコンタクト、と考えればよくやっている方だとも思うけれど、「僕が手渡せるものは、まだまだこんなもんじゃないよなぁ」とも感じているのだ。


人生で経てきた試練、眼前へのアウェアネス。


僕の休職前後の大きなテーマの一つが、「対立」だった。

それは、妻との1:1の関係性であったり、さらにチームとして拡大して家族との関わりだったりしたのだけれど、かなりエッジに直面し続けたものでもあったように思う。


今、働いている現場においても、対立が表面化し始めた。

そして、一人一人の正義、その対立が起こっている表層に見える防衛本能、ボタンの掛け違いと蟠り、に直面しながら、「これは、僕自身が経てきた物語でもある」と感じている。


当事者の一人一人それぞれが、かつての僕自身であった。


今は、「対立」に内包される豊かさを知っている(いや、知り始めた、というくらいかな)けれど、渦中で苦しむ彼ら・彼女らにとっては、それは「避けて遠くに追いやっておきたい」忌避すべき事象そのものだろう。

対立の炎にとどまれるだけの、命の余力も無いに違いない。全員が精一杯。そう、感じているのだ。


一人一人に関わり、向き合うだけでは足りない事象、関係性の総体の中に生まれている可能性と未来の泣き声のようにも思う。


仕事の傷を、仕事で癒す。


昨年の12月4日。宮本さんにして頂いたパーソナルコーチングのセッションの中で掲げたテーマが、この「仕事の傷を、仕事で癒す。」である。

これはこの2ヶ月半で、劇的に叶っているように思う。


同僚にはめちゃめちゃ恵まれたし、関わる顧客にも恵まれた。

僕の人生経験が、培ってきたものが、今の在り方が、いろいろなシーンで喜ばれ、歓迎され、役に立てていることを実感するし、これまでの仕事人生において痛感してきた得体の知れない痛みが疼くこともない。


それはまた、これから働き続ける中で再び出会うものなのかもしれないけれど、少なくとも休職期間中に感じていた、「もう僕は、社会とつながりなおして働くことはできないのかもしれない」という、諦めにも似た絶望感覚からは、随分遠くまで歩いてこられたように感じているのだ。


むしろ、躓いたからこそ、できるようになったこと、寄り添えるようになったこと、汲めるようになったこと、呑めるようになったことに、溢れている。

今の僕自身の在り方の確からしさを思うにつけ、(痛みは尋常じゃなくあったけれど)必要なプロセスだったのだと、痛感させられている。まぁ、再び味わいたいかというと、ご遠慮願いたいけれど。それだけ本気で痛かったわけで。


慣れたそばから、新しい現実がやってくる。


季節が移ろい、夏が顔を出してきた今、春にようやく馴染んできた事柄から先の事象が次々と訪れて、常に変化が流れ続けている。

ファシリテーションに慣れてきたかと思えば、個別の添削仕事が立ち現れ、最初の関係性作りに安心できたかと思えば、対立する集合体が次々に出てくる。

なんだか期末テストのような・・・総合力を問われているような・・・そんな試験を、日々の中で受けているような気がする。

それは、僕の人生のいろいろなシーンで出会ってきたあれやこれやが、統合された現実であり、統合を進めていく中で、適応が叶うようになってきた問題たちなのかもしれない。



面白い人生を、生きさせて頂いている。この暮らしを支えてくれている家族、同僚、学生たち、そしてエールをくれる友人たちに、感謝を伝えたい。ありがたいことだ。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。


コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。


そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。


コーチングに触れて、ガラリと人生が動いた話はこちら。

「居場所で人を自由にしたい」想いをインタビュー頂いた動画はこちら
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