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「ちゃんと今日を生きたこと」に、花丸をあげたくなる気持ち

9/1に子どもの慣らし保育が始まる。

これに向けて妻と必要書類を書いていて感じたのは、懐かしさだった。


家族構成や連絡先など、複数の書類に同じような情報を書かなければいけなくて、ついつい「アプリにならんのか…一回で済まんのか…」などと感じて面倒さを覚えていた。


自宅から園までの地図を手書きしなければいけない、という書類に向き合いながら、「これグーグルマップを印刷して貼った方がわかりやすいし正確だよな…」と思いながらも、クリアファイルの背などを利用して概略図を描く。


道路ってどう表記するんだっけ?線路は?目印は?地図記号とかあったな、あれに触れたのって小学生の頃だったっけ。


地図一つ描こうとして、とても古い記憶が飛び出してきたことに気付く。社会科だったか「せいかつ」だったか定かではないけれど、そういえば地図を読むための記号を暗記していたなぁと。


なんとなればグーグルストリートビューで現地の写真まで覗きに行けてしまう世の中にあって、旧来の武骨な地図にお目にかかる機会はとんとなくなったように思う。

こうやって、昔学んだことや、生活の知恵として生み出されてきた知識は古びて淘汰されていくのだろうか、などと思いながら。



子どもの生活実態調査、といった用紙に、出生体重とか予防接種の日付を書く欄があり。そういえば、生まれてからすぐは病院や検診に行くたびに出生体重を書いていたから暗記していたなぁと思いつつ、今や母子手帳だよりの曖昧な記憶である。


一年前のことでさえもう懐かしい。


「時間感覚は年を経るなかで加速度的に短くなっていく」といった話を思い出しながら、色濃い日々を送ってきたこの1~2年は、本当に矢の如く駆け抜けたように思う。え、2022年、もう9月になるの?


休みをとることになった今、僕の一日は葛藤と共にある。

「休むのが仕事」=活動せずに寝てろ なのだが、ただでさえ「読書さえしてない日に罪悪感を覚える」みたいな頭で生きてきたせいで、子どもの書類を書いたくらいしか特筆すべき活動をしていない今日がもう夜であることに、愕然としてしまう。

これは一種の「成長病」みたいなものであって、自分がもっている評価軸をこそ見直すべきものなのだろうなとも思う。

まぁ、葛藤や焦りは願いのバロメーターであり、僕自身としては「叶えたいビジョン」「遂げたい生活基盤づくり」があるから、足踏みを余儀なくされる現実に歯がゆさを覚えているのだろうと思う。多分。なるべく頭を使わなくてすむように仮置きで答えを与えておく。脳は空白を嫌うから。


諸々の手続き事項を終えていく中で、この2か月お世話になった皆さんにお手紙を書く要件が生じて。ちょっと遅れた暑中見舞いのような、セッションその後の暮らし伺いのような気持ちで文を認めた。

返ってくるお返事は色とりどりで、なんだか鮮やかに感じた。皆さん、それぞれの人生を生きている。そんな躍動が伝わってくるような時間だった。


書類を書き、手紙を書き、今こんな風にnoteを書いて、「ただ書く」ことで今日の一日が成り立っている。


もちろん、語られずに捨象されている中に、妻との語らいや、子どもとの触れあいや、朝の楽器演奏などがあったりもして、そっちの方がよっぽど「望んでいた暮らしの風景」であることは間違いないのだけれど、なんだかそちらを語り描くことを注意深く迂回するような感覚もあって。


今は影に向き合いたいのだろう。
でも、影の中にある光に気付くこともまた、命の使い方を眺めていく上で絶対的に必要なことである、とも感じている。


「あっという間に過ぎ去った」と形容される、僕にそう形容させた「成長病」の副人格は、きっと「願いを指針に生きるなら、痛みを引き受け駆けよ」と気が急いているのだろうけれど、でも「あっという間に過ぎ去るほど没頭していた」日常の方に、実は僕の命が使われたがっているのだろう、とも気付くのだ。



疲れが癒えるまで眠ること。

席につかず、一口ずつ遊びに出ては回遊する魚のようにご飯を食べにくる子どものこと。

一葉一葉の手紙をやりとりするような、LINEのやりとり。

Twitterで見かけたnoteを読んだ時間、それに言葉を添えた時間。

「寝不足だねぇ」を労いあうために、妻の背中の暖かさに安堵して寝ていた時間。


筆を執るまでは、「忘れられて過ぎてしまっていた宝物」だけれど、「あれ?そんなになにもせずに一日を生きるわけないじゃん?」と気付いたメタ的な僕が、文字と向き合うことを通じてライトで今日を照らしてくれたらしい。

おかげで、「ちゃんと今日を生きたこと」に、花丸をあげたくなる気持ちが芽生えている。





ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。

労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。

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