5次元を、生きる。
椅子に座って、目を瞑る。
聴こえる声に、沈み込む。
そうして僕らは、時と場所を自由に越える。
こんな人へ向けて書いています
こんな人が書いています
THE COACHでコーチングを学んだ際のインタビュー記事
生き様の垂れ流しラジオ
1.企画趣旨
本noteは、夏のアドベントカレンダー企画「わたしのインテグレーションジャーニー。」3日目の担当記事である。
言い出しっぺのくせに顔を出すのがちょっぴり遅いのを、ご容赦願いたい。
僕の何の気なしの思いつきを電光石火の神速でムーブメントに仕立て上げたりみさん、執筆者に名乗りをあげてくれたコーチの皆さま、拡散と盛り上げに協力頂いた繋がりある方々、そしてこの企画を楽しんで下さるあなたに、厚く御礼申し上げたい。ありがとう。
これは僕の、夢の一端を叶えた企画である。
まずは言い出しっぺとして果たすべき役割、すなわち企画趣旨について述べたいと思う。
本noteがその中身の初公開なので、実は誰も知らない。共同企画者のりみさんさえ知らない。そして、今から書いていくので僕もまだ知らない。
どんな言葉が語られるのか、僕と一緒に、楽しんで頂ければと思う。
コーチの営為
僕は、コーチを生業としている。
届けている価値は、人生の変化である。
人生の変化とは、なんだろう。
今在る生が、「そのまま続いていくだろうな」という感覚に、抗いたくなる衝動の発露。その生々しい感覚に沿い、「これからの生」の分岐を変えていくことを、選ぶ事。僕はそう捉えている。
人は、変化を嫌う。先行きの見えないリスクより、勝手知ったる不遇を選ぶくらいに。「その選択の繰り返しをしている」という自覚なく、不遇を託つままに生きる。選択肢があること自体が、靄の中に消えている。
生を眺め、択に気付き、選ぶ勇気を現していく。
自身一人で気付くこと、そして選ぶことがときに難しいこの「選択」を支援するのが、僕の仕事である。
僕がお客様に叶えて頂きたい変化は、「確信をもって自己の行動を選び、その後の未来を引き受けて生きる」ことができる自分になってもらうことだ。
要するに、自分の人生の主導権を握れるようになることだ。
旅路の見本市
自身の人生において、「変えたがっていること、実は変えられること」に自発的に気付くには、機会が必要だ。まして、「気付いたからといって、どうすればいいか」に辿り着くには。
本企画の中心テーマとなっている「インテグレーションジャーニー」は、コーチの道具箱にある便利なツールの一つである。
人生を旅路に見立て、各人が向き合う境遇を分かち合う共通言語となる。詳細は後述する。
人の生に向き合うことを生業とするコーチは、自分自身の人生にもまた、向き合う必要がある。なんとなれば一番の商売道具だ。
「コーチとは職業ではなく、生き様である」と言われる所以が、ここにあると感じる。
そんなコーチたちが、自身の人生の物語を語る。
僕らはそれらを集めて綴る。
「インテグレーションジャーニー」という共通言語をもち、それらの物語に触れる意義は、このマガジンを読まれるあなた自身が人生を捉えるフックを増やすことにある。
僕らは各人固有の人生を、別々に、バラバラに歩む。
でもその歩みには、通底する旅の流れがある。この流れを捉えて具体の話に触れたとき、あなたの人生にも、選択肢が無数にあることに気付かれるだろう。
本企画は、各コーチが自身の虎の子の商売道具を開陳し、「人生の変化」という価値をあなたが手にするきっかけを提供するものである。
たとえこの趣旨を執筆者各位に伝えなくても、そうなってしまうと、確信している。
2.インテグレーションジャーニーとは
まずはこの企画の中心要素を掴んで頂きたい。
大丈夫。ここで理解できなくてもいい。わからなくなったら、道を見失ったら、何度でもこの図に立ち返って欲しい。そうして、これから描かれるコーチたちの旅路を眺めて欲しい。
マガジンを読む、という旅をしながら行きつ戻りつ、このツールをあなたのものにして欲しい。
人が辿る、人生のステップ
この図は時計まわりに、日常→旅立ち→拒絶→出会い→試練→成長→帰還とすすみ、また日常へと戻っていく。
先に進んでも、また前のステップに戻ることもある。進みが早すぎて一瞬で通り過ぎることもある。
自身の現在地を見立て、日々を生きていく際に出会うあれこれに向き合っていく上で、とても役立っている。
※ 各ステップについてもう少し詳しく知りたい方は、以下の記事の第5章をご覧頂きたい。僕がコーチとしてお客様に関わる際にお伝えしている話を、掻い摘んで書いている。
3.「価値」に向き合う。
このマガジンで語られる物語の真剣みをより感じて頂くために、コーチが届ける価値について、伝えたい。
個人で仕事を営むようになり、「価値」に向き合う日々が始まった。
価値とは、相手の変化量だと捉えている。その上で、コーチがお客様に提供する「変化」とはいったい、なんなのか。
何を約束しているのか
日時を決めてセッションをすること、守秘義務を守ること、ログを渡すこと、やりとりをすること、説明責任を果たすこと。
コーチがお客様と交わす約束は種々あるけれど、もう少し抽象化して表現することを試みたい。
この約束を通じて僕は、「自分の人生の主導権を握れるようになる」という価値=変化を、実現する。
価値を高めるために
価値を高めるとは、変化量を大きくすることだ。
遠く掲げた北極星のような願いに対し、どれだけ距離を縮められるかだ。
現在地からのギャップがあるほど達成は困難だが、歩み、近づくことで叶えられる変化のポテンシャルは大きい。
「お客様が、大きく変化できること」を信じるための第一の処方箋は、「自分自身が大きな変化を叶えること」である。
ただしこれは、「お客様が叶えたい」と願うそれそのものを実現していることを、必ずしも意味しない。
金メダリストのコーチが必ずしも金メダリストであるわけではないように。
コーチングとは、「信じられる」を増やす営為
お客様とセッションを重ねること数百時間。
常々思うことがある。それは、持ち込まれるテーマが他人事だったことが一度たりとも無い、ということだ。
お話をお聴きしながら、「これは僕自身のテーマだ」と、いつも感じている。
言葉をかけながら、「これは僕自身がかけて欲しい言葉だ」と気付いていく。
コーチングは、「セッションとセッションの間の時間」も含めた関係性の総体を指すと捉えている。なんとなれば、セッションが終わった後こそがコーチの仕事の本番だと思っている。
セッションを終え、日常に戻ったのち、挑戦と学習、成果と失敗に出会っていく。
うまくいっても、いかなくても、お客様によって語られる「続きの物語」に触れ、「変化」を知っていく。
そうして証明された「変化」を以て「人は、こんな変化も遂げられるのだ」、と信じられる領域が増えていく。これを繰り返している。
人の物語に触れ続けることは、コーチ自身が提供できる価値を高めることに直結している。
「どれだけ大きな変化を、信じられるか」が、要諦だから。
4.さて、僕の旅路を語ろう。
それでは、インテグレーションジャーニーに当てはめて、僕がコーチになるまでの物語を語ろう。
すべては夫婦喧嘩から始まった(日常〜旅立ち)
2020年3月。世間が新型コロナに見舞われ始めた頃、僕たち夫婦は危機の中にいた。
結婚して半年。仕事の都合で週末婚状態だった僕らは、「共に過ごしたい」という願いに気付き、在宅勤務が許されたにも関わらず、連日喧嘩を繰り返していた。
「一度、ちゃんと話そう」
そう切り出してくれた妻とともにコメダ珈琲に赴き、6時間話した。
子どもを持つ選択、今後のキャリア、時期、お金、夫婦の役割と関わり方。ライフステージの急激な変化にまつわるあれこれ。
僕たち夫婦は、「これからどう生きるのか」、の選択を迫られていた。
妻は仕事を生き甲斐とする人。集中できる時間を愛し、仲間を愛し、「この国に生まれてきてよかった、と全国民が思える愛情のインフラを実現すること」を人生の使命としている。
他方、当時の僕は仕事を「苦役」と捉え、自分の人生を束縛し、制限し、打ちのめしてくる厄介なものと捉えていた。余暇を愛し、人との繋がりを愛し、好奇心と居場所を愛していた。
二人で辿り着いた結論は、「僕が家でもできる仕事を叶えつつ家事と育児も鼎立し、出産を終えた妻が使命に邁進できる環境を整える」ことだった。
この日から、これを実現するための挑戦が始まった。
夫婦喧嘩を繰り返す日常から、叶えたい未来のビジョンに呼ばれて、旅立った。
家でもできる仕事(拒絶〜出会い)
コメダ会議の翌日、ラジオを始めた。「家でもできる仕事」の種を見つける為に、僕が何を持っているのかを知るためだった。
もちろん、初めての試みに葛藤もあった。そもそも人前で語るのは苦手だし、何を語ればいいかもわからないし、ライブ配信をしようと想像しただけで心臓が飛び出そうなほど緊張した。
特にライブに踏み出せず、まごまごと過ごす日々が1か月続いた。それだけ、知らない環境・苦手な環境に飛び込むことに拒絶感があったのだ。
それでも、「語り続ければ何か見つかるだろう」。
そう信じて、ただひたすら毎日挑戦し続けた。話題も日々変化した。夫婦喧嘩の話、人間関係の話、最近あったインプット、stand.fmの研究。
好奇心の赴くままにテーマを選び、とにかく語り続けた。
行動を続けるうち、次第に音声配信者たちとの交友関係ができ、僕は新たな居場所を獲得した。趣味の世界に、のめりこんだ。一日12時間以上アクセスする日もザラだった。
そうして2020年の9月。運営からお金を貰えることになった。
「家でもできる仕事」が一つ、産声を上げた。
「得意で夢中で人の役に立ち、家でもできる仕事」との出会いだった。
手につかない、会社員としての仕事(試練)
ラジオにのめり込む反面、会社員としての仕事がうまく手につかない日々が増えた。
初めての転職、初めてのフルリモートワーク。
明確な役割が定義されないポジションでの採用で、僕は日々自分の仕事・自分の役割を「生み出し」「価値を証明する」ことを求められたものの、なかなか芽が出ない日々に悶々としていた。
僕があまりにも暗い顔をしているので、妊娠中の妻にも心配をかけ続けていた。
「そんなにも辛い顔をして働くのは何かが間違っているよ。たとえ年収が下がっても、夢中になれる仕事を見つけるべきだよ」。
日々、この言葉は右から左へと抜けていった。
東京での暮らし、子どもが産まれてくる準備、そんな状況下で、今の仕事を手放すなんて選択肢はなかった。そう、思い込んでいた。
辛くても歯を食いしばって、耐えるしかないと思った。先行きの展望など、なかった。ただただ「しのぐ」感覚だった。
やっぱり僕にとって仕事とは、「苦役」だった。「手放すことのできない苦しみ」だった。
大いなる試練の只中に在った。葛藤すらしない、自分にとっては「わけもわからない」、ただただ続く、苦しみだった。
役割も、成果も見いだせず、同僚と関係を築くこともできずにうまく仕事に向き合うことのできない日々。
他方、求められ、喜ばれ、夢中になれる手触り感のあるラジオ。
現実逃避をするように、僕はラジオへと耽溺していく。
光に縋る(試練〜出会いへ戻る)
2020年11月。コーチングを学び始めた。ラジオで出会った方々と1対1で話す機会がうまれ、「よりこの人たちの役に立ちたい」と願ったからだった。
コーチングの学びは、驚きの連続だった。
傾聴の奥深さ、比喩の世界の豊かさ、あたたかな空間。学んだことを早速活かしたくて、コーチングセッションを実践し始めた。そうして、人と話している時間は、とても心地よかった。
歯を食いしばり、なんとか目の前のことをやろう、と苦しみながら時間を過ごす会社員の仕事。
夢中になり、探求したい気持ちが大きく膨れ上がっていく、ラジオとコーチング。僕が暮らしのバランスを欠いているのは、誰の目から見ても明らかだった。
そして年明けの2021年1月、僕は退職するに至る。
負うものが何も無くなってしまった日々(出会い)
転職先もなく、先のことが何も決まらないまま職場を辞した僕に残ったのは、ラジオとコーチングと出産3か月前の妻だけだった。
なんとか当面暮らせるだけの貯金はあったものの、次の道を選ばなければならない。
「人と話すことを、成り立つ仕事に。」そう思って模索したのはWebマーケティングだった。
人と話し、役立ち、お金をもらえることはわかった。
次はそれを持続可能にするために、暮らせるだけのお金にするために、必要としている人と出会い続けるスキルが必要だ、と思った。
年収は半分になるけれど、未経験でも雇ってもらえるWebマーケの仕事を見つけよう。
妻の助言もあり、そんな軸での転職活動を開始した。
THE COACHでの学びは応用Aコースに差し掛かっていた。ビジョンを探求するデモセッションに手を挙げ、10分のコーチングセッションを受けた。
泣きそうになりながら「コーチになりたい」と語っている自分がそこにいた。
労働観と、人生観(成長〜帰還、そして新たな日常へ)
退職日までの有休消化の7日間。
僕は、自分が大切にしたい価値ある時間だけで日々を満たして生きてみよう、と思い立った。
散歩にでかけ、ライブ配信をし、コーチングセッションに明け暮れて、日々の学びと気持ちを妻に語り続けた。幸福だった。これまで感じたことのないような充足感を、味わった。
人生を取り戻した、と感じて、日々感動しながら生きた。
まっすぐに、この日々を送りたい。この日々を、日常にしたい。
2021年1月31日。「愛妻の日」に、僕はコーチとして独立した。そこからは我武者羅に、人と出会い、セッションをし、持続可能にするための学びを繰り返す日々だった。
転職活動はスッパリと辞めた。
「組織に属して学びながら、なんとか個人事業を成り立たせる仕組みをつくろう」と思っていたのだけれど、「お金の続く限り、思いっきり挑戦した方がいいんじゃない?」と助言してくれた妻のおかげで、「苦役でお金を得る」道を手放した。
自分が願う日常を、まずは体現する。そこから始めることにした。
楽しくて仕方がなかった。先行きは見えないけれど、充足感に溢れていた。
コーチングの価値は正直よくわからなかったけれど、希望を感じていた。夢中になれる時間に対価を頂き、コーチが僕の仕事になった。
それを続けるうちにいつしか、僕にとって仕事は「苦役」ではなくなっていた。
率先して過ごしたい、「欲している」時間となった。
労働観が変わり、生きる質感が変わった。
長らく続いてきた試練は幕を閉じ、価値観の変遷を経て成長を遂げたのだろう。
人生を変える選択肢が生まれ、選び、行動を繰り返し、「そのまま続いていくだろうな」という未来に抗った。
それを体現した日々だったのだろう。そんな意味付けをして帰還した僕は、新たな日常を歩み始めた。
子どもが、産まれてきたのだ。
5.中略。そして、今。
いかがだっただろうか。
インテグレーションジャーニーにあてはめて、僕が「コーチになるまで」の物語をお読み頂いた。
ハッピーエンド感があるなぁ、と思う。
前振りが長いなぁ、と思う。
綺麗に終わりたかったなぁ、と思う。
さぁ、「続きの物語」を語ろう。
試練の世界。
2022年7月。僕自身は今、試練と成長の狭間にいる。
行動しても、行動しても、うまくいかない。
事態が好転しないし、先行きも見えない。
朝起きたくないし、夜が更けてきては憂鬱になる。
そんな、投げ出したくなるような、逃げ出したくなるようなしんどさの最中を、喘ぐように生きている。
再び会社員となり、コーチと子育てとの三足の草鞋で生きる暮らしとなって半年。
僕は、「人に頼れない」呪いに罹患した重症患者だった。
結局、見かねた周囲が助けてくれるので厳密には「頼らざるを得ない」状況に追い込まれるのだが、そうなる前に助けを呼べない。そんなことを繰り返していた。
根っこにあるのは、「できない」自分の現在地を認められない、思考回路だ。
頼まれごと、手を挙げたこと、挑戦し始めたこと。請け負ったそのときから、それらは全て「自分一人で果たさなければならない重責」へと化けていく。
当事者に確認しなければわからないようなことも、推論で当てに行こうとしてしまう。答え探しをする。しかも外れる。始末が悪い。
そんな最中、言い出せず、抱え込み、朝起きる気力も湧かず、目を逸らしたくなるような蕁麻疹に見舞われ、見かねた妻から休職を提案され…という状態になり、視界は全て暗く立ち込めた曇天となった。
そんな、底のような生を生きたのが、この6月である。
自分のことがもっとも見えていないのは自分自身で、この世の不幸を全部煮詰めて固めたものを口の中にこれでもか、と押し込まれたような顔をしているもんだから、周囲にめちゃめちゃ心配される。
でも自分が見えていないから、自分の狭い世界しか見ていないから、そんなことにも気付かない。
それでも日々は続いていくし、仕事には締め切りがある。
自身が進まなければ、導火線に追いつかれるのだ。
そして、それは、爆ぜた。
何度でも繰り返すサド野郎の課題。
この問題は、今に始まったことではない。
人生の色んな局面で出遭い、僕を苦しめ、周りに迷惑を蒔き散らかして、僕の居場所を喪失させてきた。
皆様にお読み頂いた、前職を辞した要因も、同じ根っこにある。
場所を変え、立場を変え、関わる人たちが変わっても、それは影のようにジリリとついてきた。
人生ってやつは本当にサド野郎だなと思うのだが、様々な人に顔を変え、何度でも立ち表れてくるのだ。向き合え。さもなくば、何度でも苦しめ。
人は、成長したいと望み、自発的に成長するのではなく、「成長せざるを得ない苦境に追い込まれ、まるで死ぬかのような苦しみに喘ぎながら成長してしまう」のだ、という話を聴き、まさにそうだな、と実感する。
コーチとなってから後も、僕自身、色々なジャーニーを何周も歩んできたけれど、ことあるごとに立ち表れてくるこの問題に、僕はほとほと呆れ果てている。
乗り越えられずに、同じような地獄を同じように歩み続ける自分に溜息も出る。いったい何が楽しくて、そんな賽の河原に居座るのか。
成長への足掛かり
爆ぜたのは、僕の涙腺だった。
職場の上司の「まだ話せていないことはないですか?」という、1on1終わり際の定型質問が、僕にとっての蜘蛛の糸だった。嗚咽を漏らして、抱え続けてきたものを吐いた。
そうして、上司と毎朝話す日々が始まった。
「吐けたから楽になる」とか、「気付いたから越えられる」とか、現実はそんなに優しくなかった。
なんせ「できない」のだ。一朝一夕で羽化できるわけもなく、変態中のサナギのように、僕はこれまでの自己をドロドロに溶かされながら生きた。
助けの手を差し伸べてもらっているのに、その時間に向き合うのは憂鬱だった。
そして情緒が壊れた。話す前から涙が溢れた。思考も感情も、ジャックされた。いったいなんだというのだ!いい加減にしてくれ!
叫び出したかったし、消え去りたかった。
そうして、自身の心に、数億の矢を放ち続けた。僕は僕を、殺し続けた。
それでも生は続くわけで
何度教わろうとも、全部はできない。
できない一部に囚われて、また苦しくなる。
誰に求められるわけでもない、自分が自分に課す基準。
苦しみの毒杯を呷る閾値。
そんな日々を3週間ほど生きながらえながら、少しずつ、少しずつ、日々の質感が変わり始めた。
具体的にとり始めた行動が、促されるままに信じて出せた声が、次第に僕の顔をあげさせた。
「君は変わってきたと、みんなが言っている」
その一言で、世界が色を取り戻した。
在り方へと波及するもの
底の底に落ち込んで地べたに張り付けられたあの日。涙腺が爆ぜた日、僕は縋るように手紙を書いた。
普段自分からは滅多に連絡しないで関わり続けてきたコーチに、泣き言を言った。
そうして返ってきた言葉に、視界が滲んだ。
コーチ「人はいつだって、その時のベストを尽くしているだけなんですよね~~!」
できない、と決めつけていたのは自分で、できない、をコトだけでなく自身の存在にまで押し広げていたのは自分で。
でも、そのときどき、その瞬間瞬間の生を、そのときの自身ができるベストで、生きているだけだったのだと、肯定できた。
僕は、労われたかった。報われたかった。認められたかった。他の誰でもない、自分自身に。
そうだ、この現実が、今の自分の、精いっぱいだ。
これが、僕だ。
そうして、かつて目の当たりにした「逆説的変容」に気付く。
今の自分を否定して、どれだけ変わろうとしても、変われない。
これが自分の現在地だと、腹の底からつきつけられ、受け容れることができて初めて、変わり始めることができるのだと。
上昇気流
書いた手紙は、コーチへの一通だけではなかった。
これまで関わったクライアントさん、相互セッションで出会った方々、ラジオ仲間、大学時代からの気の置けない友人たちへ。
「助けて」とは言わなかった。
「お加減どうですか?」と、近況をお尋ねした。
現実逃避を、したかったのかもしれない。
物語を、居場所にしたかったのかもしれない。
返ってきたお便りは、むしろ僕に「現実」を教えてくれた。
コーチ契約を終えたその後、果たして叶えた大きな変化。一度だけセッションで関わり、共にみたビジョンに向かって踏み出したという近況。僕と同じように試練の最中にあえぎながら、それでも僕を気遣う友人。
やりとりしていなかった時間を越えて、直接体温のわからない空間を越えて、僕たちは物語で繋がっていた。5次元を、生きていた。
ここから、始めよう。
仕事がまったく手につかなかった日も、進捗が出ないプロジェクトも、なかなかうまくいかなかった資格試験も、薬を飲み忘れると全身をかゆみの嵐に苛む蕁麻疹も、それがあってなお、
それで、あなたはこれから、どう生きるの?
を問い、答えていこう。
僕は今、晴れ渡る青空の中にいる。
6.このnoteを、読んで下さったあなたへ
10,000字近くの、僕の物語をお読み頂き、ありがとう。これは、成功譚ではない。掲げた夢に向かう、途中の物語だ。
「中略」のひとことで閉じられた、2021年の「専業コーチとして生きた輝かしい1年の物語」は、場を変えて改めて語ろう。
あまりにも光が強い生を生きたが故に、影が色濃く立ち表れた2022年上半期の、家族と仕事と願いとの葛藤の物語も。
僕は、願いを指針に生きることを選んだ。
「子どもが欲しい」を叶え、「得意で夢中で人の役に立ち、家でできる仕事」を叶えた。妻と子どもと、一緒に過ごし続けられる暮らしを得た。
そう、掲げた願いは、ちゃんと叶えている。
ただ、その先にまだまだ、整えていきたいバランスがあった。
やり残した、試練の補講があった。
前述のとおり、コーチとは職業ではなく、生き様である。
僕自身の旅路を語り、僕自身も挑戦者の一人であることを伝えたかった。
この物語が、そのままあなたの役に立つとは思わないけれど、ご自身の生に「実は存在しているはず」の選択肢に気付くきっかけとなれば幸いだ。
たとえ、今すぐでなくとも。
今度は、あなたの物語を聴かせて欲しい。
5次元を生きる僕らは、そこできっと繋がることができるから。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。
今回の投稿をお読み頂いて、「自分のこれからの物語に出会っていきたい!」とご興味をお持ちいただけたなら、お気軽にお声掛け頂けたら嬉しいです。(公式LINE)
あなたの物語に出会う日を、楽しみにしております。
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