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9割が空き家の自然あふれる地域でリトリートに浸かった体験を振り返る
死は、生の中に息づいている。
こんな人へ向けて書いています
・「人生の切り替え」を目的としたリトリートに興味がある人
・山梨県の芦川地域に関心がある人
・ライフコーチが自分自身の人生に向き合った所感を知りたい人
・まーのこれまでとこれからの物語に関心をもって下さる人
こんな人が書いています
川の字で寝ようと配置をしても毎晩あらぬ位置に転がっていく1歳半の息子と、これまでの人生の意味付けを捉えなおした妻とともに、群馬県に暮らす33歳の話好き。
『人の命に苗を植える』を存在意義として掲げ、この表現としての天職の創造に挑戦中。
自分自身の命が願う生き方に気付き、暮らしに織り込む構造づくりを支援しています。要するに、あなたが生きたい居場所への中継地。
世界に居場所が増えたなら、僕らはもっと自由に生きられる。
初日の体験に関する記事
一日目を終えた翌朝に書いた記事。
日常から離れてみて驚いたのは、古民家の中でも、外を歩いていても、圧倒的な「イマココ」にいる体感だった。
樹々の生命力に圧倒されて
![](https://assets.st-note.com/img/1663817878561-KKk2HFUhTi.jpg?width=1200)
初日の散策で山の中の寺社へと向かう道すがら、とてもとても大きな樹々に出会った。
何本もの大きな幹。思わず抱き着いてしまう観光客が多いのだとか。
僕は掌で触れただけだけれど、大地に根差した圧倒的な質量は、経てきた年月の長さと、命の時間の雄大さを感じさせた。
大木の在り方は、力強いエネルギーと、落ち着いた静けさとを両立していた。僕が望む自己像と重なるものを感じ、写真を何枚も撮った。
僕の現在地(初日当時)
![](https://assets.st-note.com/img/1663817821768-tQRgmpbR6K.jpg?width=1200)
初日にまず描いたのは、自分自身の現在地だ。「仕事」をA4の紙1枚に表現する。
このとき、紙のスペースの使い方は、実際に時間をかけているもの、自分の意識の多くを占めているものをふまえて描いて欲しい。
青いペンで左下から書き始めた。
僕の関心は、子どもから始まった。
真っ先に出てきた僕の仕事は、「おむつ替え」だった。
日々、子どもと接する中で必ず発生する、暮らしのための仕事。食事・排泄・睡眠・衛生・情緒・安全。
人を養育するために気にかけるあれこれを書き出しおえて、次へと進む。
次に描いたのは右上だった。休職中の僕の今の多くを占めるのは、やはり「休息」である。
中でもサウナが意識を占める割合は大きいなと思った。僕の中で「真の休み=サウナ」という図式が出来上がりつつあるのだと思う。
他に、意識的に(強制的に)休むための誘導瞑想だったり、意識を遮断するためのアイテムとしてのアイマスク、寝ること、気分転換と運動を兼ねた散歩など。
一旦組織人としての活動は全停止、ということで、「忘却」。今は考えないことが仕事だ。
3番目に書いたのは左上。
物語を、取り込むことだ。
文字や音声を問わず。漫画やゲームも含めて。
僕はこのインプット活動に、物語の接種をする意味を見出している。
最後に書いたのが右下。
このnoteを含めて、日々の表現活動をし続けている。
そしてコーチ業だ。
最近はセッションをすること以上に、自分の人生に向き合い、質感を捉え、表現し、この体感をもとに人と交流することのプライオリティが高い。
セッションは決まった少量の時間、全身全霊で望むスポット的で特別な場だが、それ以外の圧倒的多数の時間、僕は僕の人生を生きている。
「セッションとセッションの間の時間に価値が生まれる」ことを信じているし、そのことをお客様にも伝えている以上、僕自身もそれを体現している、ということだと捉えている。
僕が提供しているものは、「セッション」単体でも、「まーとの対話」でもなく、僕との関係性の総体だ。
そこに、「僕の人生」を語る活動なくしては、成り立たないと思っている。僕の価値の一番の源泉だと捉えている。
ざっと書き終えたあと、「特に大事だと思っているものはどれだろう?」と思案して、オレンジ色の丸をつけた。
そして、こんな風に時間を使うことに没頭させてもらえているのは、妻のおかげだな、と気付かせてもらった。
これを他の参加者の方々と見せ合って、フィードバックをし合う。僕が気付かせて頂いたのは、「暮らしの中で、生と死を繰り返している」という構図だった。
左下と右上を行き来している。
すなわち、子どもの生を育み、自身は活動を停止し、死ぬ。
その生と死を行き来しながら、物語を摂取し、自身の人生を吐き出している。そんな構図が立ち表れてきた。
生の中に、死が息づいていた。
自身を象徴する自然物
![](https://assets.st-note.com/img/1663845820509-GtTqima1Hz.jpg?width=1200)
個々人で芦川の自然の中を散策しながら、「自身をもっとも表す自然物を拾ってくる」ことになった。
僕が拾ってきたのは、樹の枝だった。
頭の中にずっとあったのは「生と死」という言葉であり、それを反芻しながら歩いていて、ビビッときたのがこれだった。「かっけぇ。。。」と思った。
この枝を持ち上げた瞬間、自然と笑みがこぼれた。いたずらっ子のような、周りの反応を楽しみにするような感情だ。面白くなってしまった。
この枝をもって帰る道すがら、矯めつ眇めつ眺める。節々に穴があいている。乾燥している。もしかして何か虫が棲んでいるかも?なんだか菌類が繁殖しようとしているかも?
この枝自体は死んでいるのだろう。でも、かつて生だったこの枝は、これからを生きようとする生の苗床となる。
生と死の同居。
そして、鋭く長く伸びている枝をみて、僕のこれまでの「盲目的な成長欲求」の発露を感じた。
尖っているのは、自分の身を護るための武装のようにも感じた。
そして、そのように生きてきた僕は、死んだのだ。
でも、死してなおその形は、硬い構造は、遺った。
ここに息づくものはなんだろう?
そんなことを考えていたら、宿に戻ってきた。
戸を開ける。
目を丸くする主催たちの顔を見て、なんだか嬉しくなった。
手放したいもの、終わろうとしているもの
人生の未完了。
今、終わろうとしているものはなんなのか?
何を、終わらせたいのか?
翌日の問を聴き、僕の中に浮かんできたこと。
それは、「はたらく」ということだった。
「はたらく」ことが、僕の中で終わりを告げようとしている。
もっというと、ファイナンスのための、タクシージョブ的な、生活を成り立たせるための糧を得る、という役割の終わりだ。
妻が働き始める中で、暮らしを見直している今がある。
一家の大黒柱がスイッチしても、なんとか暮らしていけるのではないか?ということに、妻と日々向き合ってもいる。
それは、一つの選択肢であり、決断はまだまだ先のこと。
それでも、あり得る未来の一つ、という感覚だった。
このリトリートに来て、この問に触れて真っ先に浮かんだのが、このことだった。
ただ、その後参加者とともに話していく中で、様々に話が拡がった側面もある。
自身のもっとも「価値を創れる活動」を、僕は人との対話である、と信じている。その活動を活かして生きる道を模索することが、「はたらくを終える」前段にある未完了なのではなかろうか?
その天命を、果たして全うしているだろうか?
そんなことを、話していた。
何が終わろうとしているのだろう。何を、終えようとしているのだろう。
埋葬
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手放すものを決め、自身の象徴を埋葬することとなった。
「拾ってきたものを埋めてきて下さい」
再び芦川の自然へと繰り出す。
台風の影響か、雨が降り出していた。
僕は前進を雨合羽に包み込み、一目散に道を歩いていた。
「元あった場所に戻そう」
そう考えて歩んだのだが、辿り着いた場所をあらためて眺めてみて、なんとも味気なかった。空き家と、そのゴミ捨て場のような庭。
ここには、死しか無いように感じた。
僕を埋葬する場所としては、時間が終わってしまっているように感じた。
そこで方向転換をして、更に山の中に入っていく道を登る。
そうして見つけたのが、小さな青い花の群生地帯だった。
ここには命が息づいている。
日当たりもいい。
立てかけられそうな、まっすぐに枝が立ちそうな場所もある。
迷わずここに決めて、墓標を立てた。
そして手をあわせ、目を瞑り、拝んだ。
僕を象徴する、僕の墓標。
既に死んだ樹が、新たに生の苗床となる場所。
命に囲まれ、土があり、日が注ぎ、雨に濡れる場所。
さようなら、これまでの僕。
生と死
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代わりに、名も知らぬ青い花を持ち帰ってきた。
接ぎ木とまではいわないまでも、葉の数枚と茎が残っていれば、新たな生育環境でまた生きられるのではないか?そんなサイズの花を持ち帰った。
随分と小さくなった僕の新たな象徴。
たくさんの刺々しい枝はなく、大切なものを包み込むかのような形状に、何を抱え込んでいるのだろう?と想いを馳せる。
僕の最小限は、どこで再び生きることができるのだろうか?
インプロ
参加者たちと、身体を動かす。
前の人の動きをリレーのように模写しながら、思い切って全身で動く。
ただマネするだけにとどまらず、新たな動きを加えたり、ガラリと変えたり。
そんな連鎖をひとしきり繋げた後に課されたお題。
『マンゴーの寝室』
僕ともう一人が出した単語を組み合わせてできたこのお題。
「まるで目の前にそれがあるかのように、表現を加えていきましょう。前の人が既に表現したものをなくすのは禁止です。」
絨毯だったり、天井だったり、アルコールだったり、テーマソングだったり。
次々に口にされる情景描写を聴きながら、可笑しくなりながら、どんどん付け加えていった先に、同じ景色を見ている感覚が繋がっていった。
マンゴーの寝室は、確かにそこに存在していた。
理想のお葬式
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粘土をつかって手を動かした。
テーマは「理想の葬式」。
葬式のイメージなど持ち合わせていなかったので、とにかく気になる粘土をてにとることにした。
青色が綺麗だったのでそれを拡げておいてみた。
いじっているうちに、「樹を創りたい」と思った。
茶色い粘土で幹をつくる。立たせる。
その上にのせる葉と花を用意して、くみ上げていく。
自重にたえられず、樹があらぬ方向に歪む。
それを補強しながら、自立するように創り上げた。
みどりと、オレンジと、桜色。
これは、僕の屋号「tomarigi」のロゴカラーである。
癒しと、活力と、こまーの名前だ。
羽を休めて、力をつけて、また飛び立つ。
そんな居場所にならんとして選んだテーマカラーだった。
僕の葬式は、花に溢れていて欲しい。
そんな風に思い立って、オレンジ色と桜色の花びらをたくさん散らした。
最初においた青色がやけに気になった。
他の参加者が青空を描いていて、「それいいなぁ」と思った。
水色を拡げ、白で繋いだ。
青空と、白雲。
片側にそれを創った矢先、残った粘土の色が気になった。
黒と黄色。
「あ。夜空を創ろう。」
僕の世界に、夜が加わった。
赤も残っていた。
「夕焼けも入れよう。炎のような、燈火のような。」
そうして、樹を囲む世界の外側に、夜と朝とが巡った。
星を創ろうとしたらチーズになったので、それはチーズでいいやってことにした。チーズ好きだし。
最後に、額装をしたくなった。
立派な額縁をつけて、絵画のようにしてみた。
樹がおったっている、立体的な一枚絵。
そこには空があり、一日の時間の流れがあった。
葬式のオープンダイアローグ
自分の葬式をプレゼンしたのち、参加者たちによるオープンダイアローグだ。僕は後ろを向き、人々が「僕の葬式で」話していることをメモしていく。
「ちーーーーん」という鐘の音と、「献杯」の音頭で始まる会話。
どうやら生前、小豆島でオリーブを育てていたらしい。
各都道府県に、土地になぞらえたトマリギを植えたらしい。
そこが待ち合わせスポットになったらしい。
こまーが葛藤しながら、僕の跡を継いだらしい。
そんな物語が展開していき、なんだか愉快な気持ちになった。
「レシピ本出してそうな見た目してますよね!」なんて、前日の酒席の話が、ここまで持ち越されるとは!でも、なんか美味しい料理をつくりたい。
なんならオリーブの樹を植えたい。
僕の存在意義
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皆さんにもらった言葉をふまえて、自身の「存在意義」を言葉にする。
これまでは、「とまりぎを植樹する」とか、「種をまく」とか、そんな言葉をつかってきたけれど、名詞が変わった。「苗」である。
苗のことを思い浮かべた途端に、なんだか世界が色づいたように感じた。
どこに植えよう?
始めに思い浮かんだのは「心」だった。
でも、「身体」と向き合うことを始めた僕にとっては、それでは不十分だった。
心と身体、人間の全部。すなわち、命だ。
そうだ、僕は命に苗を植えたいのだ。
なんだかとてもしっくりきた。わくわくした。何かが拡がるのを感じた。
存在意義に沿って生きるなら
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ふたたびA4の紙に表現する、「未来の自分」。今回は3年後。
最初に書いた「自分の仕事」と同様に、「まー」を真ん中に描いた。
でも、もう言葉はこれ以上要らないな、と思った。
苗を描き、名前の周りに蔦を這わせた。
拾ってきた青い花を咲かせたら、赤い実を付けたくなった。
やっぱり僕は育った「とまりぎ」も欲しくて、幹のしっかりした樹を描いた。柳の樹にした。風に揺れ、しなやかに、それでもどっしりと根付いている樹。
子どものことが浮かんだ。
桜の季節にうまれた子どもの名は、桜季(はるき)。
彼がすくすく育った未来を想い、大輪の桜の花びらを描いた。
たくさんの花びらを描いていたら、実も欲しくなった。
オリーブとレモンを書き足した。うん、美味しそう。
暮らしの中で、地中海料理をつくりたい。
そんな未来を描いた。
表現
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「本当の仕事」とは、「存在意義を表現すること」である。
思い描いた未来に繋がるよう、現実を描いていく。
黄色い紙はWhat:純粋意欲
桃色の紙はCan:人に喜ばれる活動
青色の紙はWho:誰のために夢中になれるか
それぞれを10枚ちょっと書き出して、台紙に張る。
参加者の皆様に、これらを組み合わせた自由連想で、あらたな仕事を表現してもらった。
僕は、声にまつわる連想が多かった。
人が自然に動き出したくなるような、聴き心地のいいガイド音声を創る。
休みや挑戦に向き合いたい人のために、オーダーメイドのタイムラインを引く。
たくさんのアイディアを頂きながら、書き留めていく。
共鳴を願いながら、「本当の仕事」を語る
このブレストをふまえて、自分の「本当の仕事」を語る。
僕が戻ってきたのは、「居場所のポートフォリオ」だった。
「人が、命を使いたいと願う時空間」のことを、僕は居場所と呼んでいる。
この居場所を、自身の命が望むように、最適に組み合わせて表現し、暮らしへと落とし込んでいく。そんな手伝いをして生きたい。
命という苗が、すくすくと育つように。
願いを栄養に、日を浴び、水を吸って、整えられたあなたの土壌で、苗床に根付いて、育っていく。空気も、微生物も、あらゆるものを、願うように共に整えて生きる。
そんな仕事のビジョンだ。
頂いたフィードバックも、具体性に満ちていて面白かった。
「理系男子の為の、パートナーを喜ばせる一日の過ごし方を音声ガイドする」とか、「ダイエットをしたい女性に向けて、絵画をモチーフとしたプレートミールを創作する」とか。
対話をする以外にも、僕が「苗」を届けるための活動は色々あるのだ。
複数の、創職である。
僕の命が願うこと
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台風が直撃する前の最終日。
散策に出たら、晴れ間が拡がった時間帯に恵まれた。
たまたま僕の墓標の前を通り、ひとしきりそんな話をしたのちに出会った、一本の切られた樹。
葉も、枝も落とされた、幹だけの樹。
それなのに、とても力強い生命力を感じた樹。
このnoteを書くことにして、最初に写真を配置した。
どうしてもこの写真が気になってしまい、最後に配置してみた。
そして浮かんだ見出しが「僕の命が願うこと」だ。
リトリートは終わった。
一通りの表現と、仕事のアイディアも得た。
今後はこれを語り、共鳴する人々に出会い、仕事を次々とこの世に出現させていくことになる。
そうして、この問に立ち戻る。
僕の命は、何を願っているのだろう?
この問を握り続けながら、存在意義を携えながら、生きていく。
そうして、僕と共に「命に向き合う」あなたにも、問うて生きたいのだ。
あなたの命は、何を願っていますか?
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。
そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。
ご自身の価値観を整理したり、居場所を探していくための構想を、「喋りながら考えてみたい」という方向けに、頭の整理にお付き合いするサービスを提供しています。
最近、「テーマも決めずにお喋りしたい!」欲が出てきたので、公式LINEにそんな企画を流すかもしれません。直接まーと喋ってみたいぜ、という方は、気軽にLINEで話しかけてもらえたら嬉しいです(公式LINE)。
「あなたの物語に出会う嬉しいその瞬間」を、心待ちにしております。