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アンサンブルの意識で、ささくれが減ったような。

個からの解放。




インプロの学び


明後日、秋葉原のWSに参加するに先立って、本を読んでいる。


子どもを眼差して暮らす


「Yes And」のスタンスを、子どものごっこ遊びやリクエストに対してとってみたら、最近また仲良くなったように感じている(お風呂に一緒に入る相手としての指名をいただくことが増えたぜ)。


以前よりも、よく彼を「観る」ようになった。


「子どもの表情をもっと眼差して暮らしたい」


適応障害に至った頃から、そんな願いを口にしていたように思う。子どもと一緒にいられる時間を、過ごせる時間を増やすために独立をしたり、あれこれ挑戦をしてきたはずなのに、ちっとも顔を見られていない。悔しい。


そんな本末転倒のままならなさを嘆いていた頃から一年以上を経て、ようやくちゃんと眼差しを向けられるようになってきたような気がする。


それは僕自身が、暮らしの中に余白を、余裕を持てるようになったことも大きいし、「一人の人間存在として」同じ空間で過ごしていることを感じられるだけの器が育ったからなのだと思う。

子ども自体の発達もあり、意思疎通の「通じている」具合も、飛躍的に高まったことも大きいだろう。なんせ言葉が通じるのだ。これまでの暮らしとは全然違う。


この変化に妻が具に気がついてくれたので、インプロの話を伝えたところ、「インプロってすごいね」と。「ぜひもっと学ぶべきだ」となったのだ。


#月刊コーチング でご一緒させていただいている宮本コーチがインプロバイザーであることもあり、言葉としては見聞きすることが市井の人よりは多かったものの、学びたい自分ごとに近づいてきたのは最近のことだ。


具体的には、内定承諾のお話をしているときに、先輩社員が語っていた「演じるスキルは、必要でしょうね」という言葉だった。

1:Nで職責を果たすにあたっては、どうやら「演じる力」が要るらしい。


そんなわけで、2月号のテーマを「インプロ」にして頂いたのだった。

対人支援をされている方は、ぜひこのラジオも聴いてみて頂きたい。そうでなくても、「変わりたい」意思を持っている当事者の人にもね。



序列なき全体における「部分」


冒頭の本を読んでいると、「チーム」ではなく「アンサンブル」として振る舞うのだ、というお話が出てくる。

チームというと、競争的なニュアンスが宿る・・・ということで、そういったものではない「人の集まりを全体としたときの、部分」だと、捉えた。

個として分断・独立して存在しない。

必要な役割を、果たす。

サッカーではなく、バスケットボール。

ジャズ。

色々な比喩で表現されていたのだけれど、ここ数日、家事をしている自分の頭の中に、ことあるごとに「アンサンブル」という言葉がこだまする。


いつもだったら、苛立ちを覚えてしまうような「果たされていない」と感じてしまう役割遂行や、「整っていない」と感じてしまう部屋の散らかりも、「そこに空白が生じてしまっているなら今僕がそれを果たせば良い」という在り方を、自然に採れる(ささくれなく)シーンが増えている。


「あぁきっと妻はこういうところが苦手なんだな」と感じて、なら僕がやればいいよな、と思ったり、逆に妻がしてくれたところに対して、「あぁ僕はそこが苦手なんだな」「ありがたいな」と気付いたり。


先週は身体を動かせないくらい発熱でダウンし続けていた頃もあいまって、「僕の欠け」を埋めて日常を成立させてくれた妻と父(と子ども)のありがたさをとても感じていたこともある。

確かにここには、アンサンブルが機能していた。


そうしてこの「違い」をニュートラルに眺められたり、流動的に役割・機能が変じながらも成立し続けていくプロセスに自然に在れるようになるのは、きっと自己主導段階から相互発達段階への変容、なのだと思う(c.f. 成人発達理論)。

誰の意見も正しい。部分的には。

前職の上司が話してくれていた、「ものの見方」を、よく思い出す。皆それぞれの立ち位置が異なり、同じ事象を眺めるにしても、異なる表現が現れる。そして、特定の視点だけでは、どうしても盲点が生じる。だから、観る目の多さはそれだけ、盲点を少なくしてくれているはずだ。

その「部分的な正しさ」をパッチワークしていくスタンスを、僕はこれから大切にしてみたいな、と思っているのだ。



「成長せざるを得ない」現実が、人を成長させる


しんどくて苦しくて「成長しないと耐えられなくなる」から、人は成長「せざるを得ない」のだ。

成人発達理論を学んでいるとき、とても印象に残って愛用しているこの考え方。死にそうなくらいもがいているときに、生き残るための適応をする。それを成長と呼ばう。


この一年半を振り返ったとき、そう、「地獄のような」苦しい気持ちで過ごしていた期間は何度も何度も何度もあったのだけれど、今はもう「語りえるエピソード」になっているものも、少なくない。

ということは、きっともう乗り越えられた、成長できた、部分も確かにあるのだろう。


「こんなに苦しいのなら、成長なんかもういらねー!糞食らえだ!!!!」


と思っていたことも、これまた何度もあったのだけれど。

それでも、おかげさまで最近は「今日の僕が、一番つよい」と言えるようになった。


喉元過ぎれば、熱さを忘れちまうんだろうけどね。

そんな時は、こうやって書き記してきた足跡に、思い出させてもらおうと思う。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。


コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。


そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。


コーチングに触れて、ガラリと人生が動いた話はこちら。

「居場所で人を自由にしたい」想いをインタビュー頂いた動画はこちら
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