「自分で選んだ」のだから、
言葉はまじない。言葉はのろい。
タイトルを見て、あなたにはどんな「続き」が思い浮かんだだろう?
「自分で選んだ」のだから、自分一人でなんとかしなきゃ。
「自分で選んだ」のだから、誰を何人頼ってでもなんとしても叶えるぞ。
「自分で選んだ」のだから、泣き言を言っていられない。
「自分で選んだ」のだから、その選択を信じて頑張れるんです。
言葉は自分の中に育った価値観を知るヒントだ。
それは、願う方向へと進むための「おまじない」にもなれば、
自分を追い込む「のろい」にもなる。
成長を望み、力を身につけたい時には、たとえ心持ちがしんどくとも、行動を積み重ねて「できること」が増えた自分の獲得を肯定できるかもしれない。
心身が疲れて、息継ぎをしたい時には、たとえ自分のパラメータが伸びていたとしても、他者を頼ることを禁じて抱え込む辛さに、張り裂けそうになるかもしれない。
自分のことが、自分でよくわからなくなることがある。
それは、どれか一つが自分の本音だというわけではなく、どれも自分にとって必要な本音で、それが複数同時に存在するようなときがあるからだ。
葛藤があり、いっぱいいっぱいになることがある。
葛藤に蓋をして、訳がわからないまま苦しくなることがある。
願いを指針に、せっかく歩み始めた道だから、
僕が適応障害になったのは、「僕が選んだ」願いたちに囲まれている暮らしの、真っ只中だった。
自分の名前で選ばれるコーチ業。
ずっと願い続けた我が子との暮らし。
志を共にできる仲間たちと働く職場。
頑張り続ければ、その先に願いの実現があり、より満たされる未来がある。
そう信じて疑わなかった。
そう信じ込んで、疑えなかった。
毎朝起きて、訳もわからず溢れる涙の理由はわからなかった。
日々必要な事柄にまったく手がつけられなくなった理由を、自分の怠惰に求めた。
子どもの表情をまともに思い出せない日々に疑問を抱けなかった。
気づきたくなかった。
気付けなくなった。
僕の、生き物としてのセンサーは、鈍磨し、壊れていた。
身体が限界を告げて、めまいで立ち上がれなくなるまで、止まれなかった。
1年と4ヶ月前の、僕の身に起きたことだ。
「自分で選んだ」のだから、全部果たせるように、頑張らなきゃ。頑張りたい。
やらされではない力で、僕は破滅して行った。
自分”だけ”でなんとかできる自分で在りたかった
足元が覚束ない。
今まで選んできた道を手放して、自分の願う方向へ歩を進めた。
「明日から父親辞めます」なんてわけにはいかない。
「誰かに奪われない自分の自信」を積み重ねたくて、資格取得にガムシャラになった。
他のメンバーの誰もが頑張っている、いっぱいいっぱいのように見えていたから、助けを求める声をかけられなかった。
いや、「無能」と思われるのが怖かったのかもしれない。
自分で自分が「なんの役に立てるのかわからなくなる」のが怖かった。
期待から始まっていた役割の、メッキが剥がれるのが怖かった。
今振り返ってみれば、「僕”だけ”の能力の証明」なんて不要で、必要な助けを求めて「目的に近づいていくこと」に、「コトに向かう」ことに重心をかけられる方が、よっぽど「怖さ」を乗り越えていけただろうに。
でも、当時の僕から世界はそのように見えていなかった。
僕が20代を生きた職場では、「自分なりの答え」を出した上でしか、質問が許されなかった。
みんなキャパを溢れていたから、頼った約束が、履行されることばかりではなかった。
結果、頼ったことが仇となって、巻き取った自分の首を絞める日々に疲弊した。
梯子を外された。
「なんとか今日を乗り切った」という質感で終える毎日に、僕は僕を活かす処世術として、「自己完結する」「一人でやる」力を欲し続けた。
誰かを頼るくらいなら、自分が人一倍努力してできるようになった方がましだ。裏切られるのはもうゴメンだ。人を当てにして死ぬのは真っ平だ。
ここではない、どこかへ。焦る気持ち。
今の暮らしを支える日々に、しんどさが内包されている。
このままの暮らしの延長上に、報われる未来が見えない。
上司はトップまで日々険しい顔をしていて、憧れの対象にはならなかった。
しんどさを乗り越えた先に、しんどさが拡がっていた。
ならば、ここで生きる意味とは、なんだ?
自分の手元にぶら下がる、「ここではない、どこかへ」繋がる希望。
今頑張れば、成果が上がれば。
他者に埋もれないように、ちょっとでも高くつま先立ちをする。
天か降ろされる蜘蛛の糸に、自分がちゃんと届くように・・・。
だから、いつも余裕がない。
寝ても寝ても、気持ちが休まらない。
せっかく手にしたから、手放せない。執着心。
頑張りの先に、報われる未来がある。そう信じて選んだ道。
「自分自身」に社会的信頼を積む。何もしない日は後退だ。
頑張って頑張って頑張って、日々が人生のレッスン。
逃げ出したくなる。逃げ出す。後悔に苛まれる。
じゃあ、どこへいけばいいんだ?
せっかく見つけた「居場所」を手放して、世界から落っこちる。
覚束ない足元は、真っ暗闇で。
ここに居続けるチケットは、「がんばる」を差し出し続けることだ。
消しゴムのような生き方。
身を差し出して、筆箱の中の居場所を許される。
フルフィルメントの麻薬、身体性を麻痺させる
肉体的にも、気持ち的にも、ギチギチの日々。
それを生きる中で、生き続ける中で、「充足感」は麻薬だ。
「願いが満たされている」感覚で、命を繋ぐ。
それはソシャゲのガチャだったり
自分を求めてくれる人との関わりだったり
暴食だったり
いっぱいいっぱいの中で見つけた、「苦しさ」を追い出せる依存先。
「日々の暮らし」の形を変えられないのなら、その中で生きる術に縋るしかないじゃないか。
貯金も時間もなくなり、学生時代より20キロも太った僕が居た。
稼いだお金は片っ端から消えた。健康も失った。
手元には、「自分"だけ"でなんとかする」ための、「その組織では」通用する力のコレクションと、「自分”だけ”では通用しない」、歪な形の成長を遂げたガラクタが積み上がっていた。
公務員を薦める親に反発し、
弁護士になることを薦めてくれた恩師や仲間の声に耳を背け、
「自分で選んだ」仕事だった。
いったい、どこで何を間違えたのだ?
「自分で選んだ」のだから、
「自分の人生の手綱を自分で握りたい」。
20代からずっと、掲げてきたことだ。
誰かに縛られたくない。自由でいたい。そのための力が欲しい。
自分で選んだ道を、正解にしたい。そのための力が欲しい。
だけれど。
だからこそ。
「手放す」ことも、「頼る」ことも、選択肢として自分に許したくなった。
自分で選んだ。その道を歩いた。行動して、学んで、その道にあった「希望」のかけらも、その道を歩く「痛み」も、知った。だから、辞めることは、「選んだ先で成長した自分の、最新の判断」になった。
自分で選んだ。その道を歩いた。一人だけでは到底踏破できない険しさがあり、その道を歩む中で同じ道でもがく人たちに出会った。すでに歩ききった先人の轍に出会った。頼る。頼られる。そうして、歩いていくことができる「やり方」が開けた。「選んだ先で出会った人たち」が、自分の”できる”を一緒に拡げてくれた。
ライフコーチとなって3年が経とうとしている
叶ったこと、叶っていないこと、嬉しいこと、しんどいこと、希望も不安も、喜びも恐れも、ある。
この仕事を選んで、僕は僕自身の人生を、より「目を凝らして」見つめるようになった。それは、他者の人生を共に見ることを積み重ねて、「在るを観る」こと、に没頭してきた体と思う。
「過度な自己責任感」に、苦しんでいる人たちに、たくさん出会ってきた。僕も、その当事者の一人だ。今でも、その感覚を完全に手放せたとは言い難いし、はたらく環境がまた変われば、より色濃くその感覚の痛みにも出会い直すかもしれない。
それでも、「そういう価値観が、在る」ことを、今は、知っている。自分の中で疼くもの、自分の中で満たされないもの、その結果求めるもの、その結果出会う現象を、知っている。
同じパターンを繰り返すかもしれないが、ふと立ち止まり、分岐する道があることに気づくかもしれない。
こうして文章に残しておくことで、「また、同じパターンにハマってるんじゃない?」と気づいてくれた人たちが、僕にそれを教えてくれるかもしれない。
僕が僕の人生を通じて知り、学んだ、言葉…が表現しようとした「価値観」の作用。
この文章に触れてくれたあなたがまた、僕と同じように「当事者」であれば、ご自身の「価値観」を捉えるヒントになるかもしれない。
この文章に触れてくれたあなたが、僕や、身近な誰かが、「のろい的な側面に苦しむ」姿に気付いたなら、その構造を捉えて俯瞰視点を手渡すヒントになるかもしれない。
願わくば、「今はまりこんでいる暗闇」から、ちょっとでも光のある方へ近づくきっかけにならんことを。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
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