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全体性と発達

一面を全てには、拡大しない。


THE COACHでインテグレーションコーチングを学んだ僕にとって、内的家族システムモデルの捉え方には、親しみがある。


応用Aコースにて学ぶ「リソースフルコーチング」の中に、「サブパーソナリティ(副人格)」を扱うアプローチがある。結構、特徴的なやり取りになるので、セッションの中で初めてこれに触れた時にはインパクトがある。


どんなやり取りになるのか興味がある方は、このラジオをご参考に。

アプリでバックグラウンド再生をしたい方はこちら


自身の振る舞いや葛藤、人間関係、挑戦を阻む億劫な気持ちなどに出会う時、自分のその側面を「嫌なもの」「無くしたいもの」「直したい欠点」と捉えて苦しくなることがある。


「自己嫌悪」のループ、自罰的な時間の反芻。とても苦しいし、そんな時間を過ごしていることにまた罪悪感を抱いたりして。


挑戦したいのに、せっかく春が来たのに、何をしたらいいかはわかっているのに・・・と、口惜しくなる。


そんな時、自分の中では「複数の願いが対立」している、と捉えるのだ。そして、その願いの一つ一つに、その願いを宿している独立した人格が存在している、と捉える。

これがサブパーソナリティ。


相矛盾する、対立する願いの一方を叶えようとすると、他方の願いが踏み躙られるような気がする。だから、どちらの願いもうまく選べずに、足踏みをし続ける。

その願いに、一つ一つの声に、耳を傾けるのだ。

一足飛びに、十把一絡げに捉えようとすると、「在る」ことを認めることをすっ飛ばして、評価判断を下し、願いの存在自体を否定してしまう。でも、願いは自分の命の根源から湧き起こってくる反応だから、消えてなくなりはせず、コンコンと湧き出つづけて、地表に顔を出す。


であるならば、そこに泉があるのだと、認めた上で、どうするかを選ぶこと⁨⁩が、必要なのだ。

押さえつけて蓋をすることでは解決しない。そういう構造なのだ。



この「サブパーソナリティと願い」について、『「悪い私」はいない』を読み進める中で、捉え方が深まったように感じている。


それは、「過去のある時点で立ち往生している」という捉え方。


ゲシュタルト療法だったり、Be With コーチングにおける「ともにいる」だったり、「過去に閉じ込められた体験」を、「イマココ」にインストールして昇華していく、ちゃんと再生し、流し、完了させていくアプローチを想起した。


「過去のある時点で立ち往生しているパーツ(サブパーソナリティ)」は、その時点までの認知・境遇・状況に対して、採りうる精一杯の手段としての防衛反応を採択している。

それがたとえ、過食や拒食、他者への加害、爆発的な感情の発露や、身体の凍りつき、先延ばしにしたり、他者との縁を切るような・・・「現在の自分にとって破滅的な」振る舞いだとしても、だ。

それは、自分の中に存在する複数の部分、その中での傷ついた、危機を過去から今に至るまで温存し続けているものを、必死で守ろうとする防衛だ。



それが、「現在の状況」においては、不可解な、不都合な事象となっている。必要なことは、「もう当時のような状況には”現在は”なくなっている」という認知を、当該サブパーソナリティに伝えにいくこと。


身体は一つだから、「そんなことはもうわかっている」と感じて、「それに何の意味があるんだろう・・・」と懐疑的になってしまうけれど、その状況の、情報が「届く」には、「立ち往生している」パーツが受け取れる状況を整えなければならない。


これまでコーチングセッションを数百時間重ねる中で、何度もこの「サブパーソナリティ」に出会ってきた。そして、目の前で同じ人がしゃべっているのに、「表面に出てきているサブパーソナリティ」が異なれば、認知が異なっている状態で、自然に会話がなされていくのだ。


自分は一人の人間として、自分の体験も、認知も、統合された「一個」であるように自己認識をしているけれど、案外、自分のなかにあるものは、複雑にバラバラで、必ずしも統合されているわけではにようだ。


そんな、繊細で複雑な複層構造が一人一人の人間において存在しているのだ、という見方にたったとき、自分の中で他者への許容性が高まりそうな気がした。


そしてそれは、自分自身に対しても、だ。

一人の人間として体験してきたこと、知識、認知、思考能力、全てを「兼ね備えている」存在として捉えると、何かができなかったり、覚えていなかったり、果たされなかったりした時に、腹立たしく思ったりもするのだけれど、

実は欠けていること、繋がっていないこと、「過去の時点においては他に選択肢がなかった」こと、そういった事情・状況が異なる人格が、現実世界での振る舞いを演じている、としたなら。


「そりゃ、仕方ないよな」


と、歩みよれる気持ちが湧いてくるし、そう捉えられるシーンが、案外多いのだろうな、と感じてきた。


個を確固たるものへ、とする戦いが、成人発達理論における「自己主導段階」の挑戦なのだとしたら、この「複数の複雑な重なり合い」のどれもに正しさが宿っている、という世界の成り立ちを許容する器を育むのが「相互発達段階」の営みなのかもしれない。


人って、面白いなぁ。



ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。


コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。


そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。


コーチングに触れて、ガラリと人生が動いた話はこちら。

「居場所で人を自由にしたい」想いをインタビュー頂いた動画はこちら
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